近頃は、中野京子さんの本を見ると購入意欲が非常に高まる。
「絵画」というものの見方について、中野さんの著書で大いに勉強させてもらった。
(その勉強が身についているかどうかは別として)
「絵」を読む。ということを知らなかった。
「絵」は鑑賞=見る、ものだと思っていたのだが・・・
絵の中には物語がある。
物語を絵にしている。
題材を作者が自分なりに解釈し表現しているものが「絵画」(大きく言えば芸術)なのだ、ということを教えていただいたのである。
目に見えるものを絵にするというのは、ド・ド・ド素人のすることらしい。
私は、想像するのは好きだが、想像を具現化するのは不得意であるからして、そういうことを一回も考えたことがなかったのである。
もともと意味や物語のある絵画作品は、その意味や物語を知った上で鑑賞するのが作品や画家に対するリスペクトではないか(オペラを観て、ストーリーなどどうでもいい、演奏のうまい下手だけが大事、などという観客がどこにいるだろう?)。絵は自分の感性でのみ見ればよい、知識は不要、という日本の美術教育は誤りではないのか・・・・(p55)
多くの主題を多くの人々が描いている。
その表現の方法は、その人、その時代を表している。
つまり「絵画」はその人の解釈でもある。
というようなことを、説明されると非常に面白い。
近頃、よく美術館に行くのは、本に掲載されているもの、或いはネットで検索したもの、だけではわからないものを感じに行くのである。
音楽も、あまりうまくないけれど「ライブ」が感動するように、やっぱり現物を見ないと感動しないところがある。
本書「美貌のひと」は『歴史に名を刻んだ顔』が紹介されている。
第1章 古典のなかの美しいひと
第2章 憧れの貴人たち
第3章 才能と容姿に恵まれた芸術家
第4章 創作意欲をかきたてたミューズ
となっており、23の顔40の作品が紹介されている。
表紙の絵は「忘れえぬ女(ひと)」イワン・クラムスコイで、『北方のモナリザ』ともいわれるものだそうである。
モデルとしてあげられているのは、トルストイの「アンナ・カレーニナ」ではないかといわれている。
しかし、アンナ・カレーニナは現実の女性ではなく、フィクションの人なのである。
こういった、いわば「謎解き」が本書或いは中野京子さんの著書にはあふれている。
それにしても、中野さんの著書には名言がいっぱいである。
本書から何篇か紹介しておこう。(美貌にフィーチャーした)
美貌は確かにチャンスを引き寄せるが、それを活かせるかどうかのその先には、意志と知力と官能が必要だ。それらすべてを備えた女性に、太刀打ちできる男などいない。(p15)
繰り返すが、名画は伝説を生む。(p39)
美貌だから愛されて当然というのは思い込みにすぎない。恵まれた容姿は誰に対しても眼福を与え、多くの視線を集めるが、それだけだ。愛や恋はその先にある。美貌はチャンスを増やしても成功を約束しない。(P75)
我々の心のどこかに、美貌それ自体が驚異であるからには、人生もまたそれに釣り合う非凡さであって欲しいとの、奇妙な期待がある。しかし必ずしも現実がそうとは限らない。
まだまだあるが、おしまい。
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