今週のニューヨークは2年ぶりの大雪です。二日連続で降り積もった雪は路肩に駐車したランクルを埋めてしまいました。マニュアルのギアを四駆のローに入れて車体を前後にゆすり自力での路肩からの脱出を試みましたが、今回の積雪の量に対してはランクルでさえ脱出不可でした。この現象から積雪は近年では多いのだと推測出来ます。仕事仲間3人に車輪前後の除雪を手伝ってもらい、最後にはランクルを後ろから押してもらい、やっとこさ路肩から脱出する事が出来ました。人力の有り難さを感じる機会であった。
雪が無ければ30分程の自宅までの移動j時間であるが、その倍以上の時間を費やした。四駆の状態でギアは2速か3速、エンジンブレーキを酷使し続ける。車道からクルマが消えた。この深い雪の中を移動しているのは除雪車と四駆の機能を持ったピックアップトラックのみである。街の郊外ではあるが移動中は10台のクルマとすれ違ったかどうかの記憶である。
路肩からの脱出は難儀であったが、路肩への駐車は一人で深い雪を掻いての作業なので更に難航した。通常は車での移動という行為は主体的な観点ではないのであるが、大雪になると、この移動という行為が主体的な生活のアクティビティとして浮上する。なぜならそこには、時間と労力がつぎ込まれるからである。人々はこの時間と労力を無駄と捕らえ、更に運転に対するリスクの回避に努める。雪道での運転とは単にドライビングテクニックの事だけではなくて、車両の雪落しとスコップによる除雪の労力、更に運転に対するリスクへの対峙と主管の総合的な要素が含まれてくる。この行為を、楽しい!と思う事が出来るならば、雪道は貴方の事を友達として捉えてくれる。ただし、この人間社会では変態(クレィジー)として捉えられるので、この要素は雪道運転における隠れたリスクとして理解しておきたい。
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