読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

楚漢名臣列伝 宮城谷昌光 オール読物4月号

2008-04-05 22:48:43 | 読んだ
オール読物の連載になっている楚漢名臣列伝は楽しみにしている読物である。

これまでも中国史に関するものは読んでいたので、初めてのものではないが、長く読み続けられたり語り継がれていることは、何度読んでも聞いても面白くそしてその都度感じることが違う、そこがたまらないのである。

さてこの列伝、3月号と4月号は、楚(項羽)の名臣・范増(はんぞう)である。
楚のがわにはあまり名臣と呼ばれる人がいない。
それは項羽が自分で考え自分で決め自分で実行する人だったから、という理由が一般的である。

一方、漢のがわには名臣が多い。それは劉邦が多くの人物に任せたからである、あるいは担ぎやすかった人である、という理由である。

そういう違いの中にあって、范増は項羽の信頼も厚く「亜父」<父に亜ぐ(つぐ)人という意味>と呼ばれるくらいであった。

いろいろと助言をしそれが実行されてきたのだが、もっとも肝心な助言・作戦がじっしされなかったのが「鴻門の会」と呼ばれるものであった。
今号ではその「鴻門の会」について描かれている。

この場面は、中国史の中でも有名な部分である。
そしてこのときの作戦が容れられず、范増はこう言うのである。
「唉(ああ)、豎子(じゅし)は与(とも)に諮るに足らず」

そしてしばらくして范増は項羽のもとを去るのである。

中国史においてこれと似た例が、臥薪嘗胆でおなじみの越王・勾践の軍師・范蠡(はんれい)であると思う。
もっとも范蠡は、勾践の悲願である呉を打ち破った後見限ったのであるが・・・

私は、この様な人にたちにあこがれる。
軍師として尽くすが、それはどこかで醒めていて、見限るときがきたならば躊躇なくその場を去る。
それは多分、軍師として尽くす人のために軍師をしているのではなく、自分の力量を試していて、それがかなえばヨシとすることを目的としているからではないかと思うのである。

軍師という人たちの生き様を見ていると「個人」ということが少ないように思える。だから多分いい戦略や作戦をたてることができるのではないだろうか。

一方「将」として成功する人たちは「個人」が大きな要素である。
自分が、己が、という思いが大きな人たちは将として成功する。ただし、そのことが両刃の剣となって失敗することも多い。

私は、中国史に関するものを読むと軍師タイプの人間に魅かれるのである。

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