歴史作家 智本光隆「雪欠片―ユキノカケラ―」

歴史作家 智本光隆のブログです。

祈念―がんばろう東北―

桜の花に癒され、地震の爪あとに涙し・・・しかしながら確実に仙台の街は復興しております。1歩づつではございますが、前進していきたいと思っております―8年前、被災地からこの言葉をいただきました。今年もまた、春がめぐって来ました。今も苦しい生活を送られている方々に、お見舞いを申し上げます。本当に1日も早い復旧、復興がなされますよう、尽力して行きたいと思っております。

時代小説SHOW 再び!!

2014-01-26 06:00:10 | 神剣の守護者
数日前に一度、ご紹介させていただきました、
「時代小説SHOW」さんですが、
リンクさせていただいたので、再度のご紹介を!!


時代小説SHOW http://www.jidai-show.net/2014/01/06/shinken-no-shugosha/


智本光隆はもともと、歴史屋?なので、歴史小説として評価していただくのでは、
これはなによりも嬉しい!!
ちなみに最近、「楠木正具って実在するの?」と聞かれること多数。
「はい、一応!!」と答えています。
伊勢楠木氏については実在しています。
楠木氏が楠郷の領主であったことも、資料上確認はされています。


草薙剣をめぐる戦いがひとつの要素ですが、
「どっこい生きてた、楠木正成一族!!」
というのも、歴史小説『神剣の守護者』にて描きたかったことのひとつですね。





・・・なお、正具の容姿についての記録があるかというと、、、
触れないでおくw
「藤吉郎は全力でイケメンに描かれてますよね!秀吉なのに!!」とは、
知り合い女性のコメント・・・
きっと本人も喜んでいる・・・か?


※誤字訂正しました、すみません。



智本光隆

神剣の守護者コラム第4回―草薙剣―

2014-01-25 12:48:52 | 神剣の守護者
さてと、第4回にしてこのコラム、「禁闕の変」へと向かいたいと思います。
この禁闕の変・・・実は『神剣の守護者』を語る上での、
最大キーワードになっております。
では、、、


7、神剣「草薙剣」

さて、『神剣の守護者』における「神剣」とは「草薙剣」のことです。
今更ですがw


草薙剣・・・須佐之男命(スサノオノミコト)が八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を倒した際、
その尾より現れたと伝わるのが天叢雲剣。
天孫降臨の後、伊勢神宮に奉納されるようになり、
東国攻めに際して、叔母の倭媛命より日本武尊命(ヤマトタケルのミコト)に
授けられました。
駿河国で敵よりの火攻めにあった皇子は、
この剣で草を薙ぎ払い、逆に向かい火によって難を逃れ・・・
以来、この剣は「草薙剣」と称されるようになったといいます。
『神剣の守護者』でもおおむね、こんな説明をしました。


余談をひとつ。帯にコメントをいただいた早川知佐さんは、
草薙神社にお参り下されたそうです。ありがとうございます!!


余談② 子供のころ、ドラえもんで八岐大蛇のエピソードを聞いたのび太が、
「首が8つならまたは7つじゃないか。ナナマタオロチというべきだ」
とのもっともなご意見に、爆笑してました。
のび太よ・・・お前、まったくバカじゃないだろう?
ところで、トヨタは買ったのかい?
・・・と話が逸れ過ぎだw


さて、、、これは他の三種の神器も同様なんですが、

そも「草薙剣」は日本のどこにあるのか?そして本物はどれか?・・・と。

・日本武尊の死後、熱田神宮に収められているものが本体(御神体)
・宮中に収められていたが、安徳天皇と共に壇ノ浦に水没。
・その草薙剣は貞和4年(1346 四条畷の合戦の前年)に、
 伊勢の現鳥羽市国崎町の海岸で発見され、御所へと戻された。



3番目のはネタではありませんw
『太平記』巻25によります。
今上天皇の即位の儀で、草薙剣も(箱に入って)登場したはずですが、
これは壇ノ浦→伊勢という経緯を辿ってきたものなのか・・・?

いずれにせよ、草薙剣が三種の神器のひとつとして日本史、
そして皇位継承の争いの中で非常に重要な役割を担っていたのは事実。
それはこれを持つ者こそが、正統なる皇位継承者と認識されるからです。





これは『豊臣蒼天録』の時に1度紹介しました、
醒ヶ井宿のヤマトタケル像です。
(・・・よく考えると、この時期のヤマトタケルは剣を持ってないんじゃ?)

皇子はここの清水で一度は生気を取り戻すも、
三重村(現在の四日市)にたどりついたときには、
我が足、三重の勾(まがり)の 如くしていと疲れたり
(私の足は三重に曲がる程に疲れた)と言ったと伝えられています。

これが「三重県」の語源になったといいます。


そして、南北朝の大乱の時代。
「神器はどこ行った?」「どれが本物??」という状態になって行きます。

取材前と楠町史

2014-01-24 19:08:16 | 神剣の守護者
疲労がwww
神剣コラムの次回が9割くらい仕上がっているけど、
チェックする気力が・・・


それと、、、来週にまた取材を受けさせていただけることになりました
ありがとうございます!!
そういえば、昔の取材でちょっと資料のことを聞かれたなぁと思って、
部屋の資料を整理してますと、、、
(他にも理由はあるけれど)



『楠町史』(昭和53年)と『新編 楠町史』(平成17年)


四日市市楠町取材で入手した資料です。
ちなみに、新編のほうは四日市市に編纂後に発刊。
伊勢楠木氏に関しては、主に旧編のほうにお世話になったかもですね。


自分は、まず最初に市町村史からあたるタイプ?なので、
精巧な町史がある楠町さん(四日市さん)には非常に感謝です。
「それ2冊とも、群馬まで持って帰るの?」と言われたけど。
はい、帰りました!!
そして、『神剣の守護者』へとつながるわけで。
執筆を通じて非常に助けられた本なので、ぜひとも紹介したい。
楠町&四日市への感謝と共に!!


購入後、「海を見ておこう」と海方向へ。




当時はまだ、楠湊のイメージはなかったかなぁ・・・


さて、、、ヘバッてもいられないので、来週の取材の準備を!!




智本光隆

それは御し難い人間の感情!!

2014-01-23 02:16:10 | 神剣の守護者
『神剣の守護者』発売2か月でございます。
(昨日だったが、まあそれはそれとして)


近ごろ気がついたことその①
帯文をいただいた六龍堂・早川知佐さまのブログで、
『神剣の守護者』が紹介されていたこと。
すいません、Twitterのは知ってましたが。。。
そんなわけで遅まきながら、いただいた帯のご紹介を!


長い時間を経た人間関係を見ると
「そうそう、歴史ってこういうこと!」
と嬉しくなってしまうのです。
楠木一族を目の敵にする男の中にも
歴史を踏まえた理由がある。
起きた出来事だけを並べていても
歴史は理解出来ないと思うのです。
そこには、
御し難い人間の感情がある。
それが物語を超え、正具の人としての
思いが肉薄してくるのです。
登場人物全員に、そんな血の通いを
感じられるような物語でした。






早川知佐さま、あらためましてありがとうございました。
正具になりかわりw 御礼申し上げる次第です。


して、その②は、、、
その早川知沙さんの講演会が群馬県みなかみ町であるとのことです。

『歴史でまちを元気に!魅力発見!歴女が見た名胡桃城址』
平成26年3月1日 午後2時より(みなかみ町カルチャーセンター大ホール)


詳しくは、ご本人のブログにて!

六龍堂 http://roku-ryu-do.jugem.jp/



智本光隆

千早赤阪村!!

2014-01-22 00:06:47 | 神剣の守護者
千早赤阪村様から連絡がありまして、
「くすのきホール図書室」に『神剣の守護者』を入れていただけるとのことです。
ありがとうございます。千早赤阪!!まさに、楠木そのもの?の地。
・・・実は行ったことがないw
一度、千早城址に登るのが夢です。


・・・そういえば、
ヤフーで「神剣の守護者」と探索入れると、
候補に「四日市」と出ることに今日気が付いた!
千早赤阪村さんもそうですが、
作品に関係のあるところの方々に読んでいただけると、
やはりうれしいです。
特に楠町のある四日市は、舞台そのものであるわけだし。


そうそう、前回の更新の取材は無事に終了しました。
うん、、、全力でカミカミだった。
旅に出ようか・・・
その詳しい結果?は多分近日、このブログでお知らせ致しますので!




智本光隆