つい先ごろ、TOMIXからタキ3000形タンク貨車が発売されました。タキ3000そのものは珍しくもないのですが、珍しいのはその仕様でして、米軍の燃料輸送に使われた表記を再現しています。英語の表記がにぎやかな初期塗装と、後述の理由からおとなしい表記となった後の姿と両方がリリースされています。私は初期塗装の2輌セットの方を購入しました。
それから、この初期塗装の方はトミックス45周年を記念したモデル、ということでパッケージ等のデザインは昔のトミックスを意識したものとなっています。
ご覧いただくとお判りのとおり、そこかしこに英文の表記があり、この貨車は米国陸軍輸送隊の所属となっていることがわかります。現在でも横田基地向けの燃料輸送がありますが、米軍は横田、立川といった都内の米軍基地をはじめ、基地向けに鉄道による航空燃料の輸送を行ってきました。このタキ3000もそんな任務についておりました。
製品は2輌セットです。

車輛の全景です。

車体右側には合衆国陸軍輸送隊のインシグニアがついています。終戦後に米軍が持ち込んだ8500形ディーゼル機関車(のちのDD12)にもついてましたね。以前、舵輪と松明をあしらったもの、と聞いておりましたが、タキ3000のそれは輸送部門の兵科のマークのとおり舵輪と翼と車輪のマークとなっています。

このマーキングを見ると、とても日本型のタンク車には見えず、実にアメリカ的なのですが、それが思わぬマイナスになってしまいました。昭和42年に新宿駅構内で米軍の燃料輸送列車が衝突事故に巻き込まれて炎上、それを契機に当時のベトナム反戦運動とも結びついて、いかにもアメリカ的なこれらの車輌が入った燃料輸送列車への妨害行為が企図されるに及びました。ほどなくしてマーキングはすぐには判別できないような地味なものとなり、それが今回8輌セットで発売された方になります。
模型では「米タン闘争」も炎上事故とも無縁ですから、複数買いして編成を仕立てるもよしということで、私も新宿の模型屋さんで複数買ってきました(新宿ですので件の事故現場とは近いところですが)。だぶった番号についてはデカール等で貼り換えようかと思います。けん引機ですが、この時代に似合う電気機関車というと我が家には凸型車体のEF13くらいでしょうか。EF10なども似合うのですが、私は関門トンネル用の銀色の車輌のみ所有で、茶色を持っておりません。もっとも米タンの列車は横田、立川だけでなく国内の他の米軍基地にも出入りしていましたので、神奈川県の厚木、青森県の三沢でも見かけることができたようです。三沢基地には当時の専用線の跡も残されています。
これら米軍の基地というのは、日本の自衛隊の基地に比べますと大変広大な面積を持っています。入間基地などは門をくぐって10分も歩けば飛行場地区に着きますが、三沢などはゲートをくぐり、行けども行けども飛行場は見えず、その間アメ車やアメリカ風の建物を見かけたり、ということでどこの基地もそうですがゲートをくぐった中にアメリカの小さな町があり、その先に飛行場があるという感じがいたします。2000年前のローマ時代の軍団基地や植民都市というのはイタリア本国の暮らしと同じように、軍の兵営だけでなく人々が集まれる建築物や劇場、競技場、共同浴場、市場といったものもあったといいます。これらの都市や基地が発展して西欧の大都市になったところもあります。本国と同じ暮らしを国外でも提供し、現地の人々にも自分たちの文明や手法を取り入れてもらおう、というのは覇権国家に共通するものなのでしょうか。
少々堅苦しいことを書きましたが、今回の初期型米タンにインスパイアされて、レイアウトにこの時代の米軍基地を再現したい、とかセクションで作ってみたい、という方に、この時代に似合う飛行機を1/144で考えてみました。
空軍機、とりわけ戦闘機なら日本にも配備されていたF102(旧オータキ、現在はアリイ)をはじめ、F4C/D、F105、F5などはどうでしょうか。F102のような古いキットもありますが、最近のキットはだいぶ精巧なつくりのものもあります。
大型機も多数展開していたはずです。輸送機ではC-54(ミニクラフトなど)、C121(ドイツレベル、ミニクラフト)などが飛んでいました。いずれも旅客機由来ですが、特にC121についてはスーパーコンステレーションという大変美しい機体が元になっていました。また、爆撃機ではB47が飛んでいた時代です。ホビークラフトカナダから発売されましたが、後に韓国のアカデミーから再販されています。
海軍機についてはF8クルセイダーやF4B、A4スカイホークの時代でした。こちらも各社からキットが出ています。現代とは全く異なる派手な塗装や部隊マークを垂直尾翼に描いて飛んでいました。
米タンに限らず、このところ中古品などでタンク車を入手する機会があり、自分の腕の範囲でいろいろ遊んでいました。そのあたりも近々ご紹介しましょう。
それから、この初期塗装の方はトミックス45周年を記念したモデル、ということでパッケージ等のデザインは昔のトミックスを意識したものとなっています。
ご覧いただくとお判りのとおり、そこかしこに英文の表記があり、この貨車は米国陸軍輸送隊の所属となっていることがわかります。現在でも横田基地向けの燃料輸送がありますが、米軍は横田、立川といった都内の米軍基地をはじめ、基地向けに鉄道による航空燃料の輸送を行ってきました。このタキ3000もそんな任務についておりました。
製品は2輌セットです。

車輛の全景です。

車体右側には合衆国陸軍輸送隊のインシグニアがついています。終戦後に米軍が持ち込んだ8500形ディーゼル機関車(のちのDD12)にもついてましたね。以前、舵輪と松明をあしらったもの、と聞いておりましたが、タキ3000のそれは輸送部門の兵科のマークのとおり舵輪と翼と車輪のマークとなっています。

このマーキングを見ると、とても日本型のタンク車には見えず、実にアメリカ的なのですが、それが思わぬマイナスになってしまいました。昭和42年に新宿駅構内で米軍の燃料輸送列車が衝突事故に巻き込まれて炎上、それを契機に当時のベトナム反戦運動とも結びついて、いかにもアメリカ的なこれらの車輌が入った燃料輸送列車への妨害行為が企図されるに及びました。ほどなくしてマーキングはすぐには判別できないような地味なものとなり、それが今回8輌セットで発売された方になります。
模型では「米タン闘争」も炎上事故とも無縁ですから、複数買いして編成を仕立てるもよしということで、私も新宿の模型屋さんで複数買ってきました(新宿ですので件の事故現場とは近いところですが)。だぶった番号についてはデカール等で貼り換えようかと思います。けん引機ですが、この時代に似合う電気機関車というと我が家には凸型車体のEF13くらいでしょうか。EF10なども似合うのですが、私は関門トンネル用の銀色の車輌のみ所有で、茶色を持っておりません。もっとも米タンの列車は横田、立川だけでなく国内の他の米軍基地にも出入りしていましたので、神奈川県の厚木、青森県の三沢でも見かけることができたようです。三沢基地には当時の専用線の跡も残されています。
これら米軍の基地というのは、日本の自衛隊の基地に比べますと大変広大な面積を持っています。入間基地などは門をくぐって10分も歩けば飛行場地区に着きますが、三沢などはゲートをくぐり、行けども行けども飛行場は見えず、その間アメ車やアメリカ風の建物を見かけたり、ということでどこの基地もそうですがゲートをくぐった中にアメリカの小さな町があり、その先に飛行場があるという感じがいたします。2000年前のローマ時代の軍団基地や植民都市というのはイタリア本国の暮らしと同じように、軍の兵営だけでなく人々が集まれる建築物や劇場、競技場、共同浴場、市場といったものもあったといいます。これらの都市や基地が発展して西欧の大都市になったところもあります。本国と同じ暮らしを国外でも提供し、現地の人々にも自分たちの文明や手法を取り入れてもらおう、というのは覇権国家に共通するものなのでしょうか。
少々堅苦しいことを書きましたが、今回の初期型米タンにインスパイアされて、レイアウトにこの時代の米軍基地を再現したい、とかセクションで作ってみたい、という方に、この時代に似合う飛行機を1/144で考えてみました。
空軍機、とりわけ戦闘機なら日本にも配備されていたF102(旧オータキ、現在はアリイ)をはじめ、F4C/D、F105、F5などはどうでしょうか。F102のような古いキットもありますが、最近のキットはだいぶ精巧なつくりのものもあります。
大型機も多数展開していたはずです。輸送機ではC-54(ミニクラフトなど)、C121(ドイツレベル、ミニクラフト)などが飛んでいました。いずれも旅客機由来ですが、特にC121についてはスーパーコンステレーションという大変美しい機体が元になっていました。また、爆撃機ではB47が飛んでいた時代です。ホビークラフトカナダから発売されましたが、後に韓国のアカデミーから再販されています。
海軍機についてはF8クルセイダーやF4B、A4スカイホークの時代でした。こちらも各社からキットが出ています。現代とは全く異なる派手な塗装や部隊マークを垂直尾翼に描いて飛んでいました。
米タンに限らず、このところ中古品などでタンク車を入手する機会があり、自分の腕の範囲でいろいろ遊んでいました。そのあたりも近々ご紹介しましょう。