SHAンパンでもいかが?

「最終楽章 気分はAdagio」
77歳の一人暮らし。

大きい!

2022-07-16 22:39:00 | 日記
ウィーンでの初めての
演奏会は1996年4月、
コンツェルトハウスですが
何よりも心配だったのが
パイプオルガンが
当時、世界最大のものと
聞いていたからです。
  


朝早く練習に伺いましたが
まだ珍しいコンピュータ―・オルガンでしたので
ホール専属のオルガニスト氏が手伝って下さるとの事。









ホールに到着すると
「ドイツ語しか話せません」と言うオルガニスト氏が
待っていて下さいました。💦

早速、レジストレ―ションに
かかりましたが
とにかくストップ数が多い。
彼のアドヴァイスを参考に
一通り仕上がったところで
コンピューターに記憶させ
CDに書き込みです。


しかも翌日の本番は
アシスタントとして
横について下さるとのこと。
\(^o^)/



練習の最後に
「何か弾いて頂けますか?」とお願いすると、
彼はシュ―ベルトの
「野ばら」をアレンジしての
素晴らしい演奏。
本場で聴くシュ―ベルト、
しかも美しく柔らかい音色に感動で胸が一杯。


「日本のものを弾いて」と
言われましたので
感謝を込めて「いつくしみと愛」を弾かせて頂きました。
ドイツ語は無理ですが(笑)
「Ubi Caritas」とラテン語で伝えると、すぐに
通じるのです。(*^^*)





  ✨✨✨✨✨✨



翌日のコンサートは
彼の素晴らしいサポートの
おかげで、安心して無事に
終えることが出来ました。



   ✨✨✨✨✨




滞在先はホールに隣接する
ホテルでしたので便利。
目の前の公園には
ヨハン・シュトラウス2世像
がありました。







ウィーン市庁舎での
パ―ティでは市長ご夫妻が
ウィンナワルツを踊って
下さり、夜が更けるまで続きました。
感動のウィーン滞在。

ウィーン市庁舎。






赤とんぼ

2022-07-15 21:03:00 | 日記


「オ―ケストラがやってきた」という番組はTBS系列で
1972年―1983年にTBS系列で放送された音楽番組でした。



   ✨✨✨✨✨

その「オ―ケストラがやってきた」の懐かしい映像を
発見です。

山本直純氏は早期教育を
受け、絶対音感の持ち主で
ありながら、歌はお上手では
ありません。
少し安心します。
山本直純氏と小澤征爾氏の
2重唱をお楽しみ下さい。
(*^^*)


   ✨✨✨✨✨

山田耕作氏の「赤とんぼ」を
オ―ケストラと共に。


オーケストラがやって来た「第3回 オザワ・セイジの赤とんぼ」 より

オーケストラがやって来た「第3回 オザワ・セイジの赤とんぼ」 より

テレビマンユニオンチャンネル、オーケストラがやって来た「第3回 オザワ・セイジの赤とんぼ」 よりのページになります。

テレビマンユニオン チャンネル|TV MAN UNION CHANNEL


製作はテレビマンユニオン。
総合プロデューサーは
萩元晴彦氏。
長野オリンピックの
総合プロデューサーも
務められました。

東京カザルスホールの
プロデューサ―でもあり
お世話になりましたが
2001年に逝去されました。


お気に入り。(180年たっても色褪せず、。)

2022-07-14 23:00:00 | 日記
ピアノを初めた
小さな方達が
喜んで弾いてくれるのは
今も昔も変わらず
ブルグミュラーの
25の練習曲のようです。

   ✨✨✨✨✨

このエチュードを書いたのは
ヨハン・フリ―ドリヒ・フランツ・ブルグミュラー。
1806年にドイツのレ―ゲンスブルクに生まれました。
1832年、26歳の時に
パリに移住して、
ピアノ教師としての名声
得ます。



  🎵🎵🎵🎵🎵

ロマン派の時代には
芸術家として出発するには
貴婦人の主催するサロンでの
デビューが重要な鍵でした。
その最も優れた二人が
ショパンとリストだったの
ですが、
彼らは超絶技巧の持ち主で 貴婦人方は感嘆し、
リストの場合には
失神しても、
その曲はなかなか弾けるもの
ではありませんでした。

すでに当時、ピアノは
淑女の嗜みでしたから
ブルグミュラーのように
彼女たちがやさしく弾ける
小品を書くのも、
ピアノ教師として雇われる
のも地道ですが、確実な
収入の道だったのです。

   🎵🎵🎵🎵🎵

正式には「練習曲」であり各曲にフランス語で
表題がつけられています。

この練習曲の調性、
拍子、デュナ―ミク、
テンポ、ペダルを見ると
ブルグミュラーがいかに
有能なピアノ教師であるか
が良くわかります。


   🎶🎶🎶🎶🎶

子供達のお気に入りは
やはり最後の乗馬
でしょうか。




バラ―ド、シュタイヤ―舞曲
アラベスクなどレッスンの
最後にお楽しみの時間と
して弾いてくれます。
(*^^*)

  ✨✨✨✨✨✨

反田恭平さんのアラベスク。



ありえない話

2022-07-13 23:07:00 | 日記
合唱コンクールの
季節がやってきました。
今年のオーディションは
楽譜を貰って10日後。😱

受験勉強で忙しい中3の
断崖君とお嬢さんの
二人がやってきました。
1週間しかありませんが
二人共、やる気満々なのは
嬉しい限りです。

  🥀🥀🥀🥀🥀


フランツ・ペータ―・シュ―ベルト。
(1797―1828)

ウィーン生まれのロマン派の
作曲家。
600曲以上の歌曲を手掛けた
ことから「ドイツ歌曲の王」
と呼ばれています。

父や兄から音楽の手ほどきを
受けて育ち、11歳の時に
ウィーン宮廷礼拝堂聖歌隊
(現在のウィーン少年合唱団の前身)で活躍後、教師を
しながら作曲活動を続けます。
18歳の時に歌曲「魔王」が
出版されたのを皮切りに
歌曲の作曲家として知られる
ようになりました。
   
  🎵🎵🎵🎵🎵

シュ―ベルトはべ―ト―ヴェンと同じように田舎で仕事を
するのが好きでした。
自然は彼にやすらぎとインスピレーションを与え、
「さすらい人」や「鱒」
「美しき水車小屋の娘」などが生まれたのです。



昼間は孤独を求める一方で
夜になると、友達に囲まれて
お料理や音楽を楽しみますが
好物は"仔牛のキャベツ添え”
でした。

カフェやレストラン、友人の
家で気楽なパ―ティを開き
ましたが、こんな夜を
”シュ―ベルティア―デ"と
呼ぶようになったのです。


   🍷🍷🍷🍷🍷

友達の間で人気はあっても
名声を得ることはなかった
シュ―ベルト。
音楽家として公職につくこともできなかったし、
ゲ―テの詩につけた
歌曲の譜面をこの大詩人に
送りましたが、何の関心も
示して貰えませんでした。

最高峰の音楽である
「冬の旅」24曲に対して、
出版社は食事代ほどの金額
しか払っていないのです。


  ✨✨✨✨✨
 

「冬の旅」より菩提樹
フィッシャ―・ディスカウ

 

雷鳴と稲妻

2022-07-12 21:56:00 | 日記
3時半頃、突然の雷と
大雨に吃驚して
目が覚めました。
轟音が30分以上
続いたでしょうか。


   ⚡⚡⚡⚡⚡

凄まじい雷鳴の中、
ヨハン・シュトラウスの
「雷鳴と稲妻」を聴いて
いました。(笑)
スリリングですが
本物の怖ろしい音とは
違って、何だか明るくて
ユーモラス。
しかも指揮者が
カルロス・クライバーの
エレガントな指揮でしたので
いつの間にか眠りに
落ちていました。

   💤💤💤💤💤

19世紀、フランス大革命に
よって起こった自由思想の
波はヨーロッパ各国に
広がっていき、
ナポレオンが大帝國建設を
夢みて暴れ回っていました。
妙なことにウィーンでは
立派なダンス・ホールが
建設され、市民たちは
ワルツがなければ
夜も昼も明けないありさま。

   🍾🍾🍾🍾🍾 

ウィンナ・ワルツと言えば
ヨハン・シュトラウスですが
この名前の音楽家は
二人いました。

"ワルツの父”ヨハンと
その息子の"ワルツ王"ヨハン
です。

ヨ―ゼフ・ランナーと
シュトラウス一家によって
ウィンナ・ワルツの形が
作り上げられていきます。

“ワルツの父"ヨハンは
酒屋に生まれたのですが、
幼い頃にヴァイオリンを
手にしたことで、
音楽の道に入るのです。
彼はヨ―ロッパの宮廷の
舞踏会でしばしば演奏して
いました。


父ヨハンには
4人の息子がいました。
ヨハン2世、ヨ―ゼフ、
フェルディナンド(早逝)
エドゥアルトです。

“ワルツ王”ヨハン2世が
一家の栄光の中心になって
いくのですが、
彼はワルツを発展させ、
豊かな内容を持つものに
していきました。
ゆったりとした導入、
多様な展開、華やかな旋律。

ウィーンのワルツの中で一番
有名な「美しく青きドナウ」は彼の作品です。
これを聴いたブラ―ムスは
「私にはこんな華麗な音楽は
作れない」と言ったと
伝えられています。




ヨハン2世は500近いワルツ
ポルカ・行進曲・ギャロップを作りました。
有名なオペレッタ
「こうもり」は20世紀を前に息切れした社交界を描いた
ものです。



ヨハン・シュトラウス2世像



   ⚡⚡⚡⚡⚡

ヨハン・シュトラウス2世の
「こうもり序曲・雷鳴と
稲妻・シャンペンの歌」

カルロス・クライバー指揮




うだるような暑さ。

2022-07-11 22:19:00 | 日記
午後、運転免許の更新に
出かけましたが
うだるような暑さでした。

   🥀🥀🥀🥀🥀


懐かしい映画
「サウンド オブ ミュージック」はオ―ストリアの
ザルツブルクが舞台。

トラップ大佐とマリアの
結婚式のシ―ンが撮影された教会を訪れた事があります。

ウィーンでの演奏会を終え、ザルツブルグに向かう途中に
モントゼ―湖畔の教会に
立ち寄りました。



映画ではとても大きな教会の
イメージでしたが
意外と小さくて吃驚。
祭壇はとても豪華でした。





懐かしいシ―ン。
インスタグラムから
お借りしました。

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トラップ家の子供達。(*^^*)




『サウンド・オブ・ミュージック』から57年…ジュリー・アンドリュースと“子供たち”が再会|シネマトゥデイ

『サウンド・オブ・ミュージック』から57年…ジュリー・アンドリュースと“子供たち”が再会|シネマトゥデイ

アメリカン・フィルム・インスティチュート(AFI)の生涯功労賞授与式で、映画『サウンド・オブ・ミュージック』のジュリー・アンドリュース(86)とトラップ家の子供たちを...

シネマトゥデイ



左からマルタ、ブリギッタ、
マリア役のジュリ―・アンドリュース。
フリ―ドリッヒ、グレーテル一番左端がクルト。

残念ながら57年も経つと
わかりませんでしたが
皆さまはいかがでしたか。








95歳、現役!

2022-07-10 22:52:00 | 日記
小雨がぱらつく中、
先ずは選挙に行きました。
午前中・午後はレッスン
の一日でしたが
それぞれの目標をクリアする
ためにがんばっています。



   🍀🍀🍀🍀🍀

今夜のクラシック音楽館は
95歳の矍鑠たる指揮者
ブロムシュテット氏の
特集です。






選挙速報も気になりながら
なのですが、、。

🎶🎶🎶🎶🎶

今夜の曲目はべ―ト―ヴェン
交響曲第三番『英雄』

   

べ―ト―ヴェンの友人が、
彼に尋ねました。
「今まで作曲した交響曲の
中で一番気に入っているのはどれですか?」と。
「それは何と言っても
エロイカ第三番」
と語っていたそうです。
もちろんまだ九番は
書いていない時期ですが、。

  🎵🎵🎵🎵🎵

偉大なべ―ト―ヴェンの誕生は「ハイリゲンシュタットの
遺書」をしたためた直後から始まりました。

ハイリゲンシュタットから
ウィーンに戻った彼は
作曲に本腰を入れます。

「英雄」というのは
べ―ト―ヴェンが名付けた
数少ない題名の一つで
ナポレオンに捧げるために
書きはじめるのです。

   🎵🎵🎵🎵🎵

1789年フランス革命勃発。
7月14日のバスチ―ユ襲撃に人民が蜂起したという
ニュースが伝わり、
べ―ト―ヴェンは
「自由・平等・博愛」という
フランス革命精神に
共感を覚え、
彼のソナタや交響曲は
次第に伝統的なものから
離れていきます。

ナポレオンのために
書いていた「英雄」ですが
1804年に彼がフランス皇帝に即位するという
思わぬ進展に、
そのニュースを聞いた
べ―ト―ヴェンは
怒り心頭に達し、
即座に献呈を
取りやめたです。

このように彼のナポレオンに
対する気持ちは180度変わり憎しみに転じました。
曲の献呈は取り止めて
「シンフォニア・エロイカ
一人の偉人の思い出を
まつるために」と
書き直され、
出版されたのです。




長大な1楽章は雄大で
紡ぎ出される主題は
まさに英雄そのものです。

第2楽章は葬送行進曲で
フ―ガの出だしは
最後の審判を
思わせるラッパです。

第3楽章はスケルツォ。

第4楽章8つの変奏から成る
雄大豪壮な音楽。


スケールが大きく輝かしい
前代未聞の交響曲でした。



「エロイカ・ハウス」


今夜はこの曲が一昨日からの
理不尽な出来事を
少し和らげてくれるのでは
ないかと期待しています。


これはベルリン・フィル。
3分弱の演奏です。













バッサリ夏仕様。

2022-07-10 18:08:33 | 日記
朝から植木2本と雑草刈りを
お願いしました。


伸びに伸びた泰山木。
台風でご迷惑をかけないように早目に剪定です。

椋の木は更に大きく成長
していますが
夏場は木陰は
気温が2・3度違い
ますので葉が落ちる
秋に予定しています。




紅葉も大きくなり
2階の窓まで到達
していました。



After







庭は少しすっきりしましたが
昨日来、心は重いままです。

  🍀🍀🍀🍀🍀

アルフレッド・コルト―が
絶賛したピアニストが
ディヌ・リパッティ。

1950年に33歳の若さで
亡くなったルーマニア出身のピアニストですが
彼が弾くバッハの
「主よ、人の望みの喜びよ」
を見つけました。
このバッハの曲を
聴いた事ないかたは、
いらっしゃらないのでは
ないでしょうか。

とても心が静まる曲ですが
それは同じテ―マが
途切れることなく
何度も繰り返され
エンドレスの雰囲気が
あるからだと思います。
そしてそれは「永遠」の
イメージにつながるよう
です。


ピアノ・ソロの静かな
演奏です。
70年以上前の録音ですので
音は良くないのですが。



異端児

2022-07-07 22:09:00 | 日記
昨夜は久しぶりに
息子が帰宅しました。🥀


  🎶🎶🎶🎶🎶

今夜はフランスの作曲家
エリック・サティ
(1866―1925)の
楽譜を引っ張り出しました。

サティはドビュッシー等と
ともに、今世紀の音楽の幕を
切って落とした一人ですが
ドビュッシーやラヴェルの
音楽とは異なった扱いを
受けてきました。

ドビュッシーやラヴェルの
音楽が高い評価を受け、
近代フランス音楽の古典と
して位置づけられるように
なったのに対して
サティの作品はいぶかしげな
目でみられることが
多かったのです。

   🎵🎵🎵🎵🎵

サティは才能とユ―モアに
満ちた風変わりな人物でした。

そして単純な構成の作品に
奇妙なタイトルを
つけていました。
「官僚風ソナチネ」
「フワフワした真の前奏曲
(犬のための)」
「梨の形をした3つの曲」


楽譜も又、とてもシンプル。
サティの音楽の極度の
シンプルさはアカデミックな
作曲技法の不足からくる
稚拙さだと思われて
いたのです。

シンプルだからこそ
独特な美しさをもつ作品が
大切な作品として認められる
ようになってから
まだそれほどの時は
たっていないのです。

  🎶🎶🎶🎶🎶

「ジムノペディ」
第1番
「ゆっくりと苦しみをもって」
第2番
「ゆっくりと悲しみをこめて」
第3番
「ゆっくりと厳粛に」


「ジムノペディ」というのは
大勢の青少年が古代ギリシャのアポロンやバッカスなどの
神々を讃える祭典
「ギュムノパィディア」に
由来しています。

   🍀🍀🍀🍀🍀

この曲は気分を落ちつかせる
ヒ―リング効果があるので
病院などで
血圧測定中に心身の緊張を
ほぐすBGMとして
流されているようです。

次回はこれを聴いて
数値を下げることに
決めました。(笑)




デルフィーの舞姫

2022-07-06 23:33:00 | 日記
今夜は出張で
息子が帰ってきますので
朝から腕まくりで
掃除です。💦💦

  🥀🥀🥀🥀🥀

ドビュッシーのピアノ曲
「デルフィの舞姫」

ギリシャに旅行したことが
なかったドビュッシーは
ルーブル美術館の
ギリシャ彫刻から
インスピレーションを
得ましたが、
神殿の巫女の儀式の
写真も持っていたと
言われています。


「デルフィの舞姫」とは
アポロンの神殿に使える
巫女たちのことで
ゆったりとした3拍子の
リズムで荘厳に
歩むようすを
あらわした曲です。

デルフィは、
神々が住むといわれた
聖地パルナッソス山
のふもとの町で
アポロンの神殿と古代の
円形劇場が残っています。

ここの神殿の神託は
古代ギリシャの政治に
大きな影響を及ぼしたと
言われているのです。






巫女たちの衣装は
オリンピックの聖火の
採火式の時に着ている
ゆったりとした
ひだのある白いドレスで
ベルトが交差した
あの特徴のあるスタイル
です。




この曲は1910年に
ドビュッシーにより
初演されました。

  

ミケランジェリの演奏。
演奏時間は3分ほどの小品
ですが豊かで多彩な演奏
です。






いよいよ後半戦

2022-07-05 22:58:00 | 日記





昨日は1年ぶりの
健診でした。
血圧が高くて
びっくりしましたが
家に帰って計ると
いつも通りなのです。
何故?
  
   ☕☕☕

いつも伺うお店で
コ—ヒ—を頼みましたら
モ—ニングサ—ビスで
6種類のト―ストから
お好きなものをお選び下さい、、、とのこと。
トマトとカリカリチ—ズを
頂きました。❣️

  ☔☔☔☔☔

いよいよ人生も後半戦に
突入。
高貴好麗者?、、とか
言わなくては
やってられない
気分です。(笑)

ブログのサブタイトルも
AndanteからAdagioに
変更しました。(笑)

   🥀🥀🥀🥀🥀

アントニン・ドボルザ―ク
(1841―1904)
チェコの国民楽派を
代表する作曲家です。

30代の半ばで、
ブラ―ムスに称賛され、
ようやく成功の糸口を
つかみます。

イギリス訪問で大成功のあと
彼はニューヨ―クのナショナル音楽院の院長となります。

このアメリカ滞在の間に
交響曲第9番「新世界より」を作曲しました。
  
   ✨✨✨✨✨

そこで今夜は
ドヴォルザ―クの
チェロ協奏曲の2楽章Adagio。

これはアメリカ滞在の
最後に書かれたのですが、
この時期は
ホ―ムシックにかかっていて
それが顕著に作品に顕れて
います。

アメリカに2年で別れを
告げた彼はプラハに
落ち着いたあと
終楽章を手直しして
1896年の春、
交響曲8番と共に
ロンドンで初演されました。

この曲の魅力は全楽章に
あふれる望郷の思いであり
第1楽章の冒頭部分から
胸を打たれるのですが、
2楽章はスラブ的な
哀愁がただよい
なんとも美しいのです。





おやすみなさい。







水の精

2022-07-04 21:47:00 | 日記
懐かしい写真を見つけました。

水着姿のマリリン・モンロー
とグレース・ケリーの
お二人です。





   ⛱️⛱️⛱️⛱️⛱️





妖精のようなお二人から
「水の精」の音楽が
浮かんできました。

「水の精」はドイツ語では
ウンディーネ、
フランス語ではオンディーヌでいずれもラテン語の
波をあらわす「ウンダ」
からきています。

「水の精」で一番有名なのは
ラヴェルの夜のガスパールの
第1曲目だと思いますが、
今夜はドビュッシーの
前奏曲集第2巻の「水の精」
はいかがでしょうか。

イメージの元になったのは
ア—サ—・ラッカムという
イギリスのイラストレータ—の絵本です。
絵本と言ってもかなり
グロテスクですが
ドビュッシ—の
愛娘のシュシュはラッカムの
イラストが大好きだった
ようです。

    🌊🌊🌊

「ウンディーヌ」は
ドイツの作家
フリ—ドリッヒ・フ—ケが
書いたお伽話に登場する
水の精霊の名前です。
性別はないのですが
ほとんどの場合、
美しい女性の姿をしている
とされ、人間との悲恋物語が多く伝えられています。

  🎶🎶🎶🎶🎶

ドビュッシーの「水の精」は
こうした悲恋物語の雰囲気は
ありません。
曲の冒頭にスケルツァンド
と書かれていて
何調なのかわからない
音のかたまりが出てきて
アルペジオではじけます。
気まぐれで水のように
気が変わりやすく、
水をひっかけてみたり
脚を踏みならしてダンスを
踊ったりと
いたずら好きな
妖精少女の魅力が
たっぷりです。


    🎵🎵🎵












最大の親孝行?

2022-07-03 22:47:00 | 日記



雨の午後、画像フォルダが
一杯なので、
せっせせっと削除を
始めました。

15年の間、ほぼ毎日書いた
駄文9000本以上と
写真が山のよう。💦


PCのフォルダなので
ブログには影響ないだろうと
削除すると
な・な・なんと消えた!
断捨離しなさい、
ということですね。


  💦💦💦💦💦

今夜のクラシック音楽館。

先ずはモ—ツァルトの
ドン・ジョバンニの序曲と
ピアノ協奏曲第20番。

どちらもニ短調。
何かを訴えかけるような
デモ—ニッシュな調性で
モ—ツァルトの悲哀の涙と
ため息が聴こえてくるよう
です。

   🎵🎵🎵🎵🎵

モ—ツァルトは1781年に
ザルツブルクの大司教と
喧嘩別れしてウィーンで
生活を始めますが、
大きな賭けでした。

しかし1785年に父親が
ウィーンを訪れた時は
彼の絶頂期で
豪華なアパートに住み
ス—パ—スター並の
売れっ子ぶりに父親は
目を見張ったのでした。
2ヶ月あまりの滞在のあと
満足してザルツブルクに
帰ったのですが、
父のウィーン訪問は
モ—ツァルトの最大で
最後の親孝行だったの
でしょうか。

ウィーンでの生活は
10年しか続かず、
過労と貧乏のために
35歳の若さで世を去ったの
です。

   🎵🎵🎵🎵🎵

ピアノ協奏曲第20番
2楽章。
フリ—ドリッヒ・グルダの
弾き振り。





今夜のメルニコフの
モ—ツァルトは
思いがけない即興的な演奏。
とても面白いでした。❣️