昨日の朝日新聞に「今の子供はこんな問題が苦手」といった記事があった。
気になったのはその中、理科に関するもので設問は、虫の夏と冬の活動を観察した2枚のカードの情報を元に虫の変化の原因を答えるもの。
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7月6日
晴れ 気温28℃
バッタの幼虫がいたよ
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1月17日
晴れ 気温6℃
バッタはいないよ。
石の下にはハサミムシがじっとしていたよ
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正解(虫の変化の原因)は「寒くなったから」なんだってさ。
で、不正解の代表例は「冬眠したから」「死んでしまったから」だそうだ。
じゃあ、もし、観察カードに「気温」ではなく、「西瓜の市場価格」が書いてあったら、「西瓜が高くなったため虫が活動を休んでいる」という考察ですかい。
あるいは「バッタは気温6℃になるとハサミムシに変身する」だっていいんでしょ?
「冬になってバッタはみんな死んでしまった」をどうして不正解といえるの?
「客観的事実を分析して原因を考察する」能力をテストするもののはずが、これって
「さて、この問題作成者はどういう解答を期待してこの問題を作ったのでしょうか」
という問題でしかない。
オトナの意図・期待を察知できる要領のいい子と、何も考えずに情報操作にのせられるような子が正解でき、独自に深く考えてしまう子は不正解となる。
こんな教育では「あらかじめ用意された解答を見つけ出す能力」しかないニンゲンばかりになってしまう。
学生時代のいっとき、アルバイトで塾の先生をやっていた。自分の希望ではなかったが国語担当だった。
ある日、長文読解の練習でこんな問題が出てきた。話の前後は忘れてしまったが「主人公がひさしぶりに故郷の駅に降り立ち、目を細める・・・」といった内容に対して
「なぜ主人公はここで目を細めたのでしょう」という設問。
模範解答は「故郷を懐かしく感じたから」
ほとんどの塾生が模範どおりの正解を書いていたが、こんな答えを書いた子がいた。
「ちょっとかっこつけてみたかったから」
こいつに1万点つけてあげたかった。
気になったのはその中、理科に関するもので設問は、虫の夏と冬の活動を観察した2枚のカードの情報を元に虫の変化の原因を答えるもの。
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7月6日
晴れ 気温28℃
バッタの幼虫がいたよ
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1月17日
晴れ 気温6℃
バッタはいないよ。
石の下にはハサミムシがじっとしていたよ
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正解(虫の変化の原因)は「寒くなったから」なんだってさ。
で、不正解の代表例は「冬眠したから」「死んでしまったから」だそうだ。
じゃあ、もし、観察カードに「気温」ではなく、「西瓜の市場価格」が書いてあったら、「西瓜が高くなったため虫が活動を休んでいる」という考察ですかい。
あるいは「バッタは気温6℃になるとハサミムシに変身する」だっていいんでしょ?
「冬になってバッタはみんな死んでしまった」をどうして不正解といえるの?
「客観的事実を分析して原因を考察する」能力をテストするもののはずが、これって
「さて、この問題作成者はどういう解答を期待してこの問題を作ったのでしょうか」
という問題でしかない。
オトナの意図・期待を察知できる要領のいい子と、何も考えずに情報操作にのせられるような子が正解でき、独自に深く考えてしまう子は不正解となる。
こんな教育では「あらかじめ用意された解答を見つけ出す能力」しかないニンゲンばかりになってしまう。
学生時代のいっとき、アルバイトで塾の先生をやっていた。自分の希望ではなかったが国語担当だった。
ある日、長文読解の練習でこんな問題が出てきた。話の前後は忘れてしまったが「主人公がひさしぶりに故郷の駅に降り立ち、目を細める・・・」といった内容に対して
「なぜ主人公はここで目を細めたのでしょう」という設問。
模範解答は「故郷を懐かしく感じたから」
ほとんどの塾生が模範どおりの正解を書いていたが、こんな答えを書いた子がいた。
「ちょっとかっこつけてみたかったから」
こいつに1万点つけてあげたかった。