自分で「秘話!!」というのは恥ずかしいのですが、
何か2、3回で終わりそうな気もしますが、
かなり見切り発車的に第1回は主役に敬意を払って、細川忠興さんです。
★「信長チルドレン」細川忠興
さて、以前に少し書きましたが、この『本能寺将星録』は、
「山崎の合戦の明智方」という視点から始まった作品。
従って「忠興ありき」で始まった訳ではないのです。
ですが、最初にインスピレーション?が働いたのは、確かにこの人で。
細川忠興は徳川家光の時代、83歳まで生きた人です。
歴群新書の作品でも秀吉、家康の時代を取り上げた場合、名前くらいはよく登場しています。
で・・・イメージ的には嫉妬深い、ガラシャ狂い。。。
他の人のことは言えません。智本光隆も『関ヶ原群雄伝』では限りなくチープに描いた過去が。
自分で書いていて何なんですが、そうした人物は「本当にそうか?」と疑い、
いじくり回したくなる癖が(w
群雄伝の小早川秀秋が良い例です。
実際には肥後熊本54万石の実質初代藩主なわけですから、
家康を別にすれば戦国最大の勝利者。
父の藤孝が義輝暗殺後に都から追われている以上、ゼロから国持ちになっている訳ですからね。
蒲生氏郷は高評価されることもありますが、それは早死にしたことも大きな要因。
83まで生きれば良い評価、悪い評価も両方生まれます。大領を有せば妬まれることもあり、
その辺は藤堂高虎も同じですかね。
性格の方は基本クールに、冷徹な感じを心がけました。
83まで生きれば大抵の性格的逸話は出そろっている。
短気にした方が史料上多数というのは承知していましたが、
どうもこの人、怒っているのは一種の芝居じゃないかという気がして。
兜のエピソードとか、切れていてもしゃべっていることは論理的?見たいな。
作中でもキレて次の瞬間冷静・・・的な描写は結構ありました。
やたらカッカとしてた、群雄伝の大谷吉勝と差別化を図る意味もあったのですが。
ただ、あまりしゃべらない、皮肉めいたことは言わないキャラにしたので、会話のシーンが弾まない(w
誰か回し役の近習でも出せば良かったと反省。
結果、珠子さんがボケたり、突っ込んだりしてました。実にクオリティの高い奥方だ。色々、お疲れ様です!!
で、最初に戻りますがこの人を調べると「ああ、信長ラインの人だなあ」とつくづく思う。
信長の月命日を欠かさない、五十回忌を行ったなどもありますね。
実は当初は信長の死後に、忠興は光秀を選択してそして秀吉と戦う・・・というのを考えていました。
しかし、主人公が勝手にどんどん信長側に。応募作を含めて初めての傾向で、
やはり史料多数の主人公は違うなあと、変に感心した次第。
山崎の合戦後、当初は西国から足利義昭を呼び戻し細川、明智に徳川家康を加えて管領家とし、
一時的に室町幕府を復興させる・・・これが終章案でした。
仮に山崎の合戦で細川が明智に与して勝利した場合、可能性がありそうなのはこの組み方かと思います。
しかし、書き進める内に忠興の立ち位置が完全に信長側になり、結局はあの結末と相成りました。
如何に仮想戦記でも歴史の針を逆に回すべきではないかも知れませんので、
このラストで正解だったと思っています。
細川忠興と言う人間、信長に対する思い入れは強いようですが、
それはあくまで信長にであり織田家にではなかったようです。
忠興の「忠」は織田信忠からですから(これは信長の官位、弾正忠から)、信忠とも関係は密接ではあったかと。
しかし、関ヶ原前哨戦の岐阜城攻略戦で、
織田秀信(三法師、信忠の子)の助命には動いていない(命を助けるよう主張したのは唯一、福島正則)。
このあたり、彼の信長への敬愛とは別に、若くして名門の当主になった自負心が垣間見える気がするのですが、
どうでしょう?
て、実際に書いて見たら長い。続きは次回。