歴史作家 智本光隆「雪欠片―ユキノカケラ―」

歴史作家 智本光隆のブログです。

豊臣蒼天録紀行4―信長の見た空―

2011-12-08 00:39:12 | 豊臣蒼天録
さて、テンプレートもリニューアルし、、、
第2巻の発売日も決定したことですし、「豊臣蒼天録紀行」も再開。
「いつ、中断した!?」というツッコミはさておく。
さて、次回以降は2巻のストーリー順に紹介しようと思うのですが、
今回だけは別に。何でかは色々。。。
第4回は織田信長の居城で有名な清州城です。



平成元年建設の再現天主と朱塗りの橋。


そして、五条川。


清州城は応永12年(1405)に斯波氏によって築城。
織田信長が家督相続後、10年間居城としました。
桶狭間への出陣、清州同盟の舞台としても有名。
戦国期、尾張の最大拠点となりました。
本能寺の変後は織田信雄、豊臣秀次、福氏正則が城の主に。





天守から。織田信長が見たかも知れない風景。


清州城は関ヶ原の合戦後、徳川家康の四男・松平忠吉の居城に。
忠吉の遺領を継いだ弟の義直の代に、海道筋の新拠点として名古屋城が築城されます。
清州城は「清州越」と言われた武家屋敷、城下町の移転により、慶長18年(1613)に廃城となりました。
なので、『豊臣蒼天録』ではギリギリ健在。
第2巻に登場します。
智本作品では『関ヶ原群雄伝』の2、3巻にも結構出ました。


さて、天守に上っていると、下が何やら騒がしく。




地元の小学校の社会科見学らしいです。
自分の住む土地の歴史に興味を持つのは良いことです!!


で・・・城内には歴史館がありまして。
そこを見学していたら、5人ばかり小学生女子がトタトタタタタとやって来た。
目の前には「清州城の歴史」の解説版。
そこに載っている徳川家康の肖像画(有名な奴)を指差し、、、


「なに、コイツ気持ち悪くない!?」


・・・さすが、信長公のお膝元の小学生は、家康如きはコイツ呼ばわりか!?
どうやら、6年生らしいですが、昔なら成人カウントダウンの年齢ですね。


侍女1 「これはこれは、徳川殿。三方ヶ原では随分とご苦戦なされたご様子」
侍女2 「皆々様はご活躍なれど、徳川殿は武田如きに手こずられておられるとは、不甲斐ない」
侍女3 「なれど右府様のご寛大なこと。三州殿は田舎者故、濃味の料理をお出しせよと私共にご下命がござりました」
侍女4 「まこと、臣下に対するものと変わらぬお心遣い。身に染みまする」
侍女5 「これは、女子の身で差し出がましいことを申しまして(微笑」


・・・そんな芝居が、瞬時に頭の中に浮かんだ(w
メモっといて、どっかで使うか!
(なお、三方ヶ原の合戦時の信長の居城は清州ではありません)

ちなみに、女子小学生ズは「あーあっちに上野樹里のサインある!!」
とみんなで走って行きました。
「江ー姫たちの戦国」の特設コーナーあった。
うん・・・これは今年中にやっとくネタだな(w




そんな総見院信長公の銅像は、五条川対岸の清州城公園に。
当時の本丸はこの位置だったらしい。
前作、『本能寺将星録』の主人公・細川忠興のカリスマな人。
『関ヶ原群雄伝』でも『豊臣蒼天録』でも、信長の影響というのは、書いていて感じること多し。




最後にもう一度、清州の蒼天を。
信長もこの同じ空を見上げたか?

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