「今年度、〇〇小大運動会優勝は・・・・赤城団です!!」
次に起きたこと、
し~ん・・・・
で、
「えええええええぇぇぇぇ!!!!!!」
ガヤガヤガヤガヤ ドヨドヨドヨドヨ
多分、赤城団の歓喜の声もあったんじゃないかと思うのですが、
そんなものをかき消す榛名、妙義、浅間三団の騒ぐ声。
一言でいうならば、
「そんな馬鹿な!!」
と、
・・・いやほら、高学年にもなると、
「最後のリレーで優勝したくらいで30点差がひっくり返る訳がない!!」
ということが分かって。
5、6年生なんかあっちこっちで得点計算してました。
あの、一糸乱れぬ入場行進を行う群馬の小学生が、
受け入れることが出来ない、
「赤城団4連覇」という現実。
不思議なことに、こんな時に一喝する教務主任、体育専科教師も、
苦虫をかみつぶ~したような顔をして、何も言わず、、、
そんな中で、朝礼台の上に上がったのは校長先生(この年から新任)が、
「いい運動会でした。最後まであきらめない赤城団のみんなのがんばりが、大逆転を生みましたね」
「だ・か・ら!!リレーくらいじゃ逆転できないって!!!」
この校長スピーチが更に火をつけ、
大混乱の中で運動会は終わりを告げました・・・が。
いや、ここから先がまだ長い。翌日から、、、
「絶対におかしいって。赤城が優勝するわけがないって」
「あれだあれ、詐欺だ八百長だ(って言葉、その頃にあったかな?)」
「先生が絶対に赤城団を贔屓してるって!」
「俺みたぞ。来賓のPTA会長とかが、赤城団の応援席にだけ声かけてった」
・・・ところどころに、子供の浅知恵が混じっていますがw
とにかく、
「赤城団が許せない!」状態が続きました。
赤城団所属の方も自分自身でおかしいと思っているのか、
なんか決まりが悪そうで、運動会前の様子は消え失せ・・・
男子はともかくですね、女子なんて例年は、運動会が終われば、
運動会そのものの話をしていることはあっても、
「順位」の話なんてしていないものが、
「あれ絶対おかしいって」
と数ヶ月、男女ともにおさまり着かない!そんな状態が続き、
続き・・・・続き・・・・
翌年になりました(待
はい、事の真相はというと?
実は赤城団は最下位からのスタートだったものの、
午前中最後の棒引き、学年別リレーで1位を取り、
午前終了時点で上位三団との点差はほぼなくなっていました。
ところが、集計係がこの点数をバッサリ集計からおっことし・・・
それに、各団がそれぞれ1位を狙い中、
赤城団は2位を堅実にキープして、
最終種目で2位の浅間団を僅か2点差で大逆転し、
奇跡の4連覇を遂げました・・・とさ。
翌年、5年生になって集計テント入りして、
はじめてこの事実を知りました。。。
そして翌年、、、そう、
まるで10.19翌年の近鉄のように!!
各団が前年に勝る気迫で運動会へと挑み、
正直、、、赤城団はこの年は腰が引けていた(w
優勝したのは
妙義団でした。
妙義はこれが開学以来、初優勝だったそうです。
・・・まだ15年くらいの新しい学校とはいえ、
それまで赤城と浅間しか優勝したことないんかい!この学校は(w
ちなみに、私は翌年は榛名団に所属して応援団長やりましたけど、
約20点差の2位。
で、、、優勝はまた赤城団・・・
かくして
「赤城団を倒す」ための戦いは、ついに果たせぬまま終わりを告げました。
翌年の運動会は友達と見に行きましたが、
浅間が優勝してました。榛名団がいつ初の栄冠に輝いたのか・・・
なお、この
「赤城団が強すぎる」という傾向ですが、
群馬県全県に渡る傾向のようです。
先生方も「児童に細心の注意を払い、分配しているのに・・・?」
と本気で首を捻っているそうでうすが、
今日でもあまり解消されてはいないらしいです。
何故か・・・?
四旗の誓い!
「浅間山」が入手出来なかったので、
浅間高原ビールで!(軽井沢の字の方が目立っているけど・・・)
智本光隆