副題は「マネージャーが見た波乱万丈回想記」である。
吉本興業に入社した著者が、横山やすし・西川きよしのマネージャーとなって二人と過ごした日々を語っている。
著者にとって「横山やすしは三島由紀夫である」ということから回想は始まる。
二人の生き方、横山やすしという名前が持つもの、三島由紀夫という名前が持つものを作り上げ、その作り上げた名前のとおり生きた、ということ。
なんだか難しい、のだが、本書を読めばなんとなくわかってくる。
私なりの解釈では、横山やすしはこう生きなければならないと規定し、その生き方を貫こうとしたが、社会との折り合いを欠いていく。
その生き方と、西川きよし(本名が西川潔)の生き方にずれが生じてくる。
生き方にずれは生じても「漫才」のずれにはならない。
ある時期まで・・・
そのあたりに物語がある、あるんだがノンフィクションであるがためか、或いはあまりに身近に接したことからなのか、筆者の表現は曖昧である。
その辺、突っ込んで欲しかった。
しかしそのことは「傷」にはなっていない。それを補って余りあるこのコンビの人間的な話が満載だから。
そして、その話の中から、自分の身の回りにもそんなことがあるなあ、と改めて気づかされたりして。
あっという間に読み終えてしまった。
吉本興業に入社した著者が、横山やすし・西川きよしのマネージャーとなって二人と過ごした日々を語っている。
著者にとって「横山やすしは三島由紀夫である」ということから回想は始まる。
二人の生き方、横山やすしという名前が持つもの、三島由紀夫という名前が持つものを作り上げ、その作り上げた名前のとおり生きた、ということ。
なんだか難しい、のだが、本書を読めばなんとなくわかってくる。
私なりの解釈では、横山やすしはこう生きなければならないと規定し、その生き方を貫こうとしたが、社会との折り合いを欠いていく。
その生き方と、西川きよし(本名が西川潔)の生き方にずれが生じてくる。
生き方にずれは生じても「漫才」のずれにはならない。
ある時期まで・・・
そのあたりに物語がある、あるんだがノンフィクションであるがためか、或いはあまりに身近に接したことからなのか、筆者の表現は曖昧である。
その辺、突っ込んで欲しかった。
しかしそのことは「傷」にはなっていない。それを補って余りあるこのコンビの人間的な話が満載だから。
そして、その話の中から、自分の身の回りにもそんなことがあるなあ、と改めて気づかされたりして。
あっという間に読み終えてしまった。
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