読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

聖女の救済 <最終回> 東野圭吾 オール読物4月号

2008-03-30 15:27:18 | 読んだ
東野圭吾の「湯川学<探偵ガリレオ>シリーズ」である。
長期連載が4月号で最終回を迎えた。

この最終回で題名の「聖女の救済」の意味がわかることになる。

この最終回では<犯人もトリックもわかっているがその証拠を示せない>というジレンマと殺人動機の明確な解明が行われる。

以下「ネタばれ」になるやもしれないのでご勘弁願いたい。

今回の殺人事件は、1回目の殺意に基づく殺人手段を設定したにもかかわらずそれを長い間実施せず、2回目の殺意でその手段を実行したことに、複雑さがあった。
新しい設定といえば新しい形なのである。

殺してやる!と思って、その手段を考えて実行する場合は、大きな偶然がないかぎり完全犯罪は難しいが、そこでいったん立ち止まって、いわば殺意の時間差とアリバイを作ると、完全犯罪の率は高くなる。
ということが、今回の主題だったのではないか。

それにしても、湯川学、スルドイ。そして草薙刑事・・・ガンバレ!

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ちりとてちん NHK連続テレビ小説 ③ 終了

2008-03-29 21:41:50 | 観た、聴いた
楽しみの一つであったNHK連続テレビ小説「ちりとてちん」が本日で最終回となった。

同姓同名のよくできる子と比べられコンプレックスを持つ女の子が、小さいころにいつも聴いていた落語を語った師匠と出会い、落語家になる。そして・・・というのが大あらすじ。

週単位で小さな物語が完結するのだが、その際のテーマは概ね落語と関わっていて、ドラマの筋と落語が絡んでいて、面白い趣向だなあと思った。

また、笑いばかりではなく、週1回は「感動の涙」の部分があり、それがたまらなかった。何しろ近頃は涙腺がゆるく、ちょっと心を動かされると涙ぐむのであるから・・・

一生懸命生きている人を傍から観ていると、なんだかおかしいところがある、というのをドラマにしたかんじである。
ちょっと大げさな笑いのところがあったが、それが今度は感動の複線として振幅の幅を大きくしているところあった。

主演の貫地谷しほりの魅力も十分あったが、周囲の人々のキャラクターがきっちりしていて、それだけに安心してみることができた。

お気に入りのドラマだっただけに来週からちょっとさびしい。

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午後の汀 東儀秀樹・古澤巌 コンサート

2008-03-27 22:49:05 | 観た、聴いた
地元のホールでのコンサートである。
申し訳ないのだが、このコンサート2000円の入場券なのである。
「宝くじ文化公演」ということで、いろいろな補助が入ったからなのである。

さて、このコンサート何といっても組み合わせである。

雅楽の東儀秀樹
ヴァイオリンの古澤巌

近頃の言葉で言えば、雅楽とヴァイオリンのコラボレーションである。

東儀秀樹は「篳篥(ひちりき)」(たて笛のような楽器)と「笙(しょう)」(17本の竹の楽器)を奏でてくれました。

この雅楽の楽器と、ヴァイオリンとキーボード(寺田志保)とパーカッション(仙道さおり)が絡んで、素晴らしい音に包まれる。
あんまり素晴らしいので第1部ではすっかり寝込んでしまった。(!?)

演奏曲は主に東儀秀樹はじめ出演者の作曲をしたもので、クラシックな音色と現代の感性がうまく調和されているものであった。

何かと頭に血が上っていたのであったが、このコンサートで音に包まれているうちに、スーッと頭の上から「怒り・悩み・悲しみ・虚しさ」のようなものが降りていってなくなっていくのを感じることができた。

こういうホンモノに触れる(音楽でも絵画でも演劇でも彫刻でも多くの素晴らしい芸術)ということの作用というのはこういうことなのか、とあらためて思ったのであった。

ありがとう、と出演者のひとたちに御礼であります。
そしてあまりにも安い値段にまたまた御礼であります。

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のだめ カンタービレ #20 二ノ宮知子 講談社

2008-03-24 22:46:59 | 読んだ
「のだめ」も巻を重ねるごとに、難しくなってきた。

最初は、お気楽にクラシックを、というコンセプトのようであったが、主人公たちが成長するにつれて、読者もクラシックを学び、お気楽になんていってられなくなた。

保育園だか幼稚園で音楽を教えることができればいいといっていた「のだめ」もコンクールに出て一番になりたいとか、オーケストラとコンチェルトがしたいとか、成長してきているので、こちらとしても何とかしてやりたいのであるが、芸術の世界は「才能と努力」、ただがんばれと祈るしかないのである。

のだめ以外の登場人物たちも成長している。
これからどうなるのだろうか、という楽しみと、どうやって終着とするのかという心配で、これからも読み続けることになるのであった。

早く次が読みたい。

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青春のうた 第56巻 1970年代中期17

2008-03-23 21:34:23 | 読んだ
1.ふれあい/中村雅俊 1974年4月

高校3年生のときのドラマ「われら青春」の挿入歌である。
この一覧のドラマ(青春ものというやつ)は、見ながら「恥ずかしいなあ」という場面が多くて、それなのに感動している自分にあきれて、こんな青春をしたいと思っていたりする自分に驚いたりしていたのであった。

この「ふれあい」という歌も、なんだか恥ずかしい気持ちになってしまうので、歌うときは一人でこっそりと、なのである。


2.結婚するって本当ですか/ダ・カーポ 1974年6月

この歌も「恥ずかしい」部類に入る。

短い手紙は、結婚式への招待状だったのだろうか、それとも結婚するという本当に短い手紙だったのだろうか。

その手紙を書いたのは男の人なんだろうと思うが、そういう男ってどうなんだろうか?

なんて思って、少しは反感を覚えていたりしたのだが・・・
それでもある部分感動していたりするのだから、恥ずかしい、と思ったんだろうなあ。

ダ・カーポって、目立ったカンジでなくて、あまり特徴もなくて、さわやかなところが過ぎている、というイメージだったのだが、一回コンサートに行ったら、ちょっとファンになっていたりした。

なかなかどうして、いいグループです。


3.何かいいことないかな/河島英五とホモ・サピエンス 1975年4月

河島英五に対してもなんだか少しわだかまりというか偏見があった。
それは多分彼の純粋な気持ちが正直に歌に現れているところなんだと思う。

どちらかといえば屈折した心、少しからずどんよりとしてにごっている心をもつ当方としては、こう純粋そしてストレートに歌われると、ひるんでしまうのである。

この歌はあまり覚えていないので、当時聞いたとしても聞き流していたんだと思う。
その理由は、河島英吾に対する「ひるみ」なのである。


4.振ればどしゃぶり/亀渕友香 1974年3月

この歌も聴いた覚えはある。
覚えはあるが、この歌を歌おうとかは思わなかった。

当時、歌のうまい人、というのはあまり好きではなかった。
それも正統的なうまい人はなおさらであった。

多分そのせいなのだと思う。


5.コーヒー一杯の幸福/Belle(ベル) 1974年9月

この歌も聴いたことがある。
当時、このような歌はわりとうたわれていたように思う。

「このような歌」というのは、よく言えば叙情性(情緒があらわれている)あふれる、悪く言えば軟弱な(今はジェンダーとかいってあまりいってはダメらしいのだが、つまりは男らしくない)歌詞でわりと甘えたようなうたい方をする歌、を言う。

なんか「君のためなら」と彼女に言うことが、あるいはそのために僕が我慢することは「やさしさ」なんだ、というような歌は、時に自分の気持ちにフィットするところはあったけど『なんだかなあ』という思いがあった。

ということで、この歌はどこかで聴いたことがあるけれど、それがどこだったかは思い出せない、そういう歌なのである。


6.風に吹かれて行こう/やまがたすみこ 1973年2月

この第56巻は、この歌があるから、いい。そう思ってたりする。

やまがたすみこは同い年である。
透き通った声がよかったなあ。

この「風に吹かれて行こう」は、今まで述べてきた歌と同類(つまり、なんだか恥ずかしい)のであるが、やまがたすみこが歌っているから許せるのである。

えー!なんだか矛盾しているじゃないか、と思われようが、それはそうだから仕方ないじゃない、と開き直ってしまうのである。

ただし、やっぱり恥ずかしいことには変わりはないので、一人のときにしか歌わないのである。

そんなに、いいなあ、と思っていたわりには、やまがたすみこの歌ってこの歌と「夏になったら」くらいしか知らないのである。

人の心や気持ちなんてそういうものなのである、と、またもや開き直ってしまうのである。イヤハヤ、ナントモ・・・

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プロ野球 パ・リーグ開幕 楽天サヨナラ負け!

2008-03-20 17:51:07 | イーグルス
今日、プロ野球のパ・リーグが開幕した。

今年から、ヤフーではパ・リーグの全試合を中継することとなり、楽天-ソフトバンク戦を観戦することができた。
途中テレビ放映もあったので、そのときはそちらを見ていたわけである。

楽天・岩隈そしてソフトバンク・杉内のエース対決。
楽天は1回表に1点をそして4回には2点を奪い主導権を握る。
6回に1点を失うものの、岩隈は7イニングを好投。
8回は青山と吉崎でつないで、9回はドミンゴ。今年の楽天の新しい勝利の方程式・・・だったのだが、9回裏ドミンゴは内野安打・2塁打そしてホームランで3点をあっという間に献上しサヨナラ負け。

すごーくガッカリ、ものすごーく不機嫌になってしまったのであった。

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人間ドック

2008-03-19 23:56:50 | 観た、聴いた
通常であれば、年度末であとは締めるのを待っていて、春めいてくる日々をすごしている、人間ドックを受診するには最も適している他に比べれば比較的穏やかなこの時期なのである。

だから、人間ドックの受診を予約していた。
まさか、とんでもない事故に巻き込まれ右往左往、混乱の日々が続いている、もっとも最悪な時期に人間ドックとは・・・

まあそれでも最悪のときがどのような体の調子なのかということも知っておいてもしかるべき、と思い直して、本日受診してきたのである。

それにしても「自分を調べられる」というのは、たとえ身体の調子であれ、あまりいい気持ちではない。ましてや精神の状態とか犯罪についてなどということになれば「拒否感」というのは否めないだろう。(だからといって私が犯罪を犯しているということではないので、ヘンにかんぐらないでほしい・・・ヘッヘッヘッ)

さて、人間ドックの専門病院にいったので(というか10年来この病院である)、テキパキと流れるように調べてもらえる。

この「テキパキさ」というのもなんだかつらいところがある。
なんだか、人間としての身体、のみが強調されているようにも思えるのである。
かといって、これが「モタモタ」であるとこれもなんだかつらいのではあるが・・・。

診断の結果、それなりに異常はあるようで・・・
しかし、私は言いたい。

50年も生きていればどこか悪いところがあって当然でしょう!!

これオールAという人のほうが異常だと思いますです。
すべての人が健康であることは望ましい状態だと思いますが、すべての人が健康というのもこれまた異常でしょう。

そういう意味で、メタボリックシンドロームの診断基準に従ってメタボだとされた人が健康診断を受診しないとペナルティが課せられようになるということだが、これもまた、なんだか怖い気がする。

そのうち、精神や心や考え方にまで、統一した基準が設定されるのではないだろうか。
そういう意味で、自分の健康は自分で管理する。
健康を損ねた場合に行政に頼るのはほどほどにするようにしないと、予防対策として規制が厳しくなるように思えるのだが・・・

というようなわけで、いわゆる生活習慣病という年齢を重ねればいたし方のない部分に、芳しくもない結果がでたのであるが、十分注意をして生きていこうと思う。

ちなみにウエストは87cmで、基準の85cmを2cm上回っており、ちょっとがんばれば何とかなりそうなのである。(エヘン!)

追伸
 本日より「カラマーゾフの兄弟」を読み始める。
 なんといってもロシアの物語は名前を覚えるのが大変である。第1章第1節の題名は「フョードル・パーヴロヴィチ・カラマーゾフ」である。音読なんかしていたら先に進めないのである。

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週刊朝日・歴史のミステリー・戦乱の日本史・青春のうた

2008-03-18 21:53:24 | 読んだ
今日買った雑誌である。

近頃じっくりと本を読んだりすることができないでいる。

諸田玲子の「天女湯おれん」は途中でストップしている。
物語の中に入っていけないのである。

入っていけないのは物語が悪いのではなくて、こちら側が「上の空」の状態だからである。

したがって、近くにはオール読物、小説新潮、文芸春秋があるのに、なかなか手にとって読めないでいる。
物語を読もうという気持ちが起きないゆえである。

というわけで、読むものは雑誌やコミック中心になってしまうわけである。
今夜は、のだめカンタービレでも読もうかと思っている。

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僕の小規模な生活 福満しげゆき -週間モーニング連載-

2008-03-16 21:40:13 | 読んだ
せこい漫画なのである。
その「せこさ」が身にしみるのである。

著者・福満のエッセイのようなのである。

モーニングのホームページから、漫画の紹介を転載する。

「主人公はマンガ家志望の25歳。そんな“僕”には5歳年下の妻がいる。家計のほとんどを支える妻の勤務中、襲い来る怠惰と格闘しながら家事に励む毎日。だけど仕事の方はエロ漫画の依頼が極々たまーに入ってくるだけ。働かなきゃと思いつつ、バイト募集の広告を見つけては、応募しない理由を探す“僕”。しかし妻の痛い視線に圧され面接を受けてみても、やっぱり内心気が進まない。そんな“僕ら”の小さな生活。」

主人公は、時には悲観的にそして時には楽観的に、いろいろなことをウジウジとグジグジと悩むのである。
で、悩んで悩んで、逃げるのである。
それでも、前に進むのであるから、世の中面白い。

そのウジウジやグジグジ具合が、すごーく身にしみるのである。
なんだかんだといっても、この主人公のように私もウジウジ・グジグジなのである。

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桜田淳子について

2008-03-15 20:42:38 | 観た、聴いた
本日は外は強い風だが、ガラスの内側はポカポカとして、ふわっとした気分ですごしていた。

何事かをする気力も、本を読む気持ちにもなれないでいたとき、ふと思いだして、あの「You Tube(ユーチューブ)」で何か面白いものはないか検索をすることにした。

最初は吉田拓郎を何曲かきき、それから岡田奈々にいき木ノ内みどりを聴いた(若干マニアック気味である)、そして桜田淳子はないのか?とおもって検索をしたらいろいろあったわけで・・・
しばし、時を忘れて桜田淳子に見入ったわけである。

桜田淳子のデビューは昭和48年2月。
高校1年を終えようとするときだった。
このデビュー前からすでに「明星」や「平凡」といった雑誌で、今度デビューする桜田淳子、という紹介がされており、その時点ですでに心奪われていたのであった。

以後、時々はあの「わざとらしさ」とも思えるような仕種に『そうなのかあ?』と思いつつも暖かいまなざしで見守ってきたわけである。
と偉そうに言っているが、レコードを買ったわけでもコンサートに行ったわけでもなく、テレビやラジオや雑誌などで見かけるたびに「いいなあ」と思っていただけのことなのだが・・・

で、本日久々に昔のというかアイドル時代の桜田淳子をみて、正統派のアイドルだったなあ、としみじみ思い、なんであれ日本という国が大きな共通性を持っていた時代の頂点のころだった、というようなことを考えていたのであった。

まだまだ「懐かしむ」ということをするほどの年齢でもないとは思うのであるが、時にはそんな一日があってもいいのではないか、と一人で思ったのである。

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一隅を照らす会

2008-03-14 23:03:17 | 観た、聴いた
宮城大学・天明茂名誉教授の「天明交流サロン」という月1回の会が行われていた。
昨年3月先生が宮城大学を退官され、諸々の事情から宮城を離れることになり、月1回のサロンも難しくなったことと、天明先生の活動に共感した人たちによって先生を囲む会を継続したいという思いから、昨年、天明先生を囲む会=「一隅を照らす会」が設立された。

その第3回が3月13日に仙台で開催された。
当日は、
・一隅を照らす活動報告:菊池 重雄氏 NPO法人川崎町の資源をいかす会理事長
・講話「難病を克服する西医学とメタボシンドローム」天明 茂
が行われ、その後懇親会となった。
70名を超す人々が集まり、活動報告と講話に聞き入った。

私は、この会の設立に関わったことと、天明先生をはじめ集う人たちの「元気」「パワー」に触れることによって『明日を明るく考える』ことができるので、なにはともあれ参加をしてきている。

今回は「気が重い」「落ち込んでいる」状況であったので、ぜひ出席して元気になろうと思っていたのだが・・・狙いどおり、元気にさせてもらった。
つまり「一隅を照らす会」にいって私という一隅を照らしてもらってきたのである。

天明先生は公認会計士で専門は経営学であるが、経営というのは数値だけではなく「人」であるということから、人を作るものはなんなのか、ということを追求されているように思える。

そういうところに惹かれているのである。
天明先生の情報、一隅を照らす会の情報は「ありがとう天明教室」まで、興味のあるかたはぜひこの次の会にご参加ください。

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宮城大学 久恒啓一 サヨナラ講義

2008-03-13 23:53:09 | 観た、聴いた
本日は午後から宮城大学に行き、事業構想学部 久恒啓一教授の サヨナラ講義「宮城大学での11年間とその決算」に出席というか受講してきた。

久恒先生といえば「図解」である。
「図で考える人は仕事ができる」はベストセラーになった。
詳しくは「久恒啓一図解Web」をごらんいただきたいと思います。

さて、この図解という概念にであったとき「これだ!」と思いましたですねえ。
なんとなくぼんやりと図というか「フロー図」のようなもので、物事を理解しようとしたり説明をしようとしたりしていた時期だったので、理論的裏づけができたような、これでいいんだ!と思いましたです。

この考えにであった後、それまでは「文書にまとめる」という作業ばかりだったのを、図をつかっていくようになった。
わりと評判もよかったのだが、その後図に理解を示さない人々との出会いというか交流が増え、あまり使わないようになっていた。

今日、久々に久恒先生の講義を聞き、改めてこう思ったのである。
1.物事を図で考え図で示す。
2.物事を図で考え文で示す。
3.文を図に置き換え、図で示す。
4.文を図に置き換え、文で示す。
こういうことを、臨機応変にできるようにしよう。

さてさてどうなることやら。
でもなんとなくいいかもしれない。

追伸
 その後今夜は、久恒先生と同じ宮城大学の天明茂名誉教授を囲む「一隅を照らす会」の第3回が開催され出席してきた。このことは明日報告することにしよう。

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何を読みたいか?

2008-03-11 22:01:18 | 読んだ
ほっとするようなものが読みたい。
登場人物には悪人が一人もいないのに、物語が生まれる。
それは善意と善意のすれ違い、あるいは勘違いから生まれる物語。

ふわっとしていてほわっとした雰囲気。
そんな物語はないだろうか?

今の世の中は「厳しくせこい正義」が大声を上げている。
物語りもドラマティックでいながらはっきりしないものが多い。

つまり主人公に感情移入できるものが少なくなっている。
それだけ一人ひとりの感情が違ってきて、普遍的なものが少なくなってきたのかもしれない。

というようなわけで、本屋に行ってみたのだが、しっくりくるものがなかった。
で、次の本を買ってきたのである。

1.春秋名臣列伝 宮城谷昌光 文春文庫
2.カラマーゾフの兄弟1 ドストエフスキー 訳・亀山郁夫 光文社古典新訳文庫

さて、読んでどういう気持ちになるだろうか。

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青春のうた 第55巻 1970年代後期10

2008-03-10 21:15:44 | 読んだ
1.飛んでイスタンブール/庄野真代 1978年4月

この歌は好きである。
「ノリ」がいいと思うのである。
作詞:ちあき哲也、作曲:筒美京平、である。いわゆる「歌謡曲」にジャンル分けされてもいいかんじなのであるが、なんとなくニューミュージックにいろわけされているようである。

この歌の一番のいいところは「ドライ」感というか、乾いたカンジ、だと思う。
多分、失恋の歌なのであるが、やせ我慢しているような強がりが、湿っぽくなくて乾いた風に吹かれているような、さわやかさがある。

庄野真代の声と歌い方、そしてイメージにぴったりしていたから、なおさらよかったんだろう。

2.ガンダーラ/ゴダイゴ 1978年10月

ゴダイゴを知ったとき「ああ、日本の音楽も本当に変わった」と思った。

英語が「単語」だけ使われているのではなく、歌詞になっている。
外人がバンドメンバーにいる。
日本のメロディーとはちがったカンジの楽曲。

すごいなあ、と思ったのである。
そして、これはもうついていけない、と思ったのであった。

このころから、私の音楽の好みは、時代の先端をいくような歌から離れていった、と思うのである。

3.涙の誓い/アリス 1978年3月

この歌の1曲前「冬の稲妻」がアリスをビックにした。
それはツイン・ボーカルとリズム感というアリスの特徴を、凝った歌にしないで、割と単純な形で表すことができたからだと思う。

この歌も冬の稲妻もわりと簡単なコード進行でシンプルなメロディー、それでいてツインボーカルの聞かせどころもある、アリスのサウンド確立、といった感じがしてものである。

これ以降はビックになった「勢い」と確立されたサウンドに裏づけされたカンジで、発表する歌がみんなよく聞こえるようになる、そして過去の歌までもが再評価され、いよいよアリスはビックになっていったのであった。

4.ボサノバ/福島邦子 1979年12月

なんとなく聞いたことがあるような気もするが、まあじっくりと聞いたのは今回が初めてだと思う。

いい歌ジャン、というのが感想。

説明を読むと、81年に研ナオコがヒットさせたという。
もしかしてそちらで聞いたのだろうか。

ちょっと難しそうな歌で、当時の私は単純明快を好んでいたので興味を持たなかったんだろうと思う。

5.孤独のマラソン・ランナー/自切俳人とヒューマン・ズー 1977年6月

この歌も初めて聞いた。
自切俳人とは、北山修だそうで、そういわれればそういうような歌だと思う。

それにしても、1970年代後半、私はどんな歌を好んで聴いていたんだろうか?
そういえば、FMラジオのエアチェックもあまりしなかったような気もするし、そもそもラジオを聴かなくなっていた。
音楽から少し遠ざかっていたような、そんな時代だったのかもしれない。

6.青春/松山千春 1978年4月

そういうわけで、松山千春や中島みゆきにもあまり興味を示さず、松任谷由実もあまり好きではなく・・・

サザンオールスターズやツイストはよく聴いていたような気がする。

それから、このころから「カラオケ」がどこの店に行ってもあるようになり、カラオケで歌えるようなものを探していたような気がする。

さて、松山千春は嫌いではない。
しかし、このころの松山千春は「キレイ」「繊細」で、ちょっと自分のイメージとはあわないような気がしていたのである。

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春 福寿草

2008-03-09 18:30:04 | 
暖かい一日であった。
高橋尚子は早々に脱落してしまったが、見ごたえのあるマラソンであった。

庭に福寿草が咲いたので久しぶりに写真を撮った。
 

春ですねえ。
暖かい日差しと黄色い花。
まだ緑は少ないが「うきうき」というか「わくわく」した気分になる。(はずなのだが、今年はなんだかまだ事故の精神的後遺症なのか、あまりそういう気分にならない)

もうひとつ福寿草


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