読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

もっと、わたしを 平安寿子 幻冬舎文庫

2011-03-31 22:32:16 | 読んだ
まだまだ落ち着いたわけではないのだが、そして私の周囲ではまだまだ本を読むことなど出来ない状況である人が多いことも知っているのだが、本の感想です。

この本は、11日の東京出張にもっていったもの。
なにかのおりにチョイト取り出して読もう!と思っていた。

あの地震の後は「待ち時間」が多いので、読もうと思えば読めたのだが、結局読むことが出来なかった。

で、帰ってきてから、何かの救いのようにこの本を少しづつ読んでいたのである。
勿論、読む時間など取れるわけもなかったのだが、眠る前やトイレなどで読んでいた。

さて、この本には五つの物語が収められている。

「いけないあなた」
「ノー・プロブレム」
「なりゆきくん」
「愛はちょっとだけ」
「涙を飾って」

いずれも、恋愛に臆病というか不器用な人が主人公である。

それで、不器用でも臆病でも、一生懸命人を愛そうとしている。

この「愛している」ではなく「愛そうとしている」というところがいい。
『いい』というのは、共感するというか共鳴するというか、親しみがもてるのである。

それと主人公達は、自問自答を繰り返している。
この、自問自答を繰り返すというのは「生きている」ということなのではないかと思うのである。

というものの、平安寿子の小説である。
暗くなくじめじめしてもいない。

こういう時期にこの物語に出会ったのも「縁」である。

裏カバーには

「イケてない5人5様の人生を、優しさとユーモアで描き出す、著者真骨頂の傑作リレー小説」

とある。

まったくそのとおりである。
ぜひご一読を。


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東北太平洋沖大地震2

2011-03-28 22:58:14 | 観た、聴いた
公開しようかしまいか迷っていたのだが、南三陸町に行ったときの写真である。

撮影は3月18日。
地震発生から1週間です。

国道45号線。南三陸町の志津川の市街地の外れ。気仙沼方向から撮ったもの。



国道は2車線歩道つきなのですが・・・

次は市街地に近づいたもの。舗装ではなくなっています。



国道45号線から町の中に入ってふりかえったもの。
残骸が残っているのは銀行の建物。



中央に骨組みだけが残るのは、南三陸町役場あと。
ここで私の友人は波にさらわれたという・・・



右側の山の上にあるのは中学校。左側の建物は宮城県の合同庁舎。
海からは相当置くにはいってきているところで、ここまでもきたのか!と呆然である。



その合同庁舎は3階まで水が来ていた。



復旧作業や被災地支援の業務の中で思っている。

隣の南三陸町や石巻市や気仙沼市が食べることや着るものなどで非常に不便な生活を送っているのに、私達はガソリンをはじめとした物資の不足に困っているものの穏やかな生活に戻りつつある。
しかし、そんな中でも不平・不満が充満しており、数々の聞き捨てならないコトバを投げかけられている。

なんだかとっても虚しい気分なのである。

この虚しさを本を読むことで解決したいものである。

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東北地方太平洋沖地震

2011-03-24 15:18:49 | 日々雑感
3月11日(金)14時46分、三陸沖を震源とするマグニチュード9.0の大地震発生。
宮城県栗原市では震度7を観測。

えー、とりあえず元気です。
復旧作業で疲れてはいますけれど。

地震発生時、私は東京に居て、とある講堂で会議をしていた。
で、これは関東大震災だろう、と思ったのである。
ところが、会議室のテレビを見ていると、東北地方しかも私の住んでいる登米市の隣の栗原市で震度7、登米市は震度6強、とあるではないか!

登米市は大変なことになっていると思い、電話をするもつながらず、メールも返事は来ない。

そのうちに「大津波」がくるとの報道。
最初は6m級、続いて10m超というではないか。
私の近くにいた石巻市の人間は「そんなのくるわけがない」といっていた。

そんなこんなをしていると、津波の被害の情報がテレビで映されるたびに、衝撃は大きくなっていく。

結局11日は、交通事情の関係から動けず、そのまま会議会場に宿泊をした。

よく12日は2箇所をめぐり帰る手立てを探すがいい案がなく叔父の家にとまる、

13日になりふと思いつく。
私のパソコンには、ソースネクストの「本格読取 おまかせ名刺整理」がインストールされデータを入力したばかり。

そこからデーターを探し・・・というわけで帰ってきたのであった。

帰ってきたら帰ってきたで大変で、今も復旧作業中でありなお復旧支援も行っているのである。

復旧支援で、隣町の南三陸町を何度か訪れている。
言葉では言い尽くせぬ悲惨な惨状である。

いつも行っているところなので道路はわかっているつもりだったのだが、全然様相がかわり、道に迷ってしまうようであったし、自分が今どこに居るのかわからなくなってしまうようであった。

昔、東京の夢の島というゴミ捨て場をトラックが走っていた風景に似ている、と思った。

友人・知人も行方不明になっており、複雑な気持ちで車に乗っている。

我々の復旧作業はまだ継続しているが、復旧支援はいつまで続くかわからない状況である。

ゆっくりと読書ができるまでまだしばらく時間がかかりそうだが、その間は、災害状況などを織り交ぜて、何とかブログを継続していこうと思う。

このブログを完成させるまで5日間もかかってしまった・・・
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吉田類の酒場放浪記 3杯目 TBSサービス

2011-03-10 19:03:26 | 読んだ
BS-TBSで毎週月曜日に放映されている「吉田類の酒場放浪記」の本、3冊目である。
ちなみにDVDは4枚出ている。

私は2009年頃からテレビを見ていて、2010年から録画をしている。

このテレビ或いはDVDを見ながらゆったりと酒を飲みたい、と思うのだが、これまで心ゆくまでそれを楽しんだことはない。(見ながら酒を飲んだことはある)

で、本である。

まあ本も面白い。
でもやっぱりテレビには敵わない、と思うのだ。

そりゃあテレビのほうが画は動くし音も出るのだから当たり前だろう、と思うだろうが、それだけではない。

吉田類の酒場放浪記の面白さは、吉田類というのん兵衛が居酒屋を紹介するだけではないのだ。

その酒場で飲食をしている人たちの顔と声が聞こえてくるのがイイのである。
吉田類が一人で飲んで、酒場の主と話すのではなく、他の客達(いわゆる常連さん)がわいわいがやがやとして酒を飲んでいるところが映っているのが、なんともたまらないのである。
それが、この番組の魅力なのである。

で、それはやっぱり本では再現できない。

だから、本は酒場紹介の域をなかなか超えられない。
まあ「俳句」をじっくり読むことがいいことではあるが・・・

私好みの俳句は次のとおり。なおカッコ内にあるのはその時紹介された酒場である。

酔ひ覚めに 秋の時雨の 嬉しうて (横浜:諸星酒場)

立ち飲みて 冬の運河に 恋を棄つ (茅場町:ニユーカヤバ)

遍路みち 吹かるるままの 帰り花 (高知:おしどり)

ハイボール 弾ける初夏の ブルージーン (南千住:大坪屋)

モツ喰らふ 汗一滴を 惜しみつつ (町屋:小林)

葉桜や もう薄暮れの 帰路遠く (武蔵小山:牛太郎)

山菜は 春妖精の 爪手足 (小樽:らく天)


それにしても、あの顔であのスタイルでそしてのん兵衛で、よくこういう繊細な句がでてくるもんだ。
そのあたりが、酒場放浪記の最も面白いところであり魅力なんだろう。

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京都から愛をこめて 西村京太郎 オール読物2010.5月号~11月号連載

2011-03-07 22:30:13 | 読んだ
まとめて読むほうがわかりやすいだろうと言うことで、放っておいたものをやっと読むことが出来た。

西村京太郎の「十津川警部シリーズ」である。

この物語のあらすじを紹介しようにもなんだかよくわからないものなのである。
読み終わったあと
「なんだこれ?」
と呆然としてしまった。

で、とりあえず物語を振り返ってみる。

久しぶりの休日に十津川はテレビを見ていた。
番組はホンモノかニセモノかという番組で、そこに登場したのは「小野篁(おのたかむら)」の予言書である。

その予言は
「今から1200年後に新たな都から悪鬼があらわれて京都で悪行を働く」
というものであった。

勿論「ニセモノ」と断定されたのであったのだが、テレビ放映から1週間後、十津川の元にその予言書の持ち主である高田が現れ、予言書を売ってくれた男・横山が火事で焼死したが事故ではなく殺人だから捜査してくれと告げる。
証拠に乏しいのでその捜査はできないと断ると、高田は予言書を置いていった。

そして、京都では不可解な殺人事件が発生する。
その事件を知ったとき十津川は高田の元を訪れるが、高田は夫婦で行方不明になっていた。

いよいよ事件か!

と思うのだが、実は横山の死や、高田の行方、或いは京都で起きた殺人事件はその後伸展しないし、ネタバレであるが、解決もしない。

で、物語はどうなっていくかというと、京都に悪鬼が現れるのではないかということから、安部晴明の子孫と小野篁の子孫が京都市長の呼びかけに応じて、鬼退治の準備を進める。

そして、本当に平将門の怨念を背負ったその子孫達が京都を襲うのである。
それを最後には小野篁の子孫が退治する。

これって、どう思います?

確かに面白いことは面白いのだが、最初の伏線というか事件はなんだったのか?
なぜ、京都の事件に十津川と亀井が関わるのか?

そんな多くの何故は読み終わっても解決しない。
なんだか釈然としないのである。

とはいうものの、最後の最後まで「どうなるの?どうなるの?」で面白いことは面白い。

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小樽・カムイの鎮魂歌(レクイエム)-作家・六波羅一輝の推理- 鯨統一郎 中公文庫

2011-03-05 17:45:34 | 読んだ
作家・六波羅一輝の推理シリーズ第4弾である。

第4弾になって、六波羅一輝も落ち着いてきた、というか探偵として或いは作家として堂に入ってきた。
なんというか「プロ」になってきたようだ。

これまでは、アマチュアの雰囲気のほうが強く『まぐれ当たり』のような印象のほうが強かったが、今回は論理的思考が順番を追ってきている。

多くの推理小説では探偵役が謎解きの途中で「!!」とひらめくところがある。
論理的に考え分析をしてみても、最後の一つがつながらない。
そういうときに「!!」っとなる。

それは、謎解きをしている途中で何気なく見たものからの連想であったり、何気ないひとことを思い出したりといったことなのだが、この六波羅一輝はパソコンに向かい文章を綴っているときに何気なくキーワードを入力してしまうことである。
この現象を「ライターズハイ」と彼は呼んでいるが、霧中になってしまって我知らずのうちにキーワードを入力するのである。

「!!」というのは、推理小説に欠かせないものだが、あらたな形を鯨統一郎は編み出したといえるが、それが思っていた以上の効果があるとは思えないのが残念。
別に、それがなくてもいいんじゃないか、と思ったりする。

鯨統一郎の作品の特徴として「余計なこと」というか「へんなこだわり」というかがあることだ。
これが、へんにうけたり、うざったかったりする。

今回であれば、主人公の一輝と担当編集者(友達以上恋人未満)の『みなみ』が札幌空港についてレンタカーを借りるのだが、それは「パッソ」なのである。以降、通常であれば「車に乗った」と言うような部分の記述が「パッソに乗った」のような形になる。
これ何の意味があるのだろうか?
と、気になったりする。

また、今回の物語では、小樽に住む友人からの依頼で一輝は事件解決へ乗り出すのだが、その二人が友情を確かめ合うさまを見てみなみは「好ましく思った」という記述がある。
いかにも「とってつけたような」表現で、この表現にはなにか別の意味があるのだろうか、なんて考えてしまう。

つまり、物語そのものの謎解きと、鯨統一郎がなにか仕掛けているのではないか、何かのパロディや風刺なのかもしれない、という二重の謎解きがある。
この様な読み方は私だけのことなのかもしれないが、そういう読み方が鯨統一郎を楽しみ物だと思っているので・・・

物語はアイヌの秘宝というのがキーとなっている。
歴史や民俗学に題材をとっているところが、このシリーズを読み続ける所以となっているが、今回初めてアイヌのことを知ることなり、これもまた満足したのである。

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峠 -慶次郎縁側日記- 北原亞以子 新潮文庫

2011-03-03 22:57:29 | 読んだ
慶次郎縁側日記の第4弾である。

単行本では平成12年、文庫本では平成15年であるから、初出から10年は経過していることになる。
この間、小説新潮を毎月購読しながら見逃していたとは返す返すも残念だと、このシリーズを読んでいけばいくほど感じる。

また、NHKテレビでのドラマも見ていない。

配役を見ていると、主人公の慶次郎に高橋英樹はちょっと恰幅が良すぎるような気がするが、佐七を石橋蓮司、吉次を奥田瑛二が演じているのは「イイ」と思う。

さて、今回の「峠」は8つの物語が収めれらている。
そのうち本の題名にもなった「峠」はちょっと長い物語である。
なんというか「不幸の連鎖」ともいうべき積み重ねで堕ちていく人々。
その「連鎖」は誰かに救ってもらわなければ断ち切れないものなのか、それともやっぱり自分で断ち切らなければならないのか、考えさせられる。

「不幸」というものは逃げれば逃げるほど追いかけてくるものなのかもしれないし、「幸福」というものは追えば追うほど逃げていくものなのかもしれない。

それなら人はどうすればいいのか。
私は思ったりする。
不幸だとか幸福だとか、あまり強く思わないほうがいいんじゃないか。

とはいえそういう奴が物語に登場したって面白くもなんともない。
逃げないんだ、追わないんだ。
と、強く思っていても、逃げたり追ったりするから、恨んだりうらやんだりするから物語が生まれる。

このシリーズの特徴は、ラストがきっちりしていないというか思わせぶりというか、余韻が大きいというか、つまり「もっと話して」と思うところである。

まあ、4巻目になるとこちらもわかってきてて、どれだけ微妙な感じで締めくくるんだろうか、と途中あたりから気になったりする。

次は第5巻。
また一夜一話で読んでいこうかと思っている。

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クラッシュ・ギャルズが輝いた時代 柳澤健 オール読物2010年9月号

2011-03-01 22:25:38 | 読んだ
本を片付けていたら、何気なく目に付いた。
買ったときは気づかなかったらしい。

というわけで、片付け中断して読みふけったのである。

クラッシュ・ギャルズは女子プロレスリングで一時代を築いたタッグコンビである。
そしてクラッシュ・ギャルズは長与千種とライオネス飛鳥のコンビである。

クラッシュ・ギャルズが結成されたのは1983年とある。
そして大ブレイクしたのは’84年以降。
二人が引退したのは’90年である。

私も一時期女子プロレスにはまったことがある。
それは’95年から’00年くらいである。

それで’00年にクラッシュ・ギャルズは再結成される。
ということから、実際にクラッシュ・ギャルズの試合を観てはいない。
だから「ダブル正拳突き」だとか「サソリ固め」「マンハッタン殺法」といわれてもピンンとこない。
しかし、私がはまっていた時代でも長与と飛鳥は特別な存在であった。

さてこのノンフィクションは、長与と飛鳥の生い立ちが語られている。
どうみても幸福とはいえない子供時代を二人は過ごしている。
これだけでも読みごたえがある。

彼女達はプロレスラーになって平凡ではない人生を送っているが、プロレスラーにならなくても平凡な人生ではなかったろう、と思う。
そして、プロレスラーになって本当に良かったと思うのである。

生い立ちだけでなく、興味を惹かれたのは彼女達のプロレス観であり、他のレスラー達のプロレス観である。

多くの人たちがプロレスをちょっと引いて見ていると思う。
長与千草がいったんプロレスを引退をして『プロレスは色物としか見られていない』と言うことに気づいて、ガッカリするという文章がある。

プロレスというのは鍛えられた体と、緻密な考えがないと出来ないのだと思う。

何回か見に行ったのであるが、一流になればなるほど「投げられ方」というか技の受け方がうまいのである。
大きく大きく投げられ、派手に派手に技を受けてくれる。
そういうことができるために選手は練習をしている。

こういうことを彼女達は復帰して「見せる」のである。
観客を興奮させ、泣かせ、喜ばせ、怒らせ、悲しませ、驚かせるために、彼女達は一生懸命プロレスをするのである。

プロレスに対する偏見のようなものに彼女達は立ち向かったのである。

現在二人は引退をしている。
プロレスから離れて何を考えいるのか、そいうところも読んでみたかった。

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