先のハリケーンで幾人かの知人の車が洪水の被害にあった。
私も随分と誤解されているようである。普段古いランドクルーザーなる車に乗っているが故に、砂漠のおじさんは車に詳しいと思われているらしく知人から車についての相談が幾つか舞い込んでくる。
相談の内容はだいたいこんな感じだ。車が水に浸かってしまった、修理屋に連絡を取ると修理代に2000ドルはかかると告げられた。また車を購入した車のセールスマンに連絡を取ると廃車にして新車の購入を薦められた。どうしょう!どう思う?といった内容である。
...分かった、時間を設けて一度そちらに行くからその車を見せてくれと言って電話を切る。
夕方、親しい友達と一緒にその車を拝見しに行く。この友達は旧車のレストアラーでもある、とにかく車のメカについては僕よりも遥かに知識もあり、経験もある。そんな我々がそれらの車を観に行くのである。膝の辺りまでの水に浸かった車を前にして、ボンネットを開けてバッテリーを確認し、とにかくエンジンを始動させてみせる。各部からの異音を聞き状態を見る。
ああー、これだったらまだ、使えるよ。
ちょっと直す所があるかも知れないけど、金はかからないよ!
だいたいこんな感じである。
中には、いきなりエアバックが破裂した事もあるが...
しかし、問題は車のオーナー達である、彼らは既に諦めているようであった。直して乗るという選択よりもこの機に新車を購入するという気持ちが既に強い。きっと我々から、あーこりゃダメだ!新しいのを買ったほうがいいよ。という確認の同意を得たい気持ちだったのであろう。しかし、我々のポジショントークは直すのにそれ程金はかからないから乗り続けろ!金を使う事はないぞ、である。
...
結局彼は保険の都合が付いたのか、メーカーの被害援助プログラム(プロモーションセールス)に乗って新車に乗り換えた。これは彼と彼の家族の選択なので彼にとってはベストな選択だと思っている。
こういった機会を通じて多くの人々が車に持つ感情や意識を知ることが出来たと思った。多くの人々にとって車とは道具であり物であり消耗品なのであろう、まして情熱を注ぐべき対象では決してない。燃費が良く壊れず綺麗で、それでいてお隣さんにはちょっとだけ優越感を持ちたい、尚且つ余り古い車は懸念する...そんな価値観だ。世間にはこんな自家用車に対する価値観が非設定の常識感として座している様にも感じている。
ところで我々は(僕と知人)普段はそれ程古くない実用車を使ってはいるが、古い車に対して興味を抱き続けている。納屋で放置された40年以上前の車が売りに出されれば喜んで観察に出かける。そして、条件が許せばそういった不動車でも手に入れたいと歓談する。即ち、世の中の人々から見ると我々の車に持つ価値感は異端であり、異端者となるのだろう。
そういった、我々のポジショントークというのは、
一般的な車社会では役に立たんな!
と実感したのである。
今はまだね、でもその内にきっと...