SHAンパンでもいかが?

「最終楽章 気分はAdagio」
77歳の一人暮らし。

オミクロンのワクチン接種

2022-11-17 22:54:00 | 日記
午前中に5回目接種に
伺いました。
体調に変化はありませんが、
腕は腫れ上がって
きました。

   🍁🍁🍁🍁🍁

ヤン・ラディスラフ・ドゥセック。
(1760—1812)





ボヘミア(チェコ)で
生まれた作曲家で
ピアニストですが、
ピアノを習い始めた頃、
ソナチネ第1巻、第2巻で
弾きましたね。

モ—ツァルトよりも4歳下、
べ—トーヴェンよりも
10歳年長です。
19歳から演奏活動を
始めますが、
コンサ—トピアニスト
としては、
初期の一人でした。


その生涯は、
ドラマチックで
華やかなもので、
ヨ—ロッパ各地で
演奏会を開いていましたが、
ロシアでエカテリーナ2世の
寵臣になったかと思うと
秘密警察に追われ、
ロシアを脱出します。

その後、フランスでも
マリ—アントワネットの
寵臣になりますが、
フランス革命が勃発すると
パリから逃げ出し、
イギリスに渡りました。

イギリスではハイドンに
絶賛されてピアニストとして
絶世期を迎えます。

彼はピアノの改良にも
手を染め、従来のものより
力強い音響のピアノを
作らせています。

彼は演奏会でのピアノの
配置をステ—ジの真ん中に
横向きに置くスタイルを
確立させましたが、
美男で有名だった
ドゥセックが、
自分の横顔を
観客に見せるためでした。

ピアノのための協奏曲と 
独奏曲を沢山残しました。
先ずは
優れた教師でもあった
彼のソナチネ作品20—1。
懐かしい曲です。