本日は穏やかな日和で、特に午前中は風もなく、いい気分で過ごすことができた。
というわけで、我が東北にも桜の花が咲き、まさに本日は花見日和。
で、わが町をでて、さくら野花の開花調査に出かけてきました。
宮城県栗原市若柳町の迫川河畔は満開から花びらが舞い始めている状態。
岩手県一関市釣山公園は、車を停めることができなかったが磐井川河畔の桜が満開状態であるので、それに近いと想像する。
岩手県平泉町の「西行桜」は山にあるため咲き始めの状態もしくは蕾の状態。1週間後は最高の咲き具合ではないかと予測。
同じく平泉町の中尊寺近辺の桜は満開。ちょうど見頃の状態。山の上は5分から7分の状態。藤原祭りは桜舞う中で行われるのではないか、と予測。
岩手県奥州市水沢区の水沢競馬場の桜は満開の状態。風が強いにもかかわらず花吹雪が舞わないのはこれから最高潮に達するのではないだろうか。
ということで、明日にでも嘉壽家堂本店のほうに、本日撮影してきた写真をアップする予定である。
というわけで、我が東北にも桜の花が咲き、まさに本日は花見日和。
で、わが町をでて、さくら野花の開花調査に出かけてきました。
宮城県栗原市若柳町の迫川河畔は満開から花びらが舞い始めている状態。
岩手県一関市釣山公園は、車を停めることができなかったが磐井川河畔の桜が満開状態であるので、それに近いと想像する。
岩手県平泉町の「西行桜」は山にあるため咲き始めの状態もしくは蕾の状態。1週間後は最高の咲き具合ではないかと予測。
同じく平泉町の中尊寺近辺の桜は満開。ちょうど見頃の状態。山の上は5分から7分の状態。藤原祭りは桜舞う中で行われるのではないか、と予測。
岩手県奥州市水沢区の水沢競馬場の桜は満開の状態。風が強いにもかかわらず花吹雪が舞わないのはこれから最高潮に達するのではないだろうか。
ということで、明日にでも嘉壽家堂本店のほうに、本日撮影してきた写真をアップする予定である。
1.中央フリーウェイ ハイ・ファイ・セット 1977年
赤い鳥が解散して「ハイ・ファイ・セット」と「紙ふうせん」に分かれた時、どちらかといえば「紙ふうせん」を応援したものでした。ハイ・ファイ・セットはユーミン(荒井由美=松任谷由美)の力を借りて「なんだかなあ」と思ったものでした。それが、いつの頃からかハイ・ファイ・セットのファンになり仙台のコンサートの常連となったのですから不思議です。
ハイ・ファイ・セットがユーミンの作品を歌うと上品感が高まり、オリジナルよりずっといいなあ、と思うのです。
中央フリーウェイ、卒業写真、冷たい雨、海を見ていた午後etc
事件があってもう復活することはないけれど、それでもまたあのコーラスを聴いてみたいと思うのです。
今、山本潤子さんはフォークソングをよくうたっていますが、ポップな曲もまた歌って欲しいと思います。
2.木綿のハンカチーフ 太田裕美 1975年
太田裕美はNHKの「ステージ101」に出てきたときから注目株であった。
「雨だれ」でデビューをしたもののその後あまりぱっとしないので心配していたらこの「木綿のハンカチーフ」が売れて、ああ良かったなあ、と思ったものでした。舌足らずのような歌いかた、大丈夫かなあ、と思ってしまうのですが、案外しっかりしているのが魅力です。
木綿のハンカチーフは、あの当時、ちょっと時代遅れではないかなあ、とおもうようなテーマだったのです。都会へ行った男の子を地方に残った女の子が慕い続ける、なんていないよなあ、なんて。
それと、こんなに慕われたら、迎えに来るか帰ってくるよなあ、と慕われたことのない私はこの歌の男の子に対して怒ってしまったのでした。
3.わかれうた 中島みゆき 1977年
中島みゆきの歌では最も好きな曲である。
振られることばっかりだった私にとって、ほんとに身につまされるようでした。
今でもこの唄を歌うとちょっとつまったりします。
♪ 恋の終わりは いつもいつも
立ち去るものだけが 美しい
残されて 戸惑う者たちは
追いかけて焦がれて 泣き狂う♪
という部分は「ほんとになあ」と心から同感し、いつか「立ち去る者」になりたいと願ったものでした。(遂になれなかったけれど)
4.「いちご白書」をもう一度 バンバン 1975年
「いちご白書」という映画を観たことがなかった。そして今でも観たことがない。それなのに、この歌のおかげでなんだか見たような気分でいる。
荒井由美の作詞作曲であるが、もう「バンバン」のものである。
高校卒業の年の曲であり、高校卒業と同時に「今までのようなわけには行かない」となんとなく感じていたのが、この歌で、その思いをさらに増幅させたような気がする。
この歌は、歌っていて気持ちがよくなる。なんだか無理やりに音程が上がっていくというか力ずくでそれでいて優しく音階を上げていくカンジが好きだ。
5.青春時代 森田公一とトップギャラン 1976年
森田公一は歌謡曲の作曲家で好きな作家であった。それが何をどうしたのか、こんな歌を作り自分で歌いヒットさせたのである。
この歌は丁度青春の真っ只中にいた私にとってはなんだか「恥ずかしい」うたであった。
♪ 青春時代が夢なんて あとからほのぼの思うもの
青春時代のまん中は 道にまよっているばかり ♪
なんて、わかったようなことを今言われても、なんだか犯人を教えられてから読む推理小説のようなカンジで、実は当時腹を立てていて、あまり好んではいなかったのだ。しかし、いまや「あとからほのぼの思うもの」の年代になると、なんだか大きな声で歌いたくなるのであった。
森田公一とトップギャランでは「下宿屋」のほうが好きである。あまりというかぜんぜん知られていないけれど・・・
6.襟裳岬 よしだたくろう 1974年
この歌で森進一がレコード大賞をとり、舞台に吉田拓郎と作詩の岡本おさみが上がってきて握手かなんかしたのを見たとき、泉谷しげるふうに「どうだこのやろー!」という気持になった、と同時に、「いいのか?」という思いもあった。
テレビをはじめ既存のメディアに対して突っ張っていたのではないか、俺たちも拓郎のあとに続いて、だらけきった年寄りくさいこんな世の中を新しいやり方で変えるんだ、と思っていた。心の底から思っていた。
そんなとき、拓郎は拓郎の歌でその年のレコード大賞をとった。
それで、舞台にも現れずテレビに己をさらけ出すこともないものだと思っていた。だから「マスコミに身を売ったか?」というのがあって、ちょっと複雑な気持ちであった。
♪ 襟裳の春は 何もない春です ♪
という部分、つまり「何もない」というのがけしからん、というのが当時あったが、どう思ったって勝手でしょ、「詩」というのはそういうものではないか、どうして皆が同じことを思い感じなくてはならないのか、そっちのほうこそ「ヘン」だと思っていた。
私としては「歌謡曲」で
♪ 角砂糖 ひとつだったね ♪
とか
「わずらわしさ」「いじける」なんてコトバが新鮮で、そっちのほうこそ「いいのか」つまり皆にわかってもらえれるのだろうか、と心配をしたものだった。
森進一の「襟裳岬」はそれなりにいいのだが、拓郎の「襟裳岬」はごくあっさりとしていて、いいなあ、としみじみ思うのであった。
赤い鳥が解散して「ハイ・ファイ・セット」と「紙ふうせん」に分かれた時、どちらかといえば「紙ふうせん」を応援したものでした。ハイ・ファイ・セットはユーミン(荒井由美=松任谷由美)の力を借りて「なんだかなあ」と思ったものでした。それが、いつの頃からかハイ・ファイ・セットのファンになり仙台のコンサートの常連となったのですから不思議です。
ハイ・ファイ・セットがユーミンの作品を歌うと上品感が高まり、オリジナルよりずっといいなあ、と思うのです。
中央フリーウェイ、卒業写真、冷たい雨、海を見ていた午後etc
事件があってもう復活することはないけれど、それでもまたあのコーラスを聴いてみたいと思うのです。
今、山本潤子さんはフォークソングをよくうたっていますが、ポップな曲もまた歌って欲しいと思います。
2.木綿のハンカチーフ 太田裕美 1975年
太田裕美はNHKの「ステージ101」に出てきたときから注目株であった。
「雨だれ」でデビューをしたもののその後あまりぱっとしないので心配していたらこの「木綿のハンカチーフ」が売れて、ああ良かったなあ、と思ったものでした。舌足らずのような歌いかた、大丈夫かなあ、と思ってしまうのですが、案外しっかりしているのが魅力です。
木綿のハンカチーフは、あの当時、ちょっと時代遅れではないかなあ、とおもうようなテーマだったのです。都会へ行った男の子を地方に残った女の子が慕い続ける、なんていないよなあ、なんて。
それと、こんなに慕われたら、迎えに来るか帰ってくるよなあ、と慕われたことのない私はこの歌の男の子に対して怒ってしまったのでした。
3.わかれうた 中島みゆき 1977年
中島みゆきの歌では最も好きな曲である。
振られることばっかりだった私にとって、ほんとに身につまされるようでした。
今でもこの唄を歌うとちょっとつまったりします。
♪ 恋の終わりは いつもいつも
立ち去るものだけが 美しい
残されて 戸惑う者たちは
追いかけて焦がれて 泣き狂う♪
という部分は「ほんとになあ」と心から同感し、いつか「立ち去る者」になりたいと願ったものでした。(遂になれなかったけれど)
4.「いちご白書」をもう一度 バンバン 1975年
「いちご白書」という映画を観たことがなかった。そして今でも観たことがない。それなのに、この歌のおかげでなんだか見たような気分でいる。
荒井由美の作詞作曲であるが、もう「バンバン」のものである。
高校卒業の年の曲であり、高校卒業と同時に「今までのようなわけには行かない」となんとなく感じていたのが、この歌で、その思いをさらに増幅させたような気がする。
この歌は、歌っていて気持ちがよくなる。なんだか無理やりに音程が上がっていくというか力ずくでそれでいて優しく音階を上げていくカンジが好きだ。
5.青春時代 森田公一とトップギャラン 1976年
森田公一は歌謡曲の作曲家で好きな作家であった。それが何をどうしたのか、こんな歌を作り自分で歌いヒットさせたのである。
この歌は丁度青春の真っ只中にいた私にとってはなんだか「恥ずかしい」うたであった。
♪ 青春時代が夢なんて あとからほのぼの思うもの
青春時代のまん中は 道にまよっているばかり ♪
なんて、わかったようなことを今言われても、なんだか犯人を教えられてから読む推理小説のようなカンジで、実は当時腹を立てていて、あまり好んではいなかったのだ。しかし、いまや「あとからほのぼの思うもの」の年代になると、なんだか大きな声で歌いたくなるのであった。
森田公一とトップギャランでは「下宿屋」のほうが好きである。あまりというかぜんぜん知られていないけれど・・・
6.襟裳岬 よしだたくろう 1974年
この歌で森進一がレコード大賞をとり、舞台に吉田拓郎と作詩の岡本おさみが上がってきて握手かなんかしたのを見たとき、泉谷しげるふうに「どうだこのやろー!」という気持になった、と同時に、「いいのか?」という思いもあった。
テレビをはじめ既存のメディアに対して突っ張っていたのではないか、俺たちも拓郎のあとに続いて、だらけきった年寄りくさいこんな世の中を新しいやり方で変えるんだ、と思っていた。心の底から思っていた。
そんなとき、拓郎は拓郎の歌でその年のレコード大賞をとった。
それで、舞台にも現れずテレビに己をさらけ出すこともないものだと思っていた。だから「マスコミに身を売ったか?」というのがあって、ちょっと複雑な気持ちであった。
♪ 襟裳の春は 何もない春です ♪
という部分、つまり「何もない」というのがけしからん、というのが当時あったが、どう思ったって勝手でしょ、「詩」というのはそういうものではないか、どうして皆が同じことを思い感じなくてはならないのか、そっちのほうこそ「ヘン」だと思っていた。
私としては「歌謡曲」で
♪ 角砂糖 ひとつだったね ♪
とか
「わずらわしさ」「いじける」なんてコトバが新鮮で、そっちのほうこそ「いいのか」つまり皆にわかってもらえれるのだろうか、と心配をしたものだった。
森進一の「襟裳岬」はそれなりにいいのだが、拓郎の「襟裳岬」はごくあっさりとしていて、いいなあ、としみじみ思うのであった。
「日本の合戦」の最も期待している部分は「合戦俯瞰図」である。
創刊号からいくつかまでは、相当「力(リキ)」が入っていたが、近頃はチョイト手抜きじゃないか?とつっこみたくなる出来になってきた。
さて、今回はコレまでで唯一知っている「トコロ」である。
「平泉」ってこうだったのか!
カンゲキ、してしまった。
今の平泉からはちょっと想像できない町並みである。
サスガ、奥州の首都、というかんじである。
そういえば蛇足ながら、この平泉の北方に位置する「水沢市」や「江刺市」など2市3町が合併して「奥州市」になったが、すごく違和感ある。
別にアンタのところだけが「奥州」じゃあるまい!
とおもうのだ。
ちなみに、平泉町の北側は奥州市、南側は一関市である。平泉町は合併をしなかった。
さて、この平泉の町並みを見て、もう一度現地を確認してみようなどと思うのだ。
ゴールデンウィークには混んでいそうだが・・・
創刊号からいくつかまでは、相当「力(リキ)」が入っていたが、近頃はチョイト手抜きじゃないか?とつっこみたくなる出来になってきた。
さて、今回はコレまでで唯一知っている「トコロ」である。
「平泉」ってこうだったのか!
カンゲキ、してしまった。
今の平泉からはちょっと想像できない町並みである。
サスガ、奥州の首都、というかんじである。
そういえば蛇足ながら、この平泉の北方に位置する「水沢市」や「江刺市」など2市3町が合併して「奥州市」になったが、すごく違和感ある。
別にアンタのところだけが「奥州」じゃあるまい!
とおもうのだ。
ちなみに、平泉町の北側は奥州市、南側は一関市である。平泉町は合併をしなかった。
さて、この平泉の町並みを見て、もう一度現地を確認してみようなどと思うのだ。
ゴールデンウィークには混んでいそうだが・・・
2000年1月号から連載されていた「一週間」が2006年4月号で完結した。
全部で43回である。ということは6年と4ヶ月であるから76月あるのに43回なのである。
なんていったって、この一年半くらいはずっと掲載されず「ひとしれず終了したのか」などと思っていたのである。
そうしたらいきなり3月号から連載再開。そして4月号で終了。
従って、思い出す間もなく「あっけなく」終了してしまい、読後感とか余韻などというのはないのである。
「唐突」にというのが印象なのである。
さて、この「一週間」というのはタイトルどうり一週間の出来事を小説にしている。舞台は第2次世界大戦終戦後のロシアの捕虜収容所である。
で、話の中身ははっきり言って「つまらない」
というか、一気に通して読んでみるとそうではないのかもしれないが、兎も角あまりにも連載が長すぎて、しかも、途中に休みがはいるため、どうしてものめり込めないのであった。
いずれ文庫本になったら読み返そうかとは思うが、このために小説新潮をずっと買い続けたのだから、なんといいましょうか、記念の小説ではある。
全部で43回である。ということは6年と4ヶ月であるから76月あるのに43回なのである。
なんていったって、この一年半くらいはずっと掲載されず「ひとしれず終了したのか」などと思っていたのである。
そうしたらいきなり3月号から連載再開。そして4月号で終了。
従って、思い出す間もなく「あっけなく」終了してしまい、読後感とか余韻などというのはないのである。
「唐突」にというのが印象なのである。
さて、この「一週間」というのはタイトルどうり一週間の出来事を小説にしている。舞台は第2次世界大戦終戦後のロシアの捕虜収容所である。
で、話の中身ははっきり言って「つまらない」
というか、一気に通して読んでみるとそうではないのかもしれないが、兎も角あまりにも連載が長すぎて、しかも、途中に休みがはいるため、どうしてものめり込めないのであった。
いずれ文庫本になったら読み返そうかとは思うが、このために小説新潮をずっと買い続けたのだから、なんといいましょうか、記念の小説ではある。
大山康晴とは将棋の15世名人である。
その「伝記」を同じく棋士である河口俊彦7段が書いたのである。
では将棋のことがわからなければ、この本を読んでもわからないのか?
大丈夫、将棋の駒の動かし方がわからなくても大山康晴のことはわかる。
勿論、少しでも将棋を知っていればナオわかる。
この大山康晴の伝記は、大山を称えるだけでなくそして大山を批判するだけでなく、実に真っすぐに大山を描いている。
そして将棋界というのは世間からかけ離れた存在ではあるが、実は我々と同じような世界でもある、ということもわかるのである。
我々素人は、その局面局面での指し手やその変化について解説をされると「なるほどー」と思うのであるが、プロの棋士はその局面を作り上げているのである。
つまり作る人と観る人の大きな違いがプロと素人の違いであるとも言える。
その「作る人」がどのようにして将棋の戦いを作っているのか、その過程でどのような苦闘をしているのか、そんなことがわかるのである。
また、大山康晴を真っすぐ書いていることで、大山康晴というのは「将棋の名人」というだけでなく、実は、あらゆる世界で成功する人たちと共通の部分を持つ、その面での「普遍的な人」であるということを、読んでいくにつれ知ることができるのである。
将棋は「技術」だけではない。
勿論「技術」が優れていることが最も重要であるが、「勝つ」ことにこだわる姿勢を持ち続けることが大切である。
勝つために、人に嫌われてもいい、或いは人に好かれるべきである、健康が大切であるなどなど、全知全能をもってその時の自分に与えられた条件や環境に対して素直に自分を創っていく姿勢を持ち続けることができないと、いわゆる「偉業」は達成できない。
そして、作り上げようとすることはある程度の人間ならできるのであるが、実際に作ることができるのは、ある種の「先天性」がなければならない・
そんなことをこの本を読んで思ったのである。
将棋界は「天才」の集まりである。
その天才たちの中で勝ち続けるには並大抵のものではない。
それが何故、大山康晴にはできたのか?
河口俊彦なりの見方が本書で著されている。
多くの天才たちを観てきた、そしてその天才たちの将棋を読み解く力の棋士であることが、この本をなお読み応えのあるものにしたといえる。
「すごいなあ」と大山康晴に対してあらためて思うのであった。
その「伝記」を同じく棋士である河口俊彦7段が書いたのである。
では将棋のことがわからなければ、この本を読んでもわからないのか?
大丈夫、将棋の駒の動かし方がわからなくても大山康晴のことはわかる。
勿論、少しでも将棋を知っていればナオわかる。
この大山康晴の伝記は、大山を称えるだけでなくそして大山を批判するだけでなく、実に真っすぐに大山を描いている。
そして将棋界というのは世間からかけ離れた存在ではあるが、実は我々と同じような世界でもある、ということもわかるのである。
我々素人は、その局面局面での指し手やその変化について解説をされると「なるほどー」と思うのであるが、プロの棋士はその局面を作り上げているのである。
つまり作る人と観る人の大きな違いがプロと素人の違いであるとも言える。
その「作る人」がどのようにして将棋の戦いを作っているのか、その過程でどのような苦闘をしているのか、そんなことがわかるのである。
また、大山康晴を真っすぐ書いていることで、大山康晴というのは「将棋の名人」というだけでなく、実は、あらゆる世界で成功する人たちと共通の部分を持つ、その面での「普遍的な人」であるということを、読んでいくにつれ知ることができるのである。
将棋は「技術」だけではない。
勿論「技術」が優れていることが最も重要であるが、「勝つ」ことにこだわる姿勢を持ち続けることが大切である。
勝つために、人に嫌われてもいい、或いは人に好かれるべきである、健康が大切であるなどなど、全知全能をもってその時の自分に与えられた条件や環境に対して素直に自分を創っていく姿勢を持ち続けることができないと、いわゆる「偉業」は達成できない。
そして、作り上げようとすることはある程度の人間ならできるのであるが、実際に作ることができるのは、ある種の「先天性」がなければならない・
そんなことをこの本を読んで思ったのである。
将棋界は「天才」の集まりである。
その天才たちの中で勝ち続けるには並大抵のものではない。
それが何故、大山康晴にはできたのか?
河口俊彦なりの見方が本書で著されている。
多くの天才たちを観てきた、そしてその天才たちの将棋を読み解く力の棋士であることが、この本をなお読み応えのあるものにしたといえる。
「すごいなあ」と大山康晴に対してあらためて思うのであった。
本日は、久々に晴れ上がり風は強いものの暖かい陽気でした。
そんな中、楽天イーグルスが、なんと首位西武ライオンズに1-0で勝ちました。
暖かい日が続かず、楽天の連勝も続かないので、いい調子のままダブルヘッダーをして2連勝、ということなどを考えてみたりなんかして・・・
本日は娘が仙台で一人暮らしをするため引越しをしてまいりました。
本来ならば4月9日に行うはずでしたが、父がなくなったため延期をしていたものです。
仙台はすでに桜が咲いて、いよいよお花見が本格的に始まるようですが、私の住んでいる県北部はつぼみの赤さが目立ってきましたが、まだ「桜咲く」とはいえない状況です。
来週には咲いていると思われますので、これから桜を追いかけて、平泉・北上・角館と行ってみたい、と思っているのですが・・・
そんな中、楽天イーグルスが、なんと首位西武ライオンズに1-0で勝ちました。
暖かい日が続かず、楽天の連勝も続かないので、いい調子のままダブルヘッダーをして2連勝、ということなどを考えてみたりなんかして・・・
本日は娘が仙台で一人暮らしをするため引越しをしてまいりました。
本来ならば4月9日に行うはずでしたが、父がなくなったため延期をしていたものです。
仙台はすでに桜が咲いて、いよいよお花見が本格的に始まるようですが、私の住んでいる県北部はつぼみの赤さが目立ってきましたが、まだ「桜咲く」とはいえない状況です。
来週には咲いていると思われますので、これから桜を追いかけて、平泉・北上・角館と行ってみたい、と思っているのですが・・・
2月25日から映画が公開されている、とのこと。
今の気分は「マンガ」なので、週刊誌を買うついでにのぞいてみたら、コレを発見。
県庁に勤めるエリート野村が主人公。
彼はある日、知事に呼ばれ直々に民間との人事交流プロジェクトの第一期生に選ばれたことを告げられる。
そして、あるスーパーマーケットに派遣される。
しかし・・・という話である。
県庁のエリートではあっても民間ではゼンゼン使えない、というのがこの話の面白いところであり、公務員と民間とのギャップが辛らつに描かれている、ところがうける。
この野村のような人にはいっぱい遭ってきた。
絶対にこのような公務員にはならないように心がけてきたつもりであるが、思い当たるふしがないでもない。
ある研修で「民間からぜひうちの会社に来てくださいといわれる公務員になってください。」といわれたことがあり、そのことを心しているのであるが、いまだ誘われていない。
野村が公務員言葉で話すと民間では通じない。
しかし「お客さんが喜ぶこと」を公務員はできないのである。なぜならお客さんが喜ぶのは自分を特別にあつかって欲しいことだからなのだから。
公務員の仕事は「公平、平等」であって、個々の裁量で税をまけたりできないのである。
誰でも一般的には「公平、平等」に取り扱うべきだと思うが、しかし「自分だけは特別」とも思っている。
このあたりを民間はうまく処理することが可能だけれど「行政」はそうは行かない。税金を多く納める人には国道や県道を通ることを許すが少なく納める人には許さない、ということをしないように、ある条件の下には公平・平等をモットーとしなければならない。とするとある種杓子定規になってしまう。
このあたりが、よく理解されていないんだろうなあ。
ただし、公務員の態度が悪いとかあまりにも杓子定規である、という批判は、私もそうだと思う。周りを見ていて、実感としてそう思うことが、特に近頃思うようになってきた。
そのあたりは、おいおいに、ということで、今回は深く追求しない。
とまあ、そんなことを思って、このマンガを読み、まあ極端或いはデフォルメしてはあるが、公務員が民間へ派遣されたらこんなもんだろうなあ、としみじみ思い、一年間の派遣で県庁が変わるのだろうか、とも思うのであった。
今の気分は「マンガ」なので、週刊誌を買うついでにのぞいてみたら、コレを発見。
県庁に勤めるエリート野村が主人公。
彼はある日、知事に呼ばれ直々に民間との人事交流プロジェクトの第一期生に選ばれたことを告げられる。
そして、あるスーパーマーケットに派遣される。
しかし・・・という話である。
県庁のエリートではあっても民間ではゼンゼン使えない、というのがこの話の面白いところであり、公務員と民間とのギャップが辛らつに描かれている、ところがうける。
この野村のような人にはいっぱい遭ってきた。
絶対にこのような公務員にはならないように心がけてきたつもりであるが、思い当たるふしがないでもない。
ある研修で「民間からぜひうちの会社に来てくださいといわれる公務員になってください。」といわれたことがあり、そのことを心しているのであるが、いまだ誘われていない。
野村が公務員言葉で話すと民間では通じない。
しかし「お客さんが喜ぶこと」を公務員はできないのである。なぜならお客さんが喜ぶのは自分を特別にあつかって欲しいことだからなのだから。
公務員の仕事は「公平、平等」であって、個々の裁量で税をまけたりできないのである。
誰でも一般的には「公平、平等」に取り扱うべきだと思うが、しかし「自分だけは特別」とも思っている。
このあたりを民間はうまく処理することが可能だけれど「行政」はそうは行かない。税金を多く納める人には国道や県道を通ることを許すが少なく納める人には許さない、ということをしないように、ある条件の下には公平・平等をモットーとしなければならない。とするとある種杓子定規になってしまう。
このあたりが、よく理解されていないんだろうなあ。
ただし、公務員の態度が悪いとかあまりにも杓子定規である、という批判は、私もそうだと思う。周りを見ていて、実感としてそう思うことが、特に近頃思うようになってきた。
そのあたりは、おいおいに、ということで、今回は深く追求しない。
とまあ、そんなことを思って、このマンガを読み、まあ極端或いはデフォルメしてはあるが、公務員が民間へ派遣されたらこんなもんだろうなあ、としみじみ思い、一年間の派遣で県庁が変わるのだろうか、とも思うのであった。
今話題の或いはブームの「藤原正彦」である。
どっかで見た顔だなあ、と思っていたら、ナント、新田次郎のご子息であった。
新田次郎の「山岳もの」は高校時代よく読んでいたなあ・・・などと思いつつ、新聞に掲載された藤原正彦の論説を読み「そうだそうだ」と感心をしていたのであった。
そんなことから「では手始めに」ということで本書を選んだのである。
世の中には「総論賛成、各論反対」という事象は多いが、本書を読んで思ったのは「各論賛成、総論反対」ということであった。
現在の日本が抱えている様々な課題の分析は概ね肯んずることができるが、だからといって「日本が良くて欧米が悪い」というようなことは一概には言えないと思うのである。
戦後の民主主義の導入の方法が非常にまずかった、と私は考えており、民主主義を早急に押し付けたがために、現在の日本は多くの課題を抱えているのだと思うのである。
著者は、これらの課題を解決するに「武士道」ということを重要視しているが、なぜ今さら武士道なのだろうか?
日本が日本という国の中でよりよい秩序をもち、なおかつ地球のなかでいい環境を求めていこうとするとき、従来の倫理だけではダメだと思う。
それは、欧米が長年かけて作り上げてきた「民主主義」や「資本主義」が行き詰まりをみせていることとおなじで、これから必要なのは新しい「地球主義」のようなものではないのだろうか?
言わんとしていることはよくわかる(つもり)ではあるが、その先が武士道というのは、グイグイと盛り上げて期待させていった挙句の「答え」としてはガッカリしたのであった。
確かに論理的・合理的・効率的な考え方だけでは世の中はうまくはいかない。しかし義理や人情(著者は「惻隠の情」といっているが)を前面に押し出すには、我々の暮らす社会は広すぎるのである。
ある種の平等・公平を保つには「情」だけではなんともならないのである。
論理と情をうまく使い分けることができるのは、天才、だけなのである。あの諸葛孔明でさえ「泣いて馬謖を切った」ことで秩序を保った。
本書は、その言わんとするところはわかるし、著者の情熱のようなものも感じとれ好感を持つのだが・・・根底にある考え方は危険である、といわざるを得ないのである。
どっかで見た顔だなあ、と思っていたら、ナント、新田次郎のご子息であった。
新田次郎の「山岳もの」は高校時代よく読んでいたなあ・・・などと思いつつ、新聞に掲載された藤原正彦の論説を読み「そうだそうだ」と感心をしていたのであった。
そんなことから「では手始めに」ということで本書を選んだのである。
世の中には「総論賛成、各論反対」という事象は多いが、本書を読んで思ったのは「各論賛成、総論反対」ということであった。
現在の日本が抱えている様々な課題の分析は概ね肯んずることができるが、だからといって「日本が良くて欧米が悪い」というようなことは一概には言えないと思うのである。
戦後の民主主義の導入の方法が非常にまずかった、と私は考えており、民主主義を早急に押し付けたがために、現在の日本は多くの課題を抱えているのだと思うのである。
著者は、これらの課題を解決するに「武士道」ということを重要視しているが、なぜ今さら武士道なのだろうか?
日本が日本という国の中でよりよい秩序をもち、なおかつ地球のなかでいい環境を求めていこうとするとき、従来の倫理だけではダメだと思う。
それは、欧米が長年かけて作り上げてきた「民主主義」や「資本主義」が行き詰まりをみせていることとおなじで、これから必要なのは新しい「地球主義」のようなものではないのだろうか?
言わんとしていることはよくわかる(つもり)ではあるが、その先が武士道というのは、グイグイと盛り上げて期待させていった挙句の「答え」としてはガッカリしたのであった。
確かに論理的・合理的・効率的な考え方だけでは世の中はうまくはいかない。しかし義理や人情(著者は「惻隠の情」といっているが)を前面に押し出すには、我々の暮らす社会は広すぎるのである。
ある種の平等・公平を保つには「情」だけではなんともならないのである。
論理と情をうまく使い分けることができるのは、天才、だけなのである。あの諸葛孔明でさえ「泣いて馬謖を切った」ことで秩序を保った。
本書は、その言わんとするところはわかるし、著者の情熱のようなものも感じとれ好感を持つのだが・・・根底にある考え方は危険である、といわざるを得ないのである。
長い休みでした。本日より職場にも復帰しました。
4月7日(金)の深夜というか8日(土)の朝というか、かねてより自宅で養生をしていた父の具合がおかしいことに母が気づき、かかりつけの先生に往診をしてもらいましたが、1時58分に亡くなりました。
家族6人と報せで駆けつけた親族3人に見守られ、最期はゆっくりと自ら目を閉じスーッと息を引きとりました。
初めて、人が亡くなるところを目の当たりにして、大きな感動を受けたものでした。
その感動や余韻に浸る間もなく、儀式、の準備をおこなわなければならず、現実に引き戻され、葬儀社の手配、寺との打合せ、主だった親族・知人・隣組などへの連絡などに駆けずり回り、自宅への祭壇の設置、急を聞いて駆けつけた人たちへの応対etcで8日は終わり、以降、10日の火葬、12日の葬儀と慌しい日々が続いたのです。
しかし、不思議と疲れを感じることもなく今日まできました。
今回、父が亡くなったことそして葬儀を執り行ったこと、で大きく感じたというか再確認をしたのは、周囲の人々の力添え、でした。
本当に「感謝」の気持ちでいっぱいです。
なにしろ、こちらは初めてのことであり不慣れ未熟なので、無作法や不行き届きのところがあったたのですが、本当にお世話になりました。
家族、親戚、友人、上司・同僚、近所の人たちそして関わっていただいた或いは弔問いただいた方々すべてに感謝です。
ということで、父が亡くなったことについて感傷的にもならず、バタバタと過ごしてしまったのですが、この「感傷的」という部分については、いずれホームページのほうで書き表してみたいと思っています。
この一週間、読んだのはマンガ「ブッタ」(手塚治虫)と「水滸伝」(横山光輝)ですが、あしたからはまた読書日記として書いていこうと思っています。
これからもよろしくお願いします。
4月7日(金)の深夜というか8日(土)の朝というか、かねてより自宅で養生をしていた父の具合がおかしいことに母が気づき、かかりつけの先生に往診をしてもらいましたが、1時58分に亡くなりました。
家族6人と報せで駆けつけた親族3人に見守られ、最期はゆっくりと自ら目を閉じスーッと息を引きとりました。
初めて、人が亡くなるところを目の当たりにして、大きな感動を受けたものでした。
その感動や余韻に浸る間もなく、儀式、の準備をおこなわなければならず、現実に引き戻され、葬儀社の手配、寺との打合せ、主だった親族・知人・隣組などへの連絡などに駆けずり回り、自宅への祭壇の設置、急を聞いて駆けつけた人たちへの応対etcで8日は終わり、以降、10日の火葬、12日の葬儀と慌しい日々が続いたのです。
しかし、不思議と疲れを感じることもなく今日まできました。
今回、父が亡くなったことそして葬儀を執り行ったこと、で大きく感じたというか再確認をしたのは、周囲の人々の力添え、でした。
本当に「感謝」の気持ちでいっぱいです。
なにしろ、こちらは初めてのことであり不慣れ未熟なので、無作法や不行き届きのところがあったたのですが、本当にお世話になりました。
家族、親戚、友人、上司・同僚、近所の人たちそして関わっていただいた或いは弔問いただいた方々すべてに感謝です。
ということで、父が亡くなったことについて感傷的にもならず、バタバタと過ごしてしまったのですが、この「感傷的」という部分については、いずれホームページのほうで書き表してみたいと思っています。
この一週間、読んだのはマンガ「ブッタ」(手塚治虫)と「水滸伝」(横山光輝)ですが、あしたからはまた読書日記として書いていこうと思っています。
これからもよろしくお願いします。
WOWOWで今観たばかりである。再放送らしい。
角田光代の直木賞受賞作を原作として制作された。
惹句は
性格も立場も違う女同士に
友情は成立するのか?
という問いかけを
真摯にリアルに描いた
大人の青春ドラマ
である。
主人公には「夏川結衣」そして「財前直美」、それから青春編ともいえる部分には「石田未来」と「多部未華子」
実は、角田光代の原作ということも知らずに、夏川結衣が主演ということと今夜はゆっくりドラマを見てみたい、ということからこのドラマを見たのである。
で、久々に「よかった」としみじみと思ったのである。
青春時代、生活、なんて考えていないときの生き方についての問いかけと、いわゆる大人になって、生活、を考えなければならないときの生き方についての問いかけはおなじなのである。
そして、その問いかけには「正解」はない。
と、そんなことをきれいな画像と存在感のある女優たちによって、素直に伝わるように描いている。
チョット疲れ気味、イライラ気味のワタシには、いい清涼剤あるいは安定剤になった。
角田光代の原作も読んでみようかと思ったのである。
角田光代の小説は雑誌などで読んだことがあり「ああ、雑誌向きだなあ」という印象があるが、この小説は読んでみよう。
角田光代の直木賞受賞作を原作として制作された。
惹句は
性格も立場も違う女同士に
友情は成立するのか?
という問いかけを
真摯にリアルに描いた
大人の青春ドラマ
である。
主人公には「夏川結衣」そして「財前直美」、それから青春編ともいえる部分には「石田未来」と「多部未華子」
実は、角田光代の原作ということも知らずに、夏川結衣が主演ということと今夜はゆっくりドラマを見てみたい、ということからこのドラマを見たのである。
で、久々に「よかった」としみじみと思ったのである。
青春時代、生活、なんて考えていないときの生き方についての問いかけと、いわゆる大人になって、生活、を考えなければならないときの生き方についての問いかけはおなじなのである。
そして、その問いかけには「正解」はない。
と、そんなことをきれいな画像と存在感のある女優たちによって、素直に伝わるように描いている。
チョット疲れ気味、イライラ気味のワタシには、いい清涼剤あるいは安定剤になった。
角田光代の原作も読んでみようかと思ったのである。
角田光代の小説は雑誌などで読んだことがあり「ああ、雑誌向きだなあ」という印象があるが、この小説は読んでみよう。
近頃本を読むのに気分が違ってきている。
「気分」といっていいのか、と思うが、そんなカンジなのである。
つまり、何かを読んでいて「何かを得よう」という気分が底にある。それに気づくと自分で自分が「いらやしく」なってしまう。
若い時分には「ただ読む」だけでよかった。本を読んで何かを得ようなんて思ってもいなかった。面白ければよかった。そして面白ければ何回も読んだ。
それが今は・・・堕落したなあと思うのである。
さて「世に棲む日日」である。
コレを若いときに読んでいたら「人生観」が違っていたんだろうなあ、と思った。
「竜馬が行く」を読んだときにも思ったのだが、坂本竜馬と高杉晋作に影響を受けていたら、どうなったいたんだろう。
何かを「ぶっ壊す」或いは「自分中心」という考え方でいても、高杉晋作や坂本竜馬は魅力的だよなあ。
それなのに若い頃読んで憧れたのは、勝海舟と土方歳三だものなあ。
それはそれでいいんだけれど、今となってみると、高杉晋作や坂本竜馬もいいかなあと・・・
「世に棲む日日」は前半が<吉田松陰>が後半は<高杉晋作>が主人公である。
吉田松陰は純粋な「思想家」であり、高杉晋作は松蔭の弟子であってその思想を具現化する「現実家」である。
吉田松陰の魅力は、自らの思想を実現しようとするのに、徹底して「純粋」であり「技」を使わないことである。これって、現実的能力の欠如であるように思うのだが「思想家」はそうでなければならないと思う。
つまり、自らの考えや目的を実現するためには自らの考えや目的に反した手段をとってはならない、という「生きかた」である。
だからこそ美しい。
しかし、その行動は成功しない。成功しないから美しい。そしてだからこそその思想の高尚さが更に際立つ、のだと思う。
それに反して、高杉晋作は目的を果たすためには「手段」を選ばない。
手段を選ばないのに高杉晋作も美しい。
それは、彼が権力とか金に執着しなかったことによる、そしてそのことは「生まれと育ち」による。
で、現実的にはどちらとも「おつきあい」はしたくない。
どっちも「大変な人」だなあ、と思う。
そして、彼らの周りにいる「非天才」たちのほうに眼が行ったりして「こんなヤツいるよなあ」なんて思ったりする。
高杉晋作たちが長州藩の革命に成功したとき、彼らに味方についたのは「中間派」であった。
このくだりで、突如として読書の世界から現実に戻ったりした。
このあたりが、若い頃の読書と違うところである。
『そうなんだよな。こういうやつらが結局得したりしてんだよなあ』
と、ガッカリなんかして・・・
幕末期の長州というのはキライ、薩摩がスキ、というのが、コレまでの考え方であったが、40歳をすぎた頃から、長州のほうが理屈っぽいけれどわりと正直で扱いやすく、薩摩のほうが男っぽさを売りにして真っすぐのようだけど実はウラがあって扱いにくい、のではないかと思うようになってきた。
今回、この小説を読んで薩摩はどうあれ長州の正直さがわかってきた。
これまで、いわれなき嫌悪感があったのだが、なんとなく長州もいいかな、と思うようになり、防長を旅してみることもこれからの選択に入れてみようと思っているのである。
「気分」といっていいのか、と思うが、そんなカンジなのである。
つまり、何かを読んでいて「何かを得よう」という気分が底にある。それに気づくと自分で自分が「いらやしく」なってしまう。
若い時分には「ただ読む」だけでよかった。本を読んで何かを得ようなんて思ってもいなかった。面白ければよかった。そして面白ければ何回も読んだ。
それが今は・・・堕落したなあと思うのである。
さて「世に棲む日日」である。
コレを若いときに読んでいたら「人生観」が違っていたんだろうなあ、と思った。
「竜馬が行く」を読んだときにも思ったのだが、坂本竜馬と高杉晋作に影響を受けていたら、どうなったいたんだろう。
何かを「ぶっ壊す」或いは「自分中心」という考え方でいても、高杉晋作や坂本竜馬は魅力的だよなあ。
それなのに若い頃読んで憧れたのは、勝海舟と土方歳三だものなあ。
それはそれでいいんだけれど、今となってみると、高杉晋作や坂本竜馬もいいかなあと・・・
「世に棲む日日」は前半が<吉田松陰>が後半は<高杉晋作>が主人公である。
吉田松陰は純粋な「思想家」であり、高杉晋作は松蔭の弟子であってその思想を具現化する「現実家」である。
吉田松陰の魅力は、自らの思想を実現しようとするのに、徹底して「純粋」であり「技」を使わないことである。これって、現実的能力の欠如であるように思うのだが「思想家」はそうでなければならないと思う。
つまり、自らの考えや目的を実現するためには自らの考えや目的に反した手段をとってはならない、という「生きかた」である。
だからこそ美しい。
しかし、その行動は成功しない。成功しないから美しい。そしてだからこそその思想の高尚さが更に際立つ、のだと思う。
それに反して、高杉晋作は目的を果たすためには「手段」を選ばない。
手段を選ばないのに高杉晋作も美しい。
それは、彼が権力とか金に執着しなかったことによる、そしてそのことは「生まれと育ち」による。
で、現実的にはどちらとも「おつきあい」はしたくない。
どっちも「大変な人」だなあ、と思う。
そして、彼らの周りにいる「非天才」たちのほうに眼が行ったりして「こんなヤツいるよなあ」なんて思ったりする。
高杉晋作たちが長州藩の革命に成功したとき、彼らに味方についたのは「中間派」であった。
このくだりで、突如として読書の世界から現実に戻ったりした。
このあたりが、若い頃の読書と違うところである。
『そうなんだよな。こういうやつらが結局得したりしてんだよなあ』
と、ガッカリなんかして・・・
幕末期の長州というのはキライ、薩摩がスキ、というのが、コレまでの考え方であったが、40歳をすぎた頃から、長州のほうが理屈っぽいけれどわりと正直で扱いやすく、薩摩のほうが男っぽさを売りにして真っすぐのようだけど実はウラがあって扱いにくい、のではないかと思うようになってきた。
今回、この小説を読んで薩摩はどうあれ長州の正直さがわかってきた。
これまで、いわれなき嫌悪感があったのだが、なんとなく長州もいいかな、と思うようになり、防長を旅してみることもこれからの選択に入れてみようと思っているのである。
事務所の移転、システムの更新、電話の更新、コピー機の更新、と新しいモノづくめの2006年4月です。
久々の新しいパソコンで、最初からの設定をしなければなりません。
このくそ忙しいときにあーあ、と思っていましたが、必要に迫られてすぐに使用しなければならず、設定もイロイロとやらなければならない。
ところが、コレ、面白いんですねえ。
そうだそうだあそこはこうしなくては、とか、こんどはこっちのほうにしてみっか!などとわりと楽しんでいる。
また、パソコンの「進歩」具合も確認して、いまはこうなっているのか、と感心している。
我が社では、いまのところ口先での「制限」がおおいのだが、実質野放し状態のシステム管理なので、いろいろ設定をしている。(これまでは厳しいシステム管理であった反動か)
ということで、私物で使っているパソコンも新しいのが欲しくなってきた。
久々の新しいパソコンで、最初からの設定をしなければなりません。
このくそ忙しいときにあーあ、と思っていましたが、必要に迫られてすぐに使用しなければならず、設定もイロイロとやらなければならない。
ところが、コレ、面白いんですねえ。
そうだそうだあそこはこうしなくては、とか、こんどはこっちのほうにしてみっか!などとわりと楽しんでいる。
また、パソコンの「進歩」具合も確認して、いまはこうなっているのか、と感心している。
我が社では、いまのところ口先での「制限」がおおいのだが、実質野放し状態のシステム管理なので、いろいろ設定をしている。(これまでは厳しいシステム管理であった反動か)
ということで、私物で使っているパソコンも新しいのが欲しくなってきた。