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中学に入学と同時に親から自転車を買って貰った。当時はコテコテキラキラのアクセサリーを付けた26インチの黒い自転車は僕の憧れで、勉強をがんばるからという条件と期待、そしてしつこい愚図りで親をオトシタのだ。当初は自転車の性能なんてどうでもよく、ただ見た目が良くかっこ良くなければ友達に自慢できんという動機だった。しかし学校に行ってみると同じチャリンコに乗っている友達が多く少し残念にも感じた。結局この僕の自転車が原型を保ったのは最初の夏休みまでの4ヶ月間だった。夏休みになると直ぐに全てのアクセサリーを取り払った、泥除けもステッカーも、ハンドルはひっくり返してと...、頭の悪い勉強の出来ない子使用車(笑)、そしたら軽い、愉快、爽快、無駄を省く事は実は楽しい事だと感じたものだ。
いつ牽引なんてするのか解らないのにずーと付けっぱなしなのはどうかな?
結構重いよこれ、必要な時だけに付けるのがいいのじゃないのかな。
ラックも必要な時だけ付けるというのがカッコイイと思う。
冬は最悪、雪積んで走る事になるから。
最高スピード200キロを簡単に超える車とか、ごつい4x4車も本当はアクセサリーなんだろう。しかし一見無駄と思える事や物に情熱を注ぐ事はわるくない、むしろ楽しい事だ。ロクマルに乗り続けるという事は無駄をも承知で受け入れる事になる。だから他に削るところを探す。何かを得ると何かを失うではないが、ロクマル維持のために晩御飯のおかずが減るのはしかたがないか...(涙)
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