歴史作家 智本光隆「雪欠片―ユキノカケラ―」

歴史作家 智本光隆のブログです。

祈念―がんばろう東北―

桜の花に癒され、地震の爪あとに涙し・・・しかしながら確実に仙台の街は復興しております。1歩づつではございますが、前進していきたいと思っております―8年前、被災地からこの言葉をいただきました。今年もまた、春がめぐって来ました。今も苦しい生活を送られている方々に、お見舞いを申し上げます。本当に1日も早い復旧、復興がなされますよう、尽力して行きたいと思っております。

桜の花に癒された2014ー昴の彼方ー

2014-04-18 19:45:11 | 日記
桜が見たいな。。。
いや、近所の桜は目に入っていたんですが、
ちょうど桜の時期、「まちなかキャンパス」準備の頃と、
思いっきり重なっていて。
で、、、どこ行こう?
遠くへ行く体力は無論、何一つ残されていません。
まあ、体力は去年の暮れから削り落とされたままの気も・・・


そうだ、沼田行こう(笑
と、目の前にあったさくらゆきさんの「昴の彼方」のCDを見て、
そう思った次第で。
詳しくは、、、


真田雁丸屋 さくらゆき  


それで、、、



沼田公園(城址公園)


沼田城の跡に整備された公園です。
中世より、北関東の軍事上の要地であった沼田。
新田義貞も挙兵の際、
「沼田で利根川を前の支えに戦うか、越後に逃れるか、
それとも、鎌倉に進撃するか!!」
が選択肢でした。
そして、真田氏が軍事的に如何に重要視したかは先日、
早川知佐さんも講演会で説いてらっしゃいましたね。





現在の公園は、本丸の位置になります。
沼田城は1532年(享禄5)、沼田顕泰によって築城。
1580年(天正8)、真田昌幸が調略によって手に入れます。


小田原征伐後、真田信幸(信之)が城主に。そして、関ヶ原の合戦へ。



鐘櫓と桜

関ヶ原の合戦後、真田昌幸、信繁(幸村)父子は改易され、
信之は上田へ(後に松代へ)
沼田は信之嫡男真田信吉、その子の熊之助を経て、
信之次男・信政が継承。

ところが、真田信利の代の1680年(延宝8)に
両国橋架け替え問題に端を発し、
沼田藩の不正検知が発覚!
結果として沼田真田家は改易処分に。



御殿桜


真田信之の代に植えられたと伝えられる桜。
現在は保護のため、立ち入り禁止で遠景にも。
すぐ側に「2代目御殿桜」が。




さて、次は「小松姫」の伝説で有名は正覚寺へと。



智本光隆