歴史作家 智本光隆「雪欠片―ユキノカケラ―」

歴史作家 智本光隆のブログです。

祈念―がんばろう東北―

桜の花に癒され、地震の爪あとに涙し・・・しかしながら確実に仙台の街は復興しております。1歩づつではございますが、前進していきたいと思っております―8年前、被災地からこの言葉をいただきました。今年もまた、春がめぐって来ました。今も苦しい生活を送られている方々に、お見舞いを申し上げます。本当に1日も早い復旧、復興がなされますよう、尽力して行きたいと思っております。

お前はまだ群馬を・・・その伍「赤城団事件顛末記 上」

2014-05-15 23:03:07 | 日記
さて、少し間が空きましたが、和が母校を震撼させた、
「赤城団事件」とはなにか?


まず、おさらいまでに入学前年から、卒業翌年までの、
智本光隆の所属団と順位、そして、優勝団をご覧ください。



入学前年         優勝 浅間団

1年 浅間団(4位)   優勝 赤城団
2年 浅間団(2位)   優勝 赤城団

3年 妙義団(3位)   優勝 赤城団
4年 妙義団(4位)   優勝 赤城団

5年 榛名団(4位)   優勝 妙義団
6年 榛名団(2位)   優勝 赤城団

卒業翌年(中1)     優勝 浅間団
(榛名団のハチマキ色は実際には白ですが、見えないのでグレーに)



みごと~なまでに「赤城団」の黄金時代です。
しかも、3年生の時は最初の競技から1位で、
そのままぶっちぎりの「完全優勝」でした。
最早、「赤城団にあらずんば人にあらず」状態。


さて、、、そんな中で4年生の運動会・・・団編成は2年に1回なので、
私は前年に引き続いて、妙義団に所属していましたが、
なんか最初はどこも、「どうせ、今年も赤城が勝つんだろう。つまんね~」
みたいな空気でした、みんな。
赤城の奴らも奴らで、「どうせ今年も優勝だし」みたいなことを、公然と口にしているし。。。


そんな当初の空気が一変したのは、最初の全学年練習・・・
初めて各団に分かれ、それが解散してそれぞれクラスに戻ろうとした時でした。
突如、赤城団が行進!!を開始すると、いきなり歌を歌いだし・・・


「榛名を倒せ、妙義を倒せ、浅間を倒せ~がんばるぞ!がんばるぞ!!
 勝つぞ、勝つぞ、ア・カ・ギ!!(繰り返し)」



この瞬間、他の三団所属選手全員の心に、強烈な炎が燃え上がったのは言うまでなく、


「今年は絶対!!あいつらだけには勝たせねぇ!!!」


かくしてこの年の運動会は、


「赤城団 vs 三団連合軍」


の様相を呈しました。
とにかく、赤城の優勝だけは阻止するために!!
・・・まあ、そうは言ってもいざ運動会本番になれば、普通に4対抗なんですけどねw


さて、その運動会はと・に・か・く榛名、妙義、そして浅間の気迫が、とにかく圧倒的で、
「おい待て、小学校の運動会だろう?」と今となっては突っ込みたいですが、
第1種目から全身全霊を傾けて競技し、応援に声を枯らします。


合言葉は「赤城団4連覇絶対阻止!!」・・・まるで、これがスローガンのよう。


その気迫が通じたものか、グランド正面の校舎渡り廊下には、
スコア―ボードが吊るしてあるのですが、
早くも第1種目から榛名、妙義、浅間の三団入り乱れての大乱戦の中、
赤城一団だけダントツの最下位・・・
得点発表の度に、歓声が沸き上がってました。
最大で首位と60点くらいの差があったと・・・・


そのまま、昼をまたいで午後の協議へ。
そして、最後は定番の全学年リレーを残しても赤城は最下位。
少しは差を詰めてきていても、まだ30点の差がありました。
そのリレーで優勝したのは赤城団でしたが、
高学年にもなると、点数の計算できる奴、種目別の得点を知っている奴がいるので、


「よし今更逆転はない。これで、赤城の連覇は阻止した!」


やった、俺たちは歴史を塗り替えた!的な空気が校庭に流れる中で、閉会式へ。
上位三団は15点差以内に入ったまま、リレーを迎えていたので、
優勝は榛名か?妙義か?それとも浅間か?


全校児童が固唾を呑んで見守る中で、
いよいよ得点発表のために、児童会長が朝礼台の上へ。
・・・後から考えるとこの会長さん、順位を知らなかったらしい。
手に持っていた紙を開いた瞬間「え?」という、顔をして・・・
それでも、意を決してマイクに向かって発した団名は。


「今年度、〇〇小大運動会優勝は・・・・赤城団です!!」


何故だが遠くに聞こえたその声は、
男子を女子を、そして世界を破滅という名の混沌へと誘い、
これから始まる永遠に続くと思われる、「第2の戦い」への引き金となった。


続けwww



智本光隆