工作台の休日

模型のこと、乗り物のこと、ときどきほかのことも。

提督の肖像が入ったビール

2024年11月25日 | 船だって好き

 よく買い物する酒屋さんに、先日こんなビールが売られていました。

東郷平八郎の肖像が入った、通称「東郷ビール」です。ドラマ「坂の上の雲」の再放送もされていますので、それに因んでお店に並んだのかなと思いました。

さて、このビールですが、反対側のラベルを見ますと「日本ビール」という日本のメーカーが作っています。てっきり輸入物と思っていましたので、日本製と聞きましてちょっとびっくりしました。

ネットでいろいろ調べてまいりますと、こちらはもともとフィンランドの醸造所が作っていた「提督ビール」という商品だそうで、東郷平八郎以外にも、イギリスのネルソン提督、日露戦争のロシア側の提督ロジェトヴェンスキーら24人の提督が描かれていたそうです。海軍史に興味がある身としてはこの24人の顔ぶれも知りたいですね。1970年から発売されましたがやがてフィンランドでの製造が途絶え、紆余曲折の末、東郷平八郎のラベルを貼った「提督ビール」だけが日本で製造されているようです。なお、一部で伝えられているような「日露戦争で勝利した日本とその立役者の東郷平八郎を記念して作られた」というわけではなく、あくまでも名提督の一人としてラベルに選ばれた、というのが真相のようです。

お味の方はメーカーの説明によるとピルスナースタイルとなっており、すっきりとした日本人にも飲みやすい味となっています。先日、せっかくですので東郷平八郎ゆかりの食べ物と伝えられる(諸説あるようですが)肉じゃがと共にいただきました。

亡母が私に最初に教えてくれた料理が肉じゃがでした。シンプルだけど、奥が深いなと作りながらいつも思います。美味しくできたかな?

ビールの方も癖のないお味でした。

見出し画像に東郷ビールと「三笠」の1/700モデルを並べてみました。こちらはシールズモデルのキットで、艦底の竣工年月日を見ましたら2005年とありました。

もう一隻やってきました。

こちらは装甲巡洋艦「浅間」です。船体が鼠色になる前の黒色塗装にしました(考証などは異なる部分があるかもしれません。ご寛恕ください)。浅間は幾度かトラブルに見舞われながらも太平洋戦争の終戦まで生き延びた船でした。

明治期の艦艇は艦底部に衝角がついていたり、鋼鉄の船として完成される途上のような魅力があり、海外の艦船の博物館でも、19世紀後半の船の模型はついつい見てしまいます。

 

 


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イタリアがやってきた アメリゴ・ヴェスプッチの東京入港

2024年09月02日 | 船だって好き

 横須賀に空母カブールが入港するなど、イタリア海軍が極東、大洋州でも活動している中、イタリア海軍の練習帆船・アメリゴ・ヴェスプッチ号が東京港に入港しました。乗船については時間指定・予約制ということで、私は残念ながら叶わなかったのですが、東京港のクルーズターミナルから撮影もできましたので、この美しい帆船の写真を撮ってきました。

 アメリゴ・ヴェスプッチというのは言わずと知れた大航海時代の探検家であり、フィレンツェの出身でした。レオナルド・ダ・ヴィンチと同世代でしたが、アメリゴ・ヴェスプッチの方はスペイン王の下で米州探検を行っています。帆船・アメリゴ・ヴェスプッチは1930年代の船だそうですが、この帆船が偉大な探検家から採られた名前になったのは当然でしょう。

帆船ではありますが現代的な装備ももちろん持っています。内火艇やレーダーなどが見えますね。

イタリアの軍艦旗・四つの海洋都市国家(ヴェネツィア、ジェノバ、ピサ、アマルフィ)があしらわれています。

こちらは艦首旗

クルーズターミナルの中は1階から4階まで、すべてイタリアに因んだ展示、イベント等が行われており、ちょっとしたイタリアパビリオンという感じでした。中で飲食もできたようです。

次の冬季五輪がミラノ・コルティナ大会ということで、五輪に因んだ展示も。

過去にイタリアで開催された五輪の聖火トーチです。

2006年冬季トリノ大会ではトーチはピニンファリーナのデザインでした。丸みを帯びたフォルムがピニンファリーナらしいですね。

1960年夏季ローマ大会のトーチ。アメリゴ・ヴェスプッチ号も聖火輸送に関わっていたそうです。

 

こちらは1956年冬季、コルティナ・ダンペッツォ大会のトーチです。

ターミナル内外で制服姿の軍人さんを多く見かけました。

 

ターミナルの外でしたが、アメリゴ・ヴェスプッチ号のグッズや軍事関連のグッズを売っている売店がありましたので買い物をしました。

アメリゴ・ヴェスプッチ号のポストカード

 

空軍のグッズもあり、アクロバットチーム・フレッチェ・トリコローリのキーホルダーとピンバッジを買いました。

台風の大変な時期に東京に寄港となりましたが、これからの航海が安全であることをお祈りしています。

 

 

 


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第75回 東京みなと祭に行ってきました

2024年05月18日 | 船だって好き
 5月と言いますとゴールデンウィークのイタリア映画祭の話をここで書いていますが、他にも「東京みなと祭」の時季でもあります。18日、19日の開催ということで、今日行ってまいりました。

 私のお目当ては「珍しい船の展示」ということで、毎年やってくる護衛艦を楽しみにしています。今年は護衛艦「おおよど」がやってきました。「おおよど」は「乙型」と呼ばれる地方隊配備の比較的小さな護衛艦に分類され「あぶくま型」に属します。小さい、とは言っても基準排水量2000トンですから、第二次大戦中の駆逐艦並みです。


ステルス艦形を見慣れておりますと、こういったスタイルがとても古く感じられます。

127mm砲が主流になる中、主砲の76mm砲も珍しくなっています(父が生きていたら、127mm砲でさえ、高角砲と言われてしまいそうです)。
艦橋も1980年代の艦艇という感じがします。

甲板中央にはアスロックの発射ランチャーがあります。


短魚雷の発射管は両舷にあります。


後部にはハープーンの発射筒と

20mmCIWSがあります。

こうしてみると小さな船体に必要な装備はひととおり積みました、という感じの艦です。

「おおよど」をはじめ、あぶくま型の護衛艦は河川に由来する艦名です。河川を艦名に採用するのは旧海軍の軽巡洋艦を思わせます。おおよどの先代、連合艦隊最後の旗艦となった「大淀」の模型も展示されていました。




甲板と通路をてくてく歩いても、小さな船ですからそれほどかからず出口に、となりました。
「おおよど」は現在大湊を定係港としていて、砲身からなにから、あらゆるものが凍ってしまう真冬の厳しさを伝える写真も展示されていて、印象に残りました。
ちょうど艦長がゲストに説明しているのが聞こえましたが、金曜日のカレーもともかく「おおよど」はラーメンも美味しいとの由。厨房で作られている食事の写真も展示されていましたが、どれも美味しそうでしたねえ。
さて、おおよどを含む「あぶくま型」も退役が近いようです。後継艦は以前ご紹介した「FFM」で、こちらも河川の名前ですね。

18日のみ展示ということでしたが、海上保安庁の「拓洋」も来ていました。こちらは大人気で入場制限がかかっていました。



イベントはクルーズターミナル内でも開かれていましたが、私が毎年楽しみにしているのは商船の模型の展示です。

(カナディアンパシフィックラインのエンプレス・オブ・ジャパン号(1929年)・戦時中にエンプレス・オブ・スコットランドと改名しています)


スマートなシルエットも美しい「アブソニア」号

暑い一日ではありましたが、他の催し物なども含めて、楽しい一日となりました。艦艇の見学の後で豚児は海自の制服を着て記念撮影、となりました。写真を撮ったのは陸自の隊員で、空挺のき章が胸についていました。
やはりこの日限定、しかも対象者も限定だったようですが、晴海ふ頭側にグレー色の船体がゆりかもめから見えました。
「かしま」と「しまかぜ」という練習艦隊の艦艇とのことでした。





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潜水艦コマンダンテ・カペリーニの数奇な生涯

2024年05月04日 | 船だって好き
 昨日ご紹介した潜水艦コマンダンテですが、ここに登場するコマンダンテ・カペリーニのその後の話を書いておりませんでした。本ブログの読者なら「そんなこと知っているよ」でしょうが、少しお付き合いください。
 コマンダンテ・カペリーニはその後も主に大西洋で活動します。映画の主人公、トーダロ艦長の指揮下で大きな戦果を挙げたことで、ドイツのUボートを指揮していたデーニッツ提督も満足していたといいます。当初はイタリア・ドイツが共同で通商破壊を行っていたものの、作戦方法の違い、連絡方法等で双方に不協和音が生まれ、やがて別々の行動を余儀なくされ、イタリアは会敵機会の少ない海域に追いやられる格好となりました。トーダロ艦長も船を降り、別の部隊に移っています。なお、1942年には「ラコニア号事件」(知らない人はググってね)で沈没したラコニア号の乗員・乗客の救護活動も行っています。
 開戦当初とは異なり、レーダー、ソナーが進化するとイタリア海軍の潜水艦は旧式化してしまいます。ドイツ海軍はこれを機に自国のUボートよりは大きいイタリア艦を使い、極東(日本)との輸送・連絡任務に利用しようと思いつきます。こうして1943年にイタリアが降伏する少し前にカペリーニはドイツ海軍に編入されました。ドイツ海軍の指揮下とは言いつつも実際にはイタリア人乗組員により管理されていたと聞きます。イタリアにはその代わりにドイツのUボートが提供されたようです。
 9隻が極東に向かったものの多くは沈められ、シンガポールにはコマンダンテ・カペリーニ(ドイツの指揮下ではアキーラⅢと呼ばれていました)ほか3隻がたどりついただけでした。ほどなくしてイタリアは降伏します。
 イタリアは降伏したとは言いつつも、イタリア王国とは別に北部のサロに「イタリア社会共和国」と呼ばれる親独政権もあり、さらに右から左までさまざまな政治的背景を持つパルチザンも入り込み、言わば内戦状態に入ります。その本国の混乱とは無縁だった乗組員ですが、多くが親独側についたため、コマンダンテ・カペリーニも引き続きドイツの指揮下にありました。ペナンにドイツ海軍極東艦隊(モンスーン戦隊というなんとも洒落た別名があったようです)があり、そこの所属としてドイツ海軍のUボートともに活動します。名前もUIT-24というUボートのような呼称になりました。燃料補給艦の撃沈などで欧州に戻ることも難しくなり、行動範囲も制限される中で、やがて艦の修理が必要となり、もう一隻のトレッリとともに日本まで回航されます。神戸で修理、改修中の1945年5月にドイツも降伏すると、イタリア人たちも船を降り、今度は日本海軍の伊-503号潜水艦として呉に配属されます。そこで終戦を迎え、1946年4月に米軍の手で海没処分させられたそうです。
 輸送任務に適している、と書きましたが、カペリーニと同じマルチェロ級は大西洋での行動を念頭に置いた「大型艦」でした。しかし、全長70mあまり、排水量1000tあまりですから、日本の伊号潜水艦に比べれば小さな潜水艦です。マルチェロ級の潜水艦は11隻あり、いずれも人名がつけられました(イタリア海軍は人名をよくつける方ですが)。カペリーニは19世紀のリッサ海戦で戦死した提督の名前ですが、それ以外のバルバリーゴ、モチェニーゴ、モロシーニ、ヴェニエロ、エーモといった名前はヴェネツィア貴族(その多くが海軍の提督など)のオンパレードで、少々名前負けしている感もあります。
 コマンダンテ・カペリーニについてはこれまでもいくつかの作品で映像化されていますが(2年前にフジテレビで日本回航以降の話がドラマ化されていますが、史実とはだいぶ違うようです)、今回製作された映画がは大西洋での作戦の一部を切り取ったとはいえ、史実に沿って書かれているように感じます。


参考文献 イタリア軍入門 1939~1945 山野治夫 吉川和薦 イカロス出版

 

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幸運な駆逐艦・ジャーヴィスを作る

2023年10月17日 | 船だって好き
 夏の間、せめてモデリングだけでも涼しいものをと1/700の艦船に手を出しておりました。それが今回ご紹介するアオシマ1/700のイギリス海軍「ジャーヴィス」です。イギリス海軍の艦艇は大人になってから何隻か作っているのですが、ジャーヴィスについては何年か前によくプレイしていたスマホの海戦ゲームから知った次第でした。英独が大西洋で戦う内容で、無料版でしたから出てくる艦艇も限られ、自ずと駆逐艦に詳しくなってしまった、という理由もあるのですが。

 艦艇というのはその国の考え方がはっきり表れる気がします。同じ駆逐艦でも日本とイギリスではだいぶ異なります。その中でジャーヴィスの属するJ級はだいぶ近代的な艦船でありました。ジャーヴィスは大戦前夜の1939年5月に竣工、戦時中は主に地中海と本国近海での戦いに参加し、駆逐戦隊の旗艦任務に就くことが多かったようです。確かにそれまでの駆逐艦よりも大きく、いわゆる「嚮導艦」でした。ジャーヴィスというのはナポレオン戦争時代の海軍大臣から採った名前だそうで、由緒ある名前ですね。ジャーヴィスが有名になったのは同型艦が戦没する中で戦争を生き延びたことだけでなく、戦死者を一人も出さなかった、というところにあります。駆逐艦のような小さな艦艇はどうしても大型間の「盾」にならなくてはいけませんし、空からの攻撃、水中ではUボートとの戦いと気が休まる暇もないところですので、そんな中での活躍ぶりは「LUCKY JERVIS」と呼ばれていたそうです。
 こんなエピソードを知ったこともあり、アオシマが1/700で「ジャーヴィス」を発売した折には、模型屋さんに駆け込んだ一人でした。さて、キットですが最近の艦船キットということで塗装の便をある程度考えた組みやすい作りとなっており、指定された色に塗り、説明書に沿って組んで、とシャープなモールドを損なわないように組み上げていきました。エッチングパーツ等が含まれない「通常版」をストレートに組んだだけですので張り線などもしていません。艦戦模型を「専業」とされているモデラーには到底及ばないのですが、この気になる船を組むことができて満足です。
 艦船は現用艦艇なども手を出していますので「竣工」したらまたご紹介しましょう。


日本海軍の武勲と強運の駆逐艦「雪風」と。



 
 
 

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