前回の続きで黄色塗装の自動車です。以前、現行モデルのフィアット500を作りたい、とエイプリルフールネタで書いたことがありましたが、今回はそのフィアット500です。フジミのキットですが、スポーツモデルのアバルト(ただしそれなりに加工も必要)として出ているものも含めて作ったことがあり、今年の春にも作りました。ボディカラーに迷ったのですが、イタリア車だからといって赤というのも芸がない、ポップな黄色はどうだろう、と自らいばらの道を選ぶことにしました。
日本でも「ミモザ」と呼ばれる黄色い500が特別仕様車として販売されていましたし、小さな車体が映えそうです。
実は私が入手したのはなぜかイタレリ版です。中身はフジミと同じですが、違うところはデカールにヨーロッパナンバーのものが入っていたことと、これは逆に「入っていない」のですが、フジミのキットにある窓ガラスのマスク用の紙(単なる紙ですので、自分で両面テープなどを貼り、マスキングする必要があります)はありません。私は以前フジミ版を組んだ際に失敗してもいいようにとマスク用の紙をコピーしていましたので、それを使いました。
今日でも容易に入手できますので、組み立て上の注意点もいくつか。
まず、ボディとシャシーのパーツの合いがきつく、塗装後にはめ合わせしようとしてボディ側にひびが入っても困るので、先にシャシー側で当たりそうなところを切削しています、説明書(こちらは便宜上フジミのものです)に赤丸をつけたあたりです。
サスペンションですが、前輪がそのまま組むとややはみ出してしまいます。実車ははみ出したりしていませんので、フロントサスについてはA10のブレーキディスクのパーツはつけませんでした。また、フロントサスのA12、A13のパーツはシャシー側に奥まで差し込み、きっちり接着しておくこと。奥まっていますが左右非対称にならないようきっちり固定します。
ボディのフロント部分ですが、イタリアナンバーに初めからするつもりでした。イタリアナンバーはフロント部分が小さく、そのままではフロントのD4のパーツに開いている本来のナンバーの取付穴が丸見えになってしまうため、伸ばしランナーで一旦埋めて仕上げています。
ボディはMr.カラー329番にしました。白サーフェーサー→1000番の耐水ペーパーで軽く水研ぎ→GMカラー21番、アイボリーAを吹き付けて下塗りにしました。その後329番を吹き付けました。
Agipのデカールなど、いくつかはオリジナルに無いものを貼りましたが、その後クリアーがけ→コンパウンド→モデリングワックスを塗布しました。フロント・リアの銀色部分はハセガワのミラーフィニッシュを切り出して貼りました。ナンバーはキットのものではなく、アオシマの「ナンバープレートメーカー」というサイトからイタリアナンバーが作れるとありましたので、任意の番号とローマナンバーにして、pdfに落とした上で、以前ピギーバックの記事でもご紹介したハイキューパーツの白のデカールの上にインクジェットで出力し、クリアーで定着させました。
内装はMr.カラー14番ネイビーブルーを基調にしました。シートはMr.カラー45番セイルカラー(上部)と72番ミディアムブルーの組み合わせとし、ハンドルやメーター部上側のふくらみをMr.カラー311番にしています。ちなみにメーター上部はハンドルに近い箇所のみ白っぽい色となるのが正しいです。これは私のミスです。
また、フロントのシートの頭あての後ろはキットでは凹んでいますが、実際は丸く膨らんでいます。D6の頭あての部品の後ろにWAVEのHアイズから適当な大きさの丸いパーツを切り出して貼りました。
新聞や雑誌が入っています。女性誌(正確にはイタリアの新聞の「土曜版」に相当します)が入っていますので、ドライバーは女性でしょうか。
というわけでウクライナ・マスターボックス製のフィギュアを組んで立たせてみました。お顔がキットの箱絵と違うのは私の腕のせいにしておきましょう。
作例の方は働くお姉さんというより働くシニョーラという感じです。
実はこの500、こんなストーリーを考えていました。
「・・・週末とはいえ、私は仕事のための愛車を駆ってローマの街を走らせた。500年前、私のご先祖様が教皇領の代官のような仕事をしていたおかげで、私の家はかつては伯爵などと呼ばれていた。時は流れ、今では領地も「物件」と名を変えてそれらを管理することが私の家の仕事となった。相続税対策もあって単に人に貸すだけではすまなくなっているのが現代の領主様なの。かつての屋敷の一部は起業家に貸しているが、新しい入居者のために土曜の朝、案内をしてきたところ。このアイデアもヴェネツィア貴族の末裔の私のフィアンセの発案なの。あちらは商人から貴族になったから、商才は相変わらずみたい。今度もなかなかいい入居者が入ってくれそうで安心したわ。一仕事終わったので父の代からお世話になっているバールでカプチーノを飲んで、帰ることにしよう。以前仕事でかかわった日本人が置いていったCDを帰りの車中では聴いていこうかしら。ピアノの音色、なかなか悪くないのよ。パパは赤い昔の500を手放さないけど、私はこっちが好き。だってCDも聴けるでしょ。リアに今ではほとんど使わない我が家の紋章の一部の「鍵」とミラーの前にはママの出身のフィレンツェを象徴する百合の花のマークを入れてるわ。この500を見たら、私だということを忘れないでね・・・」
ちなみに鍵のマークや花のマークはグリーンスタッフワールドの中世もののデカールから採りました。
フィアット500、好きなくるまなので思い入れもあって組みましたが、一目惚れして付き合いだしたものの次第に相手の粗が見えてくるような感じで、なかなか苦労いたしました。でも、出来上がってしまえばその苦労も吹き飛びます。おかげさまでカーモデラーの方からも「きれいに黄色が発色しているね」とお褒めの言葉をいただき、一安心しました。
日本でも「ミモザ」と呼ばれる黄色い500が特別仕様車として販売されていましたし、小さな車体が映えそうです。
実は私が入手したのはなぜかイタレリ版です。中身はフジミと同じですが、違うところはデカールにヨーロッパナンバーのものが入っていたことと、これは逆に「入っていない」のですが、フジミのキットにある窓ガラスのマスク用の紙(単なる紙ですので、自分で両面テープなどを貼り、マスキングする必要があります)はありません。私は以前フジミ版を組んだ際に失敗してもいいようにとマスク用の紙をコピーしていましたので、それを使いました。
今日でも容易に入手できますので、組み立て上の注意点もいくつか。
まず、ボディとシャシーのパーツの合いがきつく、塗装後にはめ合わせしようとしてボディ側にひびが入っても困るので、先にシャシー側で当たりそうなところを切削しています、説明書(こちらは便宜上フジミのものです)に赤丸をつけたあたりです。
サスペンションですが、前輪がそのまま組むとややはみ出してしまいます。実車ははみ出したりしていませんので、フロントサスについてはA10のブレーキディスクのパーツはつけませんでした。また、フロントサスのA12、A13のパーツはシャシー側に奥まで差し込み、きっちり接着しておくこと。奥まっていますが左右非対称にならないようきっちり固定します。
ボディのフロント部分ですが、イタリアナンバーに初めからするつもりでした。イタリアナンバーはフロント部分が小さく、そのままではフロントのD4のパーツに開いている本来のナンバーの取付穴が丸見えになってしまうため、伸ばしランナーで一旦埋めて仕上げています。
ボディはMr.カラー329番にしました。白サーフェーサー→1000番の耐水ペーパーで軽く水研ぎ→GMカラー21番、アイボリーAを吹き付けて下塗りにしました。その後329番を吹き付けました。
Agipのデカールなど、いくつかはオリジナルに無いものを貼りましたが、その後クリアーがけ→コンパウンド→モデリングワックスを塗布しました。フロント・リアの銀色部分はハセガワのミラーフィニッシュを切り出して貼りました。ナンバーはキットのものではなく、アオシマの「ナンバープレートメーカー」というサイトからイタリアナンバーが作れるとありましたので、任意の番号とローマナンバーにして、pdfに落とした上で、以前ピギーバックの記事でもご紹介したハイキューパーツの白のデカールの上にインクジェットで出力し、クリアーで定着させました。
内装はMr.カラー14番ネイビーブルーを基調にしました。シートはMr.カラー45番セイルカラー(上部)と72番ミディアムブルーの組み合わせとし、ハンドルやメーター部上側のふくらみをMr.カラー311番にしています。ちなみにメーター上部はハンドルに近い箇所のみ白っぽい色となるのが正しいです。これは私のミスです。
また、フロントのシートの頭あての後ろはキットでは凹んでいますが、実際は丸く膨らんでいます。D6の頭あての部品の後ろにWAVEのHアイズから適当な大きさの丸いパーツを切り出して貼りました。
新聞や雑誌が入っています。女性誌(正確にはイタリアの新聞の「土曜版」に相当します)が入っていますので、ドライバーは女性でしょうか。
というわけでウクライナ・マスターボックス製のフィギュアを組んで立たせてみました。お顔がキットの箱絵と違うのは私の腕のせいにしておきましょう。
作例の方は働くお姉さんというより働くシニョーラという感じです。
実はこの500、こんなストーリーを考えていました。
「・・・週末とはいえ、私は仕事のための愛車を駆ってローマの街を走らせた。500年前、私のご先祖様が教皇領の代官のような仕事をしていたおかげで、私の家はかつては伯爵などと呼ばれていた。時は流れ、今では領地も「物件」と名を変えてそれらを管理することが私の家の仕事となった。相続税対策もあって単に人に貸すだけではすまなくなっているのが現代の領主様なの。かつての屋敷の一部は起業家に貸しているが、新しい入居者のために土曜の朝、案内をしてきたところ。このアイデアもヴェネツィア貴族の末裔の私のフィアンセの発案なの。あちらは商人から貴族になったから、商才は相変わらずみたい。今度もなかなかいい入居者が入ってくれそうで安心したわ。一仕事終わったので父の代からお世話になっているバールでカプチーノを飲んで、帰ることにしよう。以前仕事でかかわった日本人が置いていったCDを帰りの車中では聴いていこうかしら。ピアノの音色、なかなか悪くないのよ。パパは赤い昔の500を手放さないけど、私はこっちが好き。だってCDも聴けるでしょ。リアに今ではほとんど使わない我が家の紋章の一部の「鍵」とミラーの前にはママの出身のフィレンツェを象徴する百合の花のマークを入れてるわ。この500を見たら、私だということを忘れないでね・・・」
ちなみに鍵のマークや花のマークはグリーンスタッフワールドの中世もののデカールから採りました。
フィアット500、好きなくるまなので思い入れもあって組みましたが、一目惚れして付き合いだしたものの次第に相手の粗が見えてくるような感じで、なかなか苦労いたしました。でも、出来上がってしまえばその苦労も吹き飛びます。おかげさまでカーモデラーの方からも「きれいに黄色が発色しているね」とお褒めの言葉をいただき、一安心しました。