さて、、、それでは次にいよいよ?正覚寺へ。
この寺、近年は歴史系バラエティーの舞台、
(今夜はヒストリー面白かったんだけどなぁ)
で登場したりして、けっこう有名かも知れません。

正覚寺
本堂前のは・・・八重紅枝垂?
今が盛りでとても綺麗でした。
本堂です。
「立ち葵」の紋が入っていますが、
これは小松姫の実家・本多家の家紋ですね。
関ヶ原の合戦の際、信之と袂を分かった昌幸、信繁(幸村)親子が沼田城に立ちより、、、
「久しぶりに孫の顔が見たい」と門前に、
この際だから城を乗っ取ろうとした昌幸に対して、
「義父様といえども夫の不在時、城の門を開ける訳に参りません」
といい、入城を拒みます。
その後、仕方なくこの正覚寺で休息を取っていた昌幸の下に、
子供たちを連れて訪れた・・・
父・本多忠勝に似た勝気な性格で、容姿端麗な美女だと伝えられていますが、
「武将の妻」たる小松姫の凛とした気質を、今に伝える逸話です。
そして、その小松姫の墓所もこの正覚寺に。

位牌廟。

小松姫(大蓮院殿)墓所。
関ヶ原の合戦後、配流先の昌幸、信繁へと援助を続けたのは、
この小松姫だといいます。
大阪の陣の終結を見届けたあと、
元和6年(1620)、病を得て江戸真田屋敷から草津に療養に向かう途中、
鴻巣で没した小松姫。
遺骨は上田と・・・そして小松姫が愛したという、沼田に分けて葬られました。
それを聞いた信之は
「我が家の燈火が消えた」と嘆き、
死ぬまで後室をおくことはなかったそうです。
ところで、ちょっと気が付いたのですが、
石塔の後ろの塔婆に「本多〇〇」さんという名前が見えましたが、
小松姫の実家・本多家末裔のどなたか・・・なのでしょうか?

そして、沼田の桜をもう一枚。
智本光隆