工作台の休日

模型のこと、乗り物のこと、ときどきほかのことも。

秋の夜長に夜行列車の話 2002年・パリからローマへ

2021年11月27日 | 鉄道・鉄道模型
 「ベルシー駅? イタリー行きの汽車に乗るんだね。いい旅をね」と凱旋門の近くの小さなホテルから私を乗せたタクシーの運転手はそう言って車を発進させました。2002(平成14)年の8月終わり、私は夏休みの前半をパリで過ごし、ルーブル美術館に文字通り「入り浸って」、古代メソポタミアから19世紀絵画まで堪能しました。ここからはイタリアへの旅です。金曜日ということで渋滞を考えて早めにタクシーに乗りましたが、スムースに流れてくれて予定よりだいぶ早くパリ・ベルシー駅に着きました。これから国際夜行列車ユーロナイト「パラティーノ」で一夜を過ごすことになります。今回のブログはこの夜汽車の旅のご紹介です。
 この前年からだそうですが、パリ発イタリア方面の夜行列車はそれまでのパリ・リヨン駅ではなく、少し離れたパリ・ベルシー駅発着となっていました。もともとはカートレインの発着に使われたりしていたようですが、パリ・リヨン駅に比べるとターミナル駅としての風格があるわけではなく、少々寂しい感じもします。待合室もありますが、イタリアに帰るお客さんが多いのかイタリア語が飛び交っています。掃除も行き届いていない感じであまり長居したいとは思わず、ホーム(立派な屋根もなかったですが)で列車を待つことにしました。
 ややあって列車が入ってきました。このときは少々奮発しまして「エクセルシオール」というクラスを予約していました。トーマス・クック時刻表の説明によれば各室にシャワー、トイレを持ち、一人用と二人用のスイートという部屋がある、ということでした。

(パラティーノをけん引するフランス国鉄のBB26000形機関車。いわゆる「ゲンコツスタイル」の後継にあたります)
車輛の写真ですが、ホームが狭いことや、反対側にもパラティーノから少し遅れて発車するイタリア行きの列車「ガリレイ」が止まっているなど、撮りにくい環境でしたので、いいものが撮れていません。あしからず。

エクセルシオールクラスは機関車の次位にあり、てくてく歩いて車輌に向かいました。
途中で食堂車に食材などを積み込んでいるのが見えました。


このエクセルシオールクラスのほかに、MU寝台車「Treno di notte」(直訳すると「夜行列車」になるのですが)クラスや

コンフォート=クシェット(三段ハネに相当)も連結されています。

室内を見てみましょう。入り口側からの写真です。

入り口側に枕が置かれています。

発車予定の19:09になってもなかなか動きださなかったのですが、30分ほど経って、ようやく出発です。この仏伊を結ぶ列車については、フランス国鉄とトレニタリア(イタリア国鉄を引き継いだ日本のJRに相当する企業と思えば分かりやすいでしょう)が出資した「アルテシア」という企業体から「アルテシア」というブランドが冠されていました。車内サービスなどは他の夜行列車と同様、ワゴン・リ社が担当しています。
 列車が出発してワゴン・リのスタッフがウェルカムドリンクを持ってきました。

国際列車ですのでパスポートを預け、食堂車の予約をしました。テーブルもかなり小さいです。ノートはA5サイズですから、大きさがわかるでしょう。部屋もその2年前に乗ったMUクラスに比べると狭く感じられます。シャワーやトイレをつけたりと、だいぶ詰め込んだ感があります。
 20:00に食堂車に向かいました。以前、食堂車の話を書いた際にも触れていますが、この時に何を食べたか記録をつけておりませんでした。年齢も、出身も違う男4人(フランス人1人、イタリア人2人、日本人1人)がテーブルを囲み、赤ワインを飲みつつ、パスタ、メイン、デザートを食べたのだと思います。
 それでも最後の方にはだいぶ打ち解けた我々でしたが、食後は各自の車輌に戻っていきました。

エクセルシオールクラスの廊下。狭いですが綺麗な内装です。

さて、室内の続きになりますが、トイレの上にタオルやセーフティボックスがありました。


洗面台と鏡。

洗面台の奥がシャワーとなっています。

引き戸で閉まるようになっていますがシャワー室内は大変狭く、とても難儀したことを覚えています。小柄な私でも窮屈に感じましたので、大柄な西洋人が乗ったらどうなるのか、気になります。
 酔いも手伝って早々にベッドに入りました。寝心地は悪くありませんでしたが何度か目を覚まし、6:00頃に起きたと当時の日記にあります。列車はジェノバ、ピサと地中海沿いを走るルートをとっていますので、とても美しい景色が広がります。7:30頃、朝食(と新聞)が部屋に来まして、パスポートもこのときに返却されたのだと思います。

 列車はまだ遅れています。何度か行き止まり式のホームに入ったことで私の車輌は最後尾になっていました。車端部にサービスカウンターがあり、ワゴン・リのスタッフが朝食用のコーヒーを準備していました。

 部屋にずっといるのも退屈でしたので、車端部のカウンターでしばらく景色を眺めておりました。スタッフ氏も時間ができたのか、私に話しかけてきて、私が汽車好きと知るや、日本の夜行列車事情について聞かれました。その頃はご存じのとおり「ブルートレイン」も含めて日本の夜行列車もだいぶさみしくなっていました。ただ、北海道方面の列車(カシオペアなど)についてはかなり興味があったようで、何時間かかるのか、料金はどれくらいか、と言ったことを聞かれました。風景が後ろに後ろに流れていくのを見ながら列車はローマに向かいます。
 結局ローマには定刻より40分くらい遅れ、10:30過ぎに着きました。一晩のちょっと豪華な旅も結びでございます。ローマ・テルミニ駅はお世辞にも治安が良いとは言えませんので、早々に駅を離れ、ホテルに向かいました。

 実はもう一度エクセルシオールクラスに乗る機会があったのですが、あいにく車輌の都合で連結されず、MUクラスを二部屋提供するので使ってほしい、となりました。アルテシアという名前もなくなり、連結される車輌もだいぶ変わったようです。ただ、最近では夜行列車も見直されつつあるようですから、また、どこかの機会でこういった列車に乗ることがあるかもしれませんね。


エクセルシオールクラス用のドリンクメニュー。カウンターで別料金を払って頼むことができました。

裏表紙にはアルテシアのロゴとフランス国鉄、トレニタリアのロゴ、ワゴン・リ社のロゴが入っていました。


エクセルシオールクラスの形式図と写真(Luigi Voltan著 FS Carrozzeより)
一人部屋7室と二人部屋一室という構成のようです。

 
 







 









 

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秋の夜長に夜行列車の話 MUタイプの寝台車に乗客を入れてみた

2021年11月23日 | 鉄道・鉄道模型
 ブログを少々ご無沙汰にしておりました。本業が多忙だったのと、飛行機の模型でがっつり時間を取られていたのが原因でございます。
 さて、前回のブログですが、食堂車を除いた客車のラインナップについては、グリーンマックスの「寝台急行列車」セットと同じでしたね。もちろん、カトーがこれらの客車を製品化したことは大きいのですが、私も昔はGMキットのラインナップを見ながらああでもない、こうでもないと思いを巡らせており、改めてGMキットの偉大さを再認識した次第です。実は先日も10系座席車の未塗装キットを入手しており、自由形も含めて編成を組んでみようか、などと思っております。
 さて、今回も夜行列車が題材ではありますが、ヨーロッパの寝台車の模型がテーマです。私自身、特に好きな車輌や自分が乗った車輛を中心にHOゲージ、16番の製品を買っておりますが、今回のMUタイプの寝台車も「自分が乗った車輛」としてコレクションに加わっております。
 MUタイプの寝台車というのはヨーロッパで1970年代に登場した一等寝台車で、線路と直角方向に寝台を配置しており、そのあたりは日本のオロネ25に近い形ですが、オロネ25が一人分の個室となっているのに対し、こちらは最大三段まで、各部屋に寝台を設置することも可能となっています。
 私はかつて二度、この車輛で一夜を過ごした経験がありますが、思い入れもございまして、HOゲージで買ってみようとなったわけです。こうしてフランス・ジュエフ製のMUクラスがやってまいりました。購入したのは2007年のことで、モデルバーンさんで買ったものです。この製品、内部が「夜姿」となっており、寝台をセットしていない客室から二段に寝台を設置した客室もあり、モデラーにとってはこれで遊び倒しなさい、と言われているようなものでございます。

寝台車の乗客の人形については、プライザーから発売されておりまして、いろいろなポーズを取っておりますので、これをベッドの上に置くだけで夜行列車の風情が楽しめるものとなっています。ジュエフの製品ですが、屋根が取り外せるようになっており、さらに内装だけ取り外せますので、好きなだけ手を入れられます。




既に身支度を済ませた人、まだ眠っている人など様々です。
 さて、MUタイプの寝台車が連結される列車というと欧州の国際夜行列車である「ユーロナイト」がありました。ユーロナイトの一等寝台車というと、朝食のルームサービスがあるわけですが、それ以外に到着国の新聞もサービスされていました。外から見ると分かりづらいのですが、通路側の窓の桟の位置に手すりが渡されており、ここに新聞を二つ折りにして「ぺろん」とかけておりました。

私もこれを再現してみようと思い、真鍮線を銀色に塗り、インターネットから落としたイタリアの新聞の画像を真鍮線に巻き付けました。その後、ゴム系接着剤で真鍮線を固定しました。


ちなみに私が乗ったのはフランスからイタリアに向かう列車で、彼の地の新聞は「コリエレ・デッラ・セーラ」が多かったように思います。
なお、ルームサービスの朝食ですが、以前拙ブログでご紹介したとおり、質素なものでした。すべてたいらげてトレイだけ残っているということもあるでしょう。


 もともとMUクラスの模型に人形を入れたのは購入してすぐのことでした。今回、ブログの記事に合わせて改めて手を入れたりしております。立ち姿の人形については、製品の床がかさ上げされていますので、膝の部分で一旦切り離し、縮めることで背を低くしていますが、それでも少々背が高くなってしまいました。
 
 なお、ヨーロッパの夜行列車ではこのタイプの寝台車だけでなく、T2、T3といった個室寝台車がつなげられておりました。それだけではなく、クシェットと呼ばれる簡易寝台車、食堂車、座席車まで含めますと15輌程度の長い編成でした。座席車と食堂車なら何とか手持ちの車輌で間に合いますが、本格的に編成を再現する場合は、いろいろと買い込まないといけないようです。




 

 
 
 


 

 

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秋の夜長に夜行列車の話 10系客車の夢の編成

2021年11月11日 | 鉄道・鉄道模型
 今では昔の話となってしまいましたが、かつては多くの夜行列車が日本の各地を走っていました。私が子供の頃はブルトレブームのただなかにありましたので、24系25形が子供たちのスターでありました。ちょっと変わった子供だった私には、24系25形よりも気になる車輌がありました。それが今回採り上げる10系寝台車です。10系寝台車は主に急行用として、最盛期には日本の多くの幹線を走っていましたが、私が小学生になったころには急行列車が削減されたこともあり、見かけることも少なくなっておりました。それでも、上野駅に到着する列車には、10系寝台車が連結されているものもあり、くたびれたEF58にけん引されてやってくる姿と共に、今も覚えております。
 模型でも10系寝台車は好きで、かつてはGMのキットやマイクロエースの製品で、平成に入ってからはカトーが素晴らしい完成品をリリースしており、私のコレクションに加わってから長い年月が経っています。そこで今回のテーマになるわけですが、これらの車輌を組んでどのような列車に仕立てようか、というわけです。急行列車ですからさまざまな車輌が入り、当然のようにスハ43系などの旧型客車が入ったりするものですが、私は一部のグリーン車を除いてオール寝台車にするのがお気に入りです。そんな夢の編成のはじまりです。なお、模型は特記以外カトー製品です。
優等客車が先頭近くにきますので、初めはオロネ10です。20系のナロネ21に準じたスタイルは編成中唯一のA寝台車です。

次は寝台車ではありませんがグリーン車、スロ62です。10系のグループとは違いますが、風格ある「特ロ」座席車です。

お次は食堂車です。10系の食堂車と言いますとオシ17が、やはり20系のナシ20に準じたスタイルでありますが、ここはオシ16にしたいと思います。
<オシ17>

<オシ16>

この車輛についてはマイクロエースの完成品もありますが、私はGMのキットを組んでいます。オシ17のような本格的な食堂車ではなく、ビュッフェ車に相当するのですが、形の面白さもあってこの形式は好きです。GMキットですので本来インテリア等はありませんが、Nゲージの食堂車のパーツなどを切り出して車内を再現しています。

この後はB寝台車が続きます。
B寝台車は寝台側、通路側でデザインが異なり、その非対称なデザインも含め、私が10系寝台車を好きな理由の一つでした。

オハネ12、スハネ16、オハネフ12が連なっています。



カトーの製品が発売された時、窓越しに見える寝台のパーツにとても感動したことを覚えています。マイクロのそれは断面形が少し違っており、カトーの製品で溜飲を下げたわけです。
実際にはB寝台車の寝台幅は狭く、さらに三段式ですから身動き一つとるのも楽ではないのですが(583系もそうでした)、昔はそれが普通でした。
急行の場合、ほとんどが機関車の次位に荷物車や郵便車が連結されます。ここではあえてご紹介しませんが、模型では各種リリースされています。茶色や青い客車のみならず、銀色に輝くパレット輸送の荷物車などをつなげても面白そうです。
 さて、実際には寝台車のみ(寝台車+グリーン車)で編成された夜行急行というのはかなり稀で、かつての「さぬき」や「安芸」、特急用座席車だったスハ44、スハフ43を連結したものを含めても「銀河」など、数えるほどでした。でも、そこは模型ですから「こんな編成ない」などと目くじらを立てずに見てあげてください。
 また、個人的には合造車のオロハネ10も好きなのですが、よりローカル色の強い運用となり、オール寝台車の急行にはちょっと向かないかもしれません。

車輛中央に出入り台を持つというのは国鉄の客車でも特に珍しく、そこがこの車輌を特徴づけています。

 では、けん引機はどうなるでしょうか。「定番」の青いEF58が思い浮かぶでしょうが、自分の好きな機関車を先頭に立たせてあげるのもよしです。

EF57でもよく、

非電化区間にDF50が走っているかもしれません。

もしかしたら峠をEF71に牽かれてやってきたかもしれないですね。

(EF71のみトミックス製品、他の機関車はカトー製品)

今回の記事は、こちらのCDを聴きながら書きました。

ザ・スクエアの「STARS AND MOON」(1984年)です。この年にリリースされたもう一枚「ADVENTURES」が夏向きのアルバムであったのに対し、こちらは「秋・冬」を意識しています。この中の「Maybe I'm wrong」や「Cry for the moon」、「遠雷」などは特にお気に入りです。「Cry for the moon」は和泉宏隆さん作曲の、何とも日本人の心に刺さる哀調を帯びたバラードです。ラストのソロのところなどは自分がこういった夜行列車に乗っていて、列車は汽笛を鳴らしながら大きなカーブを切り遠ざかっていく・・・といったイメージをしています。「Cry for the moon」には「ないものねだり」とか「叶わぬ願い」みたいな意味があるようですが、模型の世界ではないものねだり、ではなく、理想の(空想の)編成で一夜の夢を見たいと思います。
このアルバムのジャケット、裏側も含めて秀逸なデザインもお気に入りです。




 





 
 

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あの日の入間には大きな飛行機たちがいた

2021年11月03日 | 飛行機・飛行機の模型
 11月3日といえば入間基地の航空祭の日であり、拙ブログでも写真をご紹介したこともありましたが、昨年に引き続き(当たり前ですが)、今年も航空祭はなく、よく晴れて例年より暖かい一日を都内で過ごしておりました。
 航空祭というとブルーインパルスのフライトが目玉ではありますが、その基地にもともといる機体や、外来機も含めて楽しめます。かつての入間基地の場合はC-1、YS-11といった比較的大きな機体が運用されており、大きな飛行機については珍しさもあまりなかったのですが、外来機・とりわけ海上自衛隊機などはなかなか目にする機会もなかったので、その遭遇を楽しみにしておりました。
 私が初めて入間基地を訪れた1980年代前半には、まだS2Fトラッカーといった機体もいましたが、私が海上自衛隊の大型機でとりわけ好きだったのはP-2Jという対潜哨戒機でした。アメリカ製のP-2V7という対潜哨戒機をベースに、エンジンをターボに換装して、全長も少し長くなっていたこともあり、スマートな印象を受けました。当時の海上自衛隊はシーレーン(海上交通路)の防護という、先の大戦を教訓にしたドクトリンを掲げており、その実現のために海では護衛艦8隻、ヘリコプター8機という「新8-8艦隊」が、空からはP-3C対潜哨戒機の大量配備が進められていましたが、P-2Jも旧式ながら現役でした。エンジングレイと白のツートンカラーで、機首に見張員の席と風防があるというのも昔風ではありますが、そこもまた好きな理由でした。入間基地の公開では乗員の方がとても親切で、こちらの質問に丁寧に答えてくださっていたのが印象的でした。機首の見張員席については「上下左右海と空しか見えない最高の空間」だそうで、高所が苦手な私などは想像するだけで足がすくみますが・・・。また、グッズなども隊員の方たちが持ち込んでその場で売っていたことを思い出します。

写真は1993(平成5)年入間基地にて。

画面右には見張り員席が見えます。
 P-3Cはプラモデルなども早くから出ていましたが、P-2Jはなかなか模型化に恵まれていません。1/144の半完成品でフジミ(ギガプロブランド)から何種類か出ていたのみです。待望久しかったと見え、市場からなくなるのも早かったように記憶しています。

1/150の人形を入れました。もちろん見張員席にも入れてあります。Nゲージの気動車用のタブレット保護網を使って足を乗せる網の部分を再現しています。

ちなみに現在の実機の姿がこちら。岐阜のかがみがはら航空宇宙博物館で屋外展示されています。

P2Jは退役まで大きな事故等もなく飛び続けました。

 同じく、海上自衛隊の大きな翼で印象に残っている中に救難飛行艇US-1がありました。

(写真は厚木基地で撮影)
現在の実機の様子はP-2J同様にかがみがはら航空宇宙博物館で見ることができます。


このUS-1が重い腰をよいしょっとばかり空に浮き上がる姿は迫力がありつつもなんともユーモラスで、これを見ると「また来年だな」と思いながら基地を後にしていたものです。

写真が抜けていましたね。すみません。こちらが帰投していくUS-1です。
 
 入間基地の外来機では1980年代だったかと思いますが、米軍のC-141が来ていたこともあります。大型機は飛行場の左側で展示されることが多く、混雑のおかげでなかなか見に行くことがかなわない時もありますが、特別塗装機が展示されることがあり、人込みをかき分けて、あるいはブルーインパルスのフライトが終わってみんなが帰り始めた時間をねらって見に行っております。

令和3年11月5日に写真追加しました。




 
 

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シチューの季節

2021年11月02日 | ジオラマあれこれ
 こんなタイトルを書くとハ〇ス食品かと思われてしまいますね。朝晩が次第に冷え込んでまいりましたので温かいものが恋しい季節です。模型の世界では戦場のつかの間の休み、温かい食事にありついてほっとしているといったジオラマもあります。
 タミヤ1/35ミリタリーミニチュアシリーズでは、第二次大戦ドイツ軍の食を支えたフィールドキッチンがラインナップされています。フィールドキッチンセット(35103)と、野戦炊事セット(35247)がそれにあたりますが、今回は後者の方を作ってみました。

 シチューを煮炊きできる大きな鍋や、コーヒーなどを沸かせる鍋などがついたキッチン部分と前車が入っており、さらに炊事を担当する兵士2体、食事にありつこうとする兵士2体が入っているほか、パン、チーズ、リンゴといった小物も豊富です。
 キットはストレートに組んだだけなので、特段ディテールアップや一部素材を金属に置き換えたりといったこともしていません。ただし、フィールドキッチン部分のキットは1978年登場で寄る年波というものもあってか、さすがにパーティングラインなとが目立つところもありますので、丁寧に処理してあげましょう。
 フィールドキッチンそのものはちょっと年季が入った状態にしたかったので、やや退色したジャーマングレーにしました。Mr.カラー515番の「ジャーマングレー「グラウ」(退色時)」というものです。こちらをベースに塗り、ファレホなどの塗料でハイライトやウェザリングをしました。逆にミルク缶の一つは新品ということで退色していないジャーマングレーにしています。


 鍋の蓋は開くようになっており、鍋も再現されていますので、当然中身も欲しくなります。ドイツ軍の食事と言えばグラーシュと呼ばれるトマトのシチューです。グーラッシュとか、グヤーシュなど、国によって呼び名は違いますが、中欧、東欧でよく食されているシチューです。写真では分かりづらいですがエポキシパテでシチューを作り、具材はランナーをニッパーでランダムに切り、パテに差し込むようにして野菜などがゴロゴロしている様子を作りました。コーヒーの鍋の蓋まで中途半端に開いていますがご愛敬ということで。
 人形も基本的にストレートに作り、ファレホなどで塗っています。なんか実にいい表情ですね。緩みきった感じが戦場というよりは「ドイツ軍に昼が来た」という感じです。
 


 ストレートに組みました、ということでしたが、タミヤのドイツ国防軍は食料の補給がかなり充実しており、パン、果物、チーズなどを置くところがありません。今回の付加工作ではありますが、1/35のテーブルのキットにパンやリンゴを、ドラム缶の上にプラ板でまな板にしたものなどを置き、その上にもチーズやパンを置きました。なお、パンのパーツについてはファレホのオフホワイトで塗り、乾いたら薄茶色を塗り重ねることでパンの質感を出すようにしました。リンゴについてもクリーム色で地色を作り、その上からそれぞれの色を塗っています。また、前車を支えるためドラム缶を倒して前車のバーを渡してあります。

 地面はタミヤの情景テクスチャーペイントを使っています。設定が平地ですし、手軽に地面を再現できるので気に入っています。ところどころ「ミニネイチャー」の草を貼っています。
 
 母親が食に関わる仕事をしていたせいなのか、私がただ単に食べることが好きなせいなのか、食べるということや料理を作るつくることが昔から身近にあり、私も週末には台所に立つことが多いです。その中でグラーシュを作ったこともあります。モデルアートで「パンツァーグラフ」という増刊が出ていたことがあり、2006年春号で戦場の料理が第二特集として組まれていました。

軍装などのコレクターでもある「シュタイナー」氏が当時のレシピを元にグラーシュを作っています。模型雑誌に料理の作り方の記事というのはかなり珍しいと思いますが、料理の初心者でも理解しやすいよう、かなり細かく紹介されています。

この通り作ると時間も相当かかりますし、入手がちょっと難しいスパイス類もありましたので、そこは適宜妥協しながら作ったのがこちらです。

グラーシュは私もウィーンで食べたことがあります。グラーシュの専門店、というお店で食べました。中欧、東欧では国民食みたいなものなのでしょうか。レシピはドイツ軍のものにこだわらなければネットで様々なものが公開されています。次のお休みの日に、皆様もいかがですか。
 実はこのジオラマ、今年の3月頃に作っていたのですが、完成したころにはだいぶ暖かくなって、季節感も薄れたなあということでご紹介が遅くなりました。ちょうどその頃、深緑野分さんの「戦場のコックたち」という小説を読んでいて、こちらは米軍の空挺師団に所属するコックたちが主人公ですが、プラモデルと小説で戦場の「食」に思いをはせておりました。ちなみに現代のドイツ連邦軍でも個人戦闘用糧食にグラーシュは入っていて、戦場カメラマンの宮嶋茂樹氏が実食したところでは携行食とは言っても侮りがたい味、だそうです。
 食後はこちらもどうぞ。日本にも入ってきているカフェイン入りチョコレート、ショカコーラです。

左がビター、右がミルクです。放射状の線の入ったデザインは第二次大戦中も同じでした(当時は国家鷲章が入っていたようですが)。私が買ったビターの方はタミヤが輸入元でした。

 私自身、1/35というと日本軍の戦車を作ったりしたこともありましたが、大砲のついたものよりもソフトスキンと呼ばれるものを作る傾向にあります。いつかは勇ましいドイツ兵とか、「コンバット」の世界そのままにGIたちを再現したいと思うのですが・・・。もっとも、馬に牽かれたフィールドキッチンもストックにあるので、こちらも忘れずに作りたいところです。手綱や馬具を細いプラ板で作るのと、馬を塗るのに二の足を踏み続けて幾星霜となっているのですが、まだまだどこかの戦場で、兵士たちが「シチューの大砲」を待っていることでしょう。




 
 

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