さてと、第4回にしてこのコラム、「禁闕の変」へと向かいたいと思います。
この禁闕の変・・・実は『神剣の守護者』を語る上での、
最大キーワードになっております。
では、、、
7、神剣「草薙剣」
さて、『神剣の守護者』における「神剣」とは「草薙剣」のことです。
今更ですがw
草薙剣・・・須佐之男命(スサノオノミコト)が八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を倒した際、
その尾より現れたと伝わるのが天叢雲剣。
天孫降臨の後、伊勢神宮に奉納されるようになり、
東国攻めに際して、叔母の倭媛命より日本武尊命(ヤマトタケルのミコト)に
授けられました。
駿河国で敵よりの火攻めにあった皇子は、
この剣で草を薙ぎ払い、逆に向かい火によって難を逃れ・・・
以来、この剣は「草薙剣」と称されるようになったといいます。
『神剣の守護者』でもおおむね、こんな説明をしました。
余談をひとつ。帯にコメントをいただいた早川知佐さんは、
草薙神社にお参り下されたそうです。ありがとうございます!!
余談② 子供のころ、ドラえもんで八岐大蛇のエピソードを聞いたのび太が、
「首が8つならまたは7つじゃないか。ナナマタオロチというべきだ」
とのもっともなご意見に、爆笑してました。
のび太よ・・・お前、まったくバカじゃないだろう?
ところで、トヨタは買ったのかい?
・・・と話が逸れ過ぎだw
さて、、、これは他の三種の神器も同様なんですが、
そも
「草薙剣」は日本のどこにあるのか?そして本物はどれか?・・・と。
・日本武尊の死後、熱田神宮に収められているものが本体(御神体)
・宮中に収められていたが、安徳天皇と共に壇ノ浦に水没。
・その草薙剣は貞和4年(1346 四条畷の合戦の前年)に、
伊勢の現鳥羽市国崎町の海岸で発見され、御所へと戻された。
3番目のはネタではありませんw
『太平記』巻25によります。
今上天皇の即位の儀で、草薙剣も(箱に入って)登場したはずですが、
これは壇ノ浦→伊勢という経緯を辿ってきたものなのか・・・?
いずれにせよ、草薙剣が三種の神器のひとつとして日本史、
そして皇位継承の争いの中で非常に重要な役割を担っていたのは事実。
それはこれを持つ者こそが、正統なる皇位継承者と認識されるからです。
これは『豊臣蒼天録』の時に1度紹介しました、
醒ヶ井宿のヤマトタケル像です。
(・・・よく考えると、この時期のヤマトタケルは剣を持ってないんじゃ?)
皇子はここの清水で一度は生気を取り戻すも、
三重村(現在の四日市)にたどりついたときには、
我が足、三重の勾(まがり)の 如くしていと疲れたり
(私の足は三重に曲がる程に疲れた)と言ったと伝えられています。
これが「三重県」の語源になったといいます。
そして、南北朝の大乱の時代。
「神器はどこ行った?」「どれが本物??」という状態になって行きます。