東北の地震8 2011-03-19 23:00:09 | 日記 仙台に在住していた大学の後輩(向こうの方が年上ですが・・・)と今日、連絡が取れました。 無事で良かった。ご心配頂いた方、ありがとうございます。 ボランティアに参加したらしいのですが、現状では難しいものがあるようです。 そして、やはりガソリンがないとのこと。 仙台市内でも、まだダメなのか。 ここ数日、私の地元の施設などでも被災された方の受け入れが始まっています。 やはり、福島。今日、南相馬から来られた方にお会いしました。5歳くらいの女の子を連れてました。 一応、国道4号を通って来られたらしいですが、詳細までは聞けず。 ほぼ着の身着のままで戻って来た家族の日用品を買いに行ったところ、名取から来た方に会ったりもしました。 こちらはタクシーで山形空港まで行き、空路を新潟へ出たとのことです。 仙台市内、電気の復旧が進んだ様子。若葉区は分かりませんが・・・ 智本光隆
東北の地震7 2011-03-19 01:26:00 | 日記 このブログにコメントを寄せて頂いた方、ありがとうございます。仙台から引き揚げて来た家族は元気です。 担当のA田さん、H川さん、御心配をお掛けしました。申し訳ありません。 昨日は一日ぐったりとしていましたが、 今日は「誰々は残っている。熱を出した子供がいる。オムツがない」という話をしています。 これに、相槌の打ちようもない自分。 物書きとして文章で伝えられることは伝えたいと思い、家族から聞いた地震発生から、 15日頃までの仙台の様子を書きたいと思います。 地震発生直後、東北大のある青葉区では電気、都市ガスはすぐに寸断されました。 水道はタンクに残量?があった所は出たようですが、これもあっという間に断水。プロパンも同じです。 電気が通じないので携帯電話は多用出来ません。 充電は車のライターに器具を接続するなど(名称、忘れました)。ただし、これだとガソリンを食います。 その貴重な携帯は安否確認の電話、メールに使用するために、ワンセグ放送などを見ることはほとんどないとのこと。 被災地間は事実上、連絡を取ることは出来ません。 例えば仙台市内在住で、肉親が石巻などにおられ、そちらへ向かわれた場合は連絡不能となってしまいます。 連絡がない場合、これらのケースも考えられます。 仙台市内はビルの倒壊などは見当たりませんが、ホテルなどフロントの天井が落下したところはあるよう。 壁が丸ごと落ちた、看板倒れたなどは多数です。 土砂崩れは数件発生しているよう。ただ、救急車が来られません。 その状況は現在でも同じようです。そのため、病気、怪我の程度で病院を指定しても、 病院間で移動の方法がありません。 以前に書きましたが、うちの家族は地震発生から数時間後、 「津波警報が解除された」との誤報を受け、一端若林区の自宅に戻ってしまいました。 こちらはテレビで津波映像を見ましたが、本人はほとんど知らなかったとのことです。 家に戻って隣人の車内テレビを見せて貰ったそうなのですが、 映っていたのは東京が被害を受けたとの映像(お台場の火事か?) それを見て、「東京の方が被害が多いの?」と思ったそうです。 現実には家の場所から数キロ先が荒浜海岸です。そのくらい、情報は混乱していたようです。 その若林区は仙台東自動車道の向こうは自衛隊が規制戦を張り、近付くことは出来ません (一本道ではないので、入り込むことは完全には不可能ではないようですが・・・)。 地震発生直後、若林区役所に津波被害との報道がありましたが、 横を通過した限りはそんな様子はなかったとのことです。 最大の問題のひとつ、ガソリンの話。 日曜日に家族が電話で「給油出来た」と言っていたので、 「被災地は最優先でガソリン運んだのか?」と思ったのですが、これはものすごい好運だったようです。 実際、6時間くらい並んで給油する状況。 水道が通っていないので風呂入れない、トイレ流せないなど様々あります。 支援物資は仙台市内にはある程度回っているようですが、程度差はあるようです。 幸い、家族は大学内にいたので避難所には行っていません。私も極力、大学から動くなと言っていましたので。 地震発生から1週間が立ちました。 まだ、被害の全容は不明です。 行方不明の方もまだ、大勢おられます。 1日も早く、ご家族と再会出来ることを願っています。 智本光隆