先日、新宿のSOMPO美術館で開催の「カナレットとヴェネツィアの輝き」という展覧会を観てきました(12/28まで)。カナレットは18世紀ヴェネツィアで活躍した画家で、ヴェネツィアの風景を美しく、細密に描いたことで知られています。18世紀のヴェネツィアは文化の爛熟期とでも言いますか、既に地中海、欧州の経済大国ではなくなっていたものの、都市国家としての魅力は衰えておらず、折しもこの時代にイギリスの上流子弟の間で流行した「グランドツアー」と呼ばれる大規模な「卒業旅行」の行先の一つでもありました。
こうしてヴェネツィアを訪れたイギリス人たちが買い求めたのがカナレットの絵とも言われており、今なら絵葉書を買うところでしょうが、裕福な人たちはこれらの絵を土産にイギリスに帰ったわけです。土産にできるサイズですので、巨大な絵は少なく、教会の聖堂を飾るよりも屋敷で飾れるサイズという感じです。ヴェネツィアでもカナレットの絵は美術館にありましたが、お土産で持ち帰った先のイギリスでも多くの美術館や個人が所蔵しており、今回の展覧会もイギリスの美術館から多数来ていました。
美術館入り口にて
もともとヴェネツィアという街はどこをとっても「絵になる」場所ばかりでして、こうしたさまざまな名所をカナレットは描いています。今も変わっていないところも、変わってしまったところもありますが、しばし18世紀のヴェネツィアにタイムスリップした気分でした。ゴンドラも今より大きく、小さな船室を構えていますし、大運河を結ぶ橋もリアルト橋くらいです。名所だけでなく、元首が執り行う「海との結婚式」と呼ばれる行事なども、元首の御座船と共に描かれていますし、レガッタなども題材になっています。浮世絵的な言い方なら「名所ヴェネツィア百景」という感じです。
細密な絵を描くことができた理由として、カメラ・オブスキュラと呼ばれる道具をカナレットが使っていたとされています。これは原始的なカメラであり、ピンホールを使って画像が写しだされるというもので、後の写真機とは違って画像を定着させることができませんが、それでも画家にとっては見たままの風景を写し取ることができたわけですから、便利な道具だったでしょう。展覧会場にもカメラ・オブスキュラを体験できるコーナーがありました。
カナレットは絵画だけでなく、素描や版画も遺していて、版画などはなかなか見る機会がありませんでしたので、点数はそれほど多くありませんが、興味深いものでした。また、オーストリア継承戦争の影響もあり、イギリスからの「グランドツアー」が減ってしまうと、今度はカナレット自身がイギリスに出向いて、イギリスの風景を描いています。これもイタリアで見ることはありませんでしたので、新鮮でした。
展覧会は同時代の画家や、甥のベルナルド・ベロットの作品もありました。甥のベロットはドイツやポーランドで活躍し、伯父さん譲りの細密で美しい風景画を描いています。その描写の正確さが、後年思わぬ形で役立ったそうで、第二次大戦の空襲で灰燼に帰したドイツのドレスデンの復興の際に、ベロットが描いた建物が再建の参考になったそうです。
私が気になったのはこちら(ちなみに館内は一部を除いて撮影自由でした)。
18世紀頃の画家で作者不詳とのことですが、サンタ・ルチア聖堂とスカルツィ聖堂、とあります。手前のサンタ・ルチア聖堂は19世紀後半に鉄道がヴェネツィアまで通った際に鉄道駅の用地として取り壊されています。今は駅の名前(ヴェネツィア・サンタ・ルチア)として残るのみです。
また、スカルツィ聖堂のあたりも、後に大運河を渡るスカルツィ橋がかかり、風景は一変しています。私がヴェネツィアを訪れた際によく泊まっていたホテルがこのあたりですので、18世紀はこんな風景だったんだなと思わせます。ヴェネツィアは18世紀の終わりころにナポレオンのフランスの前に降伏し、共和制の国家ではなくなります。その後は大国の思惑に翻弄されるかのように「持ち主」が変わり、日本で言えば幕末、明治維新の頃に統一したイタリアに組み込まれ、今に至っています。
ヴェネツィアは政体が変わろうが、属する国が違ってもその後も多くの画家を惹きつけていて、展覧会ではモネなどカナレット以降の画家の作品もありました。ヴェネツィアと美術と言いますと、個人的には16世紀くらいまでのルネサンス期の画家に興味が行きがちでしたが、イタリア本国でもあまり見られないくらい、カナレットの作品を堪能しました。今も変わらない場所の絵を見るにつけ、手紙を書くと言ってずっとそのままになっていた現地の友人に、手紙を書いて送ろう、と思い起こさせた展覧会でもありました。
(12月21日に一部訂正しました。スカルツィ聖堂が取り壊されたと書きましたが、今も残っています)