歴史作家 智本光隆「雪欠片―ユキノカケラ―」

歴史作家 智本光隆のブログです。

祈念―がんばろう東北―

桜の花に癒され、地震の爪あとに涙し・・・しかしながら確実に仙台の街は復興しております。1歩づつではございますが、前進していきたいと思っております―8年前、被災地からこの言葉をいただきました。今年もまた、春がめぐって来ました。今も苦しい生活を送られている方々に、お見舞いを申し上げます。本当に1日も早い復旧、復興がなされますよう、尽力して行きたいと思っております。

本能寺将星録秘話第2回―細川忠興2―

2011-03-25 02:04:59 | 本能寺将星録
下の更新でも書いてますが、これは本来ならば12日頃に更新予定だった訳で。
一応、載せてから行きますね。


さて、『本能寺将星録』の舞台は本能寺の変(当たり前か)
で、この日本史上最大のクーデター、現在に至るまで謎だらけ。
知名度の割に、解明されていないことがあまりにも多いのです。


例えば、本能寺襲撃が明智勢の誰によるものなのかすら、はっきりとは分かっていない。
そして、肝心の動機。黒幕の存在。
本作では「朝廷黒幕説」と「羽柴秀吉黒幕説」を混ぜています。
「イエズス会黒幕説」も多少は入れて見ました。
入っていないのは「細川藤孝黒幕説」。
つまり、足利義昭、もしくは朝廷が藤孝を仲介として明智光秀に接近した・・・というものですね。


細川に限らずですが事変直後、畿内武将の行動が明らかにされていないのがこの本能寺の変。
秀吉の大返しですら変事を知ったのが何日なのか、高松を発ったのが何時なのか、
実ははっきりとは分かっていません。


通説では信長の遭難を知った細川父子は剃髪し、珠子を三戸野に幽閉します。
本作では本能寺の変そのものに、細川は関わっていません。
しかし、「事変発生直後、細川は明智と同心していた」というのは、ゼロの可能性ではないと思います。


山崎の合戦において、細川は丹後を動いていないとされます。
しかし、『永源師壇紀年録』などは忠興は天王山に出陣したとし、
積極的に動いたとする見方もあります(信憑性は別にして)。
これらは当然、羽柴方として信長の仇を討とうとした行動と取るのが普通です。
ですが、「事件当時は明智方だったが、山崎の合戦で光秀を見限った」との仮定を立てて見ました。
「洞ヶ峠の日和見」は筒井順慶ですが、天王山を占拠していた細川忠興は、
合戦の最終局面で光秀を見捨てた・・・・・それが今作の発想のひとつになっています。
(無論、作中はそうではありません。あくまで、下敷きにしたということです)


本能寺の変時、細川家の当主は49歳の藤孝であり、
20歳の忠興に何処まで決定権があったのかは定かではありません。
本作は勝龍寺城に忠興を置き、信長死後のキャスティングボードを取らせて見ました。
結果、忠興は主君・信長の仇を取ることに成功しましたが、義父の光秀を失う結果となりました。
書き終わって「これって忠興が光秀の兵を使い潰して信長の仇を討ち、反逆の意思のあった光秀も結局は死なせた」
と作者自身が思いました。
それもまた、忠興が望んだ結末なのかも知れません。


話ついでにIFの先のIFを。
『本能寺将星録』の終章では忠興が朝廷と畿内の支配権を握りました。
一方、関東に降った蒲生氏郷は厩橋か川越に本拠を置くでしょう(会津にはまだ入らないかと)。
冬姫(氏郷の妻。信長の二女)も連れて行きますかね。
関東には武田の旧臣達が数多くおり、それらは氏郷の下に集まります。その中には当然、真田の姿も。
やがて氏郷は忠興が進める中央の政治体制に反発し、東国武士と共に反乱を決意。
陸奥の大名達も傘下に収めて、上洛作戦を実行します。


しかし、その頃には忠興も畿内の織田旧臣を傘下に入れ、毛利、長宗我部とも友好関係を築いている。
性格的に氏郷迎撃に尾張あたりまで進軍。そうなると鍵を握るのは三河の徳川家康。
そして、織田家の実質当主となった津田信澄。


天下布武の真の後継者を巡り、合戦の火蓋が切って落とされる。
信長に将来を嘱望された二人の決戦。そして、珠子と冬姫は。
そんなところが智本光隆の考えた『本能寺将星録』のアフターストーリーですが、みなさんはどう思われるでしょうか?


東北の地震10

2011-03-25 01:59:07 | 日記
え~実はちょっと仙台行きます。
東北道がやっと動き出したようですが、ガソリンはどうなのか?
高速上はあるのでしょうが、下道はどうだろうか・・・



震災当日に紹介した近所のカワヅザクラ。何時の間にか満開になってた。


本当は地震があった週末に更新予定だった「本能寺将星録秘話」第2回があった。
完全に忘れてた。
行く前に更新して行きます。
それでは。。。


智本光隆