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文政13年1月中旬・色川三中「家事志」

2025年01月23日 | 色川三中
文政13年1月中旬・色川三中「家事志」

土浦市史史料『家事志 色川三中日記』をもとに、気になった一部を現代語訳したものです。
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文政13年1月11日(1830年)
・晴れたり、曇ったり。
いぬいの風(北西風)強し。
・方角の良い花蔵院を参詣。明日から東在(東ルート)の行商に行く予定ゆえの参詣であったが、家に戻ったらまた体調不良。
#色川三中 #家事志
(コメント)
体調不良の三中。ようやく外出できるようにはなりました。が、近くの花蔵院(現土浦市大手町)に参詣しただけで、また体調が悪化してしまいました。これでは行商に行くのは無理でしょう。
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〈詳訳〉
・晴れたり、曇ったり。いぬいの風がはげしい。
・年越式。今年も例年のとおり、家事(私的なこと)を記していく。
・明日から東在(東ルート)の行商に行こうと、方角の良い花蔵院へ参詣をしたが、家に戻ったらまた体調不良となる。

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文政13年1月12日(1830年)晴
体調不良。行商は取り止め。
#色川三中 #家事志
(コメント)
昨日近くの寺に参詣に出かけただけで、体調悪化してしまった三中。やはり行商に出かけるのは無理でした。無念の行商中止宣言ですが、体調が悪いのに無理をする必要はありません。


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文政13年1月13日(1830年)晴
・東在(東ルート)の行商には、叔父の利兵衛殿に行ってもらう。茂吉が同行。
・夜に弟の金次郎と与兵衛が西在(西ルート)の行商から戻ってきた。新たな得意先も獲得してきた。
#色川三中 #家事志
(コメント)
これまで三中が自ら行っていた東在(東ルート)の行商。今回は体調不良のため断念し、叔父さんに依頼。一方、弟の金次郎は西在(西ルート)の行商で新規顧客も獲得。若い力が着実に育っています。

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文政13年1月14日(1830年)
親類(色川庄右衛門殿)に店の対応を依頼。
#色川三中 #家事志
(コメント)
色川家は薬種商であり、店で薬の販売もしていますが、叔父の利兵衛が東在(東ルート)の行商に出てしまったため、親類の庄右衛門に店の対応を依頼しています。三中自身が店対応できない体調なのでしょう。

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文政13年1月15日(1830年)晴
与兵衛を東在(東ルート)の行商へ行かせる。叔父の利兵衛殿とも協力し、皆で手分けして売掛金を回収するしてほしいと話した。
#色川三中 #家事志
(コメント)
東在(東ルート)の行商はかなりの件数があるのでしょう。顧客の医師の数は不明ですが、昨年7月〜8月にかけての行商は16日間を要しておりました。既に叔父利兵衛が行商中ですが(1月13日条)、与兵衛も動員し、売掛金を回収する作戦です。
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〈詳訳〉
・与兵衛も東在(東ルート)の行商へ行かせる。叔父の利兵衛殿とも協力し、皆で手分けして売掛金を回収するよう指示し、玉造(現かすみがうら市玉造)へ行かせた。
・十一屋与四郎が婿を迎えた。昨夕挨拶に来たので、酒一升を贈った。
・明日は十人講の集まりがある。
・先日岩間のいせや(泊や)庄左衛門へ、礼として大平一ツを贈ったところ、今日そのお礼として豆一袋が贈られてきた。


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文政13年1月16日(1830年)晴
十人講を行う。1人あたり16文。加入者は新たに加わった者も含めて24軒。とりやの義兵衛殿に頼んで、振舞いをした。九つ過ぎに振舞い終了。栗山八兵衛殿(町年寄)が来られたので、2階を使って話し(数刻に及ぶ)。
#色川三中 #家事志
(コメント)
十人講というのは、良く分からないのですが、葬儀のときに人を出してくれたり(文政10年閏6月13日条)、安く葬儀をあげたりすることができるもののようです(文政12年12月16日条)。普段は本日の記事にあるような飲み会をしているのでしょうか。

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〈詳訳〉
・十人講を行う。1人あたり16文ずつ集める。加入者は新たに加わった者も含めて24軒。とりやの義兵衛殿に頼んで、振舞いをした。九つ過ぎに振舞い終了。栗山八兵衛殿(町年寄)が来られたので、2階を使って話し(数刻に及ぶ)。
・九つ半、日用庄蔵が東在(東ルート)から土浦に戻ってきた。叔父の利兵衛殿からの書状には、昨日八つ時、茂吉と一緒に玉造(現かすみがうら市玉造)のてうしや(ちょうしや)に無事到着し、与兵衛も少し遅れて同所に無事到着し、その後、日用庄蔵も鹿嶋方面から同所に戻り、皆でご馳走をいただいたことが書かれていた。今朝無事に、3人(利兵衛、茂吉、与兵衛)はさらに東の方へ向けて出立したこと等は庄蔵からも聞いて承知し、安堵した。売掛金も相応に回収できたようである。


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文政13年1月17日(1830年) 晴
大町(現土浦市大町)の荒川屋勘兵衛が、今日から普請を始めるという届があった。
#色川三中 #家事志
(コメント)
本日はこの大町の荒川屋勘兵衛の普請届の記事だけです。これまでに荒川屋勘兵衛について言及はなく、唐突にこのような記事が出てくるとコメントの書きようがありません(笑)。毎日の日記ですから、こういうことにも出くわします。

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文政13年1月18日(1830年)晴
『大同類聚方』百巻(合巻十巻)新版が江戸から届く。飛脚、すや治右衛門。喜びで手の舞い足の踏ふむところを知らず。急いでうがいをし、手を洗って身を清め、三拝九拝して一読する。代金は金二分二朱。日本橋通二丁目の山城屋左兵衛殿にて。
#色川三中 #家事志
(コメント)
・今日の記事は本が届く喜びに満ち溢れています。出版物が溢れかえっている現代では、なかなかこのような本の入手の喜びを味わうことができにくくなっているのかもしれません。
・『大同類聚方』(だいどうるいじゅほう)は、平安時代初期の大同3年(808年)に成立した日本最古の医学書。三中は2か月前に知り合いの医師にこの書物のことを尋ねているので(文政12年11月7日条)、この後大同類聚方が欲しくて仕方なくなり、江戸の本屋(日本橋通二丁目の山城屋左兵衛)で購入することを決めたのでしょう。

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〈詳訳〉
・殿様は昨年の冬から御病気が重くなられた。町方では自粛して静かに過ごしており、話し合いの上、天王様にて護摩炊きの祈願を行って、各家の亭主が参詣もした。殿様のご病気は快方に向かっておられる。いとうれし也。
・新しく出版された『大同類聚方』百巻(合巻十巻)を江戸からの飛脚、すや治右衛門が届けてくれた。喜びて手の舞い足の踏ふむを知らない。急いでうがいをし、手を洗って身を清め、三拝九拝して一通り目を通す。代金は金二分二朱。日本橋通二丁目の山城屋左兵衛殿にて。
http://codh.rois.ac.jp/edomi/shopping/entity/900
・安食(現かすみがうら市安食)の塙への借金の返済金を持っていってもらうのを高砂屋に頼む。堅魚節(かつおぶし)を5本ずつ添えて贈る。熊野節(熊野地域で製造された鰹節)は379文で手に入れました。
・下男が15日に宿へ行ったが、まだ帰ってきていない。
・大平から年始の贈り物として墨1つが届いた。
・13日から川口(現土浦市川口)前通りにてしがら直し。

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文政13年1月19日(1830年)晴
利兵衛殿が東在(東ルート)の行商から戻った。売掛先が多いからか、回収の進捗は宜しくない。
#色川三中 #家事志
(コメント)
東在(東ルート)の行商に行っていた叔父の利兵衛が土浦に戻ってきました。三中が2週間かけていくのを、1週間も行かずに戻ってきておるのですから、売掛金回収の進捗が良いわけはありません。

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文政13年1月20日(1830年)
三中先生、本日は休筆です。
#色川三中 #家事志

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