歴史作家 智本光隆「雪欠片―ユキノカケラ―」

歴史作家 智本光隆のブログです。

祈念―がんばろう東北―

桜の花に癒され、地震の爪あとに涙し・・・しかしながら確実に仙台の街は復興しております。1歩づつではございますが、前進していきたいと思っております―8年前、被災地からこの言葉をいただきました。今年もまた、春がめぐって来ました。今も苦しい生活を送られている方々に、お見舞いを申し上げます。本当に1日も早い復旧、復興がなされますよう、尽力して行きたいと思っております。

神剣コラム第6回ー「禁闕の変」―

2014-05-07 01:26:18 | 神剣の守護者
神剣コラム第6回のお時間でございます!
なにそれ?って方が多いような気もする(汗
何せ、前回の第5回が2月9日・・・大雪の前です。


え~・・・本コラムは『神剣の守護者』の,
バックグラウンド解説として始めたのですが、
私が「まちなかキャンパス」の講師となり、
話の内容がもろかぶり!
状態なため、止む無く停止しておりました。


キャンパスは来週13日で第3回ですので、
2回目までの内容は、そろそろ書いてもよいかもと。
しかし・・・キャンパスの為に改めて勉強し直すと、
過去の5回の粗さが目立つ。。。
あとで、こっそり直そうか・・いっそ、書きなおす?



9、追い詰められた「後南朝」

前回(2月なんですが・・)、「禁闕の変」の直前まで話を進めたかと思いますが、
そもそも、この事件はどうして起こったのか?

南朝最後の天皇・後亀山天皇が崩御したのは1424年のこと。
実はこの2年前に、その子の小倉宮恒敦(初代・小倉宮)が没しています。
この時期、旧南朝勢力「後南朝」は「両統迭立」の実現を求め続けるも、
それは持明院統、そして室町幕府に無視され続け・・・
後亀山上皇の崩御が引き金のようにその4年後、
孫の小倉宮聖承(恒敦の子)が伊勢に飛び出して、
北畠親房の曾孫・満雅と共に反乱をおこします。


しかし、、、初戦こそ勝利するも、満雅は敢え無く敗死。
小倉宮も京都へと戻り、10年後の嘉吉3年・・・1443年に没してしまう。
これにて、大覚寺統の直系は断絶します。


京都の公家が「南北両朝元弘・建武以来、不安休まらざるの処、
近年論争なく干戈止む。今すでに皇統自然に帰す。天運の理、神慮といふべし」

(『建内記』嘉吉3年5月9日条)


と、書き記す程です。
これを書いているは万里小路時房・・・
後醍醐天皇の最側近、万里小路藤房の玄孫なんですけどね。
一緒に松の木の下で雨を凌いで涙した、あの情熱はどこへいったのかw


しかし、「後南朝」からするといよいよ追い詰められます。
新田は死に絶え、北畠も矛を収め、何より担ぐべき「天皇」が不在。
それでも、「南朝の意地」が起させたとでもいうのか「禁闕の変」でした。



10、「禁闕の変」―奪われた草薙剣と八尺瓊勾玉―

しかしこの時期、混乱していたのは旧南朝ばかりでもありません。
1441年(嘉吉元)には、強権的な政治で幕府の権力強化をはかった、
6代将軍・足利義教殺害事件が起こります。
そして、かわりに立てられた7代将軍・足利義勝が、
この年僅か10歳で急死し、幕府にも混乱が続いていた時期です。


そして9月24日夜、京都の西側の神泉苑に集まった、
「凶徒は2、300人」。
大乗寺の日記には、


「内裏炎。悪党の所為なり。神璽等紛失。南方金蔵主、日野一品入道父子、
その他済々、山門ならび京都において、殺害されおわんぬ。
その夜、主上は密かに左大臣亭に行幸。賢所これに同じ。宝剣紛失」



金蔵主という者は万寿寺という京都の寺の僧侶で、
後亀山天皇の孫とされていますが、詳細は不明です。

この時点の「後南朝」にはすでに推戴する皇族も満足にいない有様でしたが、
御所に乱入すると八尺瓊勾玉、そして草薙剣を強奪することに成功しました。
八咫鏡だけは天皇と共に、左大臣の邸に移して無事であった模様。


さて、この決起に「悪党」とありますが、先陣を切って戦い、
自ら2つの神器を奪った「楠木次郎」なる人物がいます。


「三種の神器を奪い奉り向ふ敵をかけ破り落行けるを遁すましと、
京勢八方より走り来り討留んとす、楠木次郎武勇を振ひかけ破り」
(『十津河之記』)


・・・様子からして、かなり強いです!
この次郎が楠木一族の内、誰に当たるの・・・
『神剣の守護者』では楠木正成の玄孫・楠木正威としてみました。
もちろん、畿内各地に生き残った楠木一族が、複数参加していた可能性も大です。


その楠木次郎・・正威は神器を携えて逃げますが、
草薙剣は途中で紛失してしまい、残った八尺瓊勾玉を持って比叡山に上るものの、
延暦寺に協力を拒まれると、幕府軍と戦って戦死します。


その後、八尺瓊勾玉は南朝残党軍の手で大和奥地の川上村・・・
ここには自天王と名乗る後亀山天皇の後胤の自称天皇がおり、
神器はここへ運ばれますが、
15年後に幕府軍の赤松氏に村に入られ、自天王は殺害され、
その翌年には八尺瓊勾玉も奪いかえされてしまう・・と。


さて、それでは草薙剣はどうなったのかというと、
事件の翌日に清水寺で幕府軍により回収されたとされています。


しかし、草薙剣は本当に幕府によって取り返されていたのか?
もしも、楠木正威が討死する前に、それを誰かに託していたら・・・
そして、その剣が密かに護り継がれていたとしたなら・・・?



そして「禁闕の変」から120年、
「神剣」を伊勢の地にて密かに護る楠木正成末裔一族・・・
その当主である楠木正具(まさとも)を主人公としたのが『神剣の守護者』です。
そして、歴代楠木当主で誰よりもタチの悪いこの男が、
「楠木の使命」を終わらせるために、動きはじめる・・・


以上、久々の「神剣コラム」で「禁闕の変」を一気に書いて見ました。
あまりに久々過ぎて、過去の論調と矛盾が出ているかも(汗
そのあたり、良く読んで後ほど訂正致しますので。