土浦の薬種商色川三中の日記「家事志」には次のような記事があります。
〈夜に木原行蔵様がお出でになられた。木原様ご自身は足が痛くなり、ご子息はお怪我をされたとのこと。ご子息にはいまだお見舞いもしませんで、と申し上げたところ、「息子の方は明日十三枚に行かせて診てもらうつもりだ。」と仰られた。〉
(文政9年8月18日(1826年))
記事には「十三枚に行かせて診てもらう」という言葉が出てきます。文脈からすると、医者に診てもらうという意味になりそうですが、「十三枚」とは人の名前にしては随分変わっていますが、何を表すのでしょうか。
「十三枚」とは、高安宗悦という医師のことを指します。この医師は佐原扇島(千葉県香取市扇島)で医業を営んでいました。「高安宗悦」は代々世襲されています。
「佐原扇島の整骨医高安家。河童から骨接ぎの妙薬を伝授されたという伝承をもつ『十三枚膏』を製造・販売して広く名を知られた。館山の鈴木家、佐倉の佐藤家(順天堂)と共に「房総の三医」と称せられたという。」(「家事志」解説)
江戸時代にはかなり高名な医師だったようです。
『佐原市香取郡医師会史』(1982年)にも高安家の記載があります。
「高安家は扇島の医家。16代に及ぶ。高安本世堂医院。祖先は河内国(大阪府)高安郡に於いて楠木氏に仕えていたが、のち扇島に移住し、その場所が十三枚といわれた。本世堂と称し、代々接骨院を業とし、宗悦を襲名しているが、十三枚の地名は殆ど高安家の代名詞となっている。」
十三枚というのはもともと地名であり、そこに高安家が移住。医師として高名になり、商品名『十三枚膏』のネームバリューもあって、十三枚は高安本世堂医院を指すことになったのです。
ここで冒頭の色川三中「家事志」の記事を再度見てみましょう。記事中「木原様」と呼ばれる人は、息子を十三枚に行かせる、即ち佐原の扇島にある高安本世堂医院まで行かせて医師にみせると言っているのだということが分かります。
ところで、色川三中らは土浦(茨城県土浦市)にいるのに、高安本世堂は佐原扇島(香取市扇島)にあります。
土浦(茨城県土浦市)から扇島(香取市)まで結構距離があります。グーグルマップで土浦駅-香取市扇島までの距離を測ってみる42 kmあり、徒歩だと8時間かかるとでます。怪我をしているのに、そんなに長い距離を行かせるのでしょうか?
実は、土浦-佐原間には水運があったのです。霞ヶ浦の水運です。
現代では霞ヶ浦の水運は観光だけの利用になっていますが、江戸時代は人と物資の往来に利用されていたのです。水運によれば、怪我人でも移動に負担はそれほどはかからなかったでしょう(時間はかかったでしょうが)。
高安家ですが、残念ながら16代で終わりを告げてしまいました。高安本世堂医院は現在はありません。16代高安宗悦は1979年11月6日に没し、これにより高安家の歴史は扇島においては幕を閉じたとされています。
香取市扇島には、高安宗悦像が建っており、往時の記憶を留めています。
《追記》
高安宗悦について下記記事を追加しました。