工作台の休日

模型のこと、乗り物のこと、ときどきほかのことも。

2024年/令和6年 今年もお世話になりました

2024年12月31日 | 日記

 今年もいよいよあと少しとなりました。長いお休みと言いつつも積み残しがいろいろ出てしまい、もう少しゆっくりした年の暮れにしたいなあと、毎年のように思っています。今日は買い出しをちょっこっとして、大掃除の続きをして、年越しそばを食べ、おせちの煮物を作り、ライブに出かけ、帰って片付けの残りをしてご飯を食べ、孤独のグルメを観ながらのんびりして、ようやく年越しとなりそうです。

 模型に関してはT-TRAKジオラマとつきあった一年でした。不満もたくさんありますが、それでも自分が表現したいことの何割かはここでお見せすることができたと思っています。私の拙い情景をご覧いただいた皆様、誠にありがとうございました。特にT-TRAKジオラマショーの方は、出展者が説明できる作りになっていればなお良かったのですが・・・。

 本業の方ではいろいろありすぎて困ったものですが、プライベートでは、年の暮れにとっても印象的なライブを観ることができて最後の最後でとても幸せな気分になりました。ここ数年でベスト、というかずっと印象に残るライブでした。演奏者、それから関係者の皆様、ありがとうございました。ライブレポは正月中にあげますね。

 毎年のように思っていますが、来年はもう少し穏やかな一年になったらと思います。そして、皆様の趣味生活のどこかに、このブログがありましたら、私としてもとても嬉しく思います。

写真は裏側から見た私のジオラマです。この角度から見ることができるのは「中の人」の特権ですが、こうして皆様にも、写真でお見せする次第です。

 

 

 

 


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トレンチコートはお好き?

2024年12月31日 | 日記

 本格的な冬がやってまいりまして、最高気温が15℃を下回るあたりから、私もコートが通勤で欠かせなくなります。背広にネクタイという姿のため、コートもそれに合うようなものとなりますが、そのコートに関わる話が、今日のテーマです。

 就職した頃に着ていたのは、おしゃれないとこのお下がりの黒いトレンチコートでした。ちゃんとベルトもついていて、トレンチコートとしてのデザインに忠実なものでした。すなわち、大きな襟、背中のヨーク型ケープ(二重になっているところですね)、肩のエポーレットなどです。トレンチコートはその名の通りトレンチ(塹壕)での戦いとなった第一次世界大戦の際にイギリス軍の将校が着用し、それが戦後になっておしゃれとして普及したと伝えられていることは、このブログの読者ならお分りでしょう。トレンチコートの原型は第一次大戦以前に既にあったそうですが、それが広まるきっかけになったのが第一次大戦だったということのようです。

 私のコートは黒ということもあって少々珍しかったですし、黒いコートというとロンメル将軍みたいで(あちらは革でしたが)かっこいいな、と(単純ですが)気に入っておりました。

 その後も何度かトレンチコートを買いましたが、他のコートに比べてやはり高価なこともあり、近年ではトレンチコート的なものではない、もっと簡単なつくりのコートを着用していました。

 昨年のことですが、偶然眺めていたミリタリーショップの通販サイトにコートがいくつも出ていました。値段も安価ですし、ミリタリーの服に関しては「ハズレ個体」もありますが、デッドストックなどは概ね問題のない製品が多いと思います。その中で私が気に入ったのはイタリア軍の紺色のコートで、空軍のデッドストック品のようでした。早速注文して着てみました。ベルトこそないものの、トレンチコートの特徴はだいぶ押さえていますし、ライナーもついていて暖かく、気に入りました。ライナーに小さな汚れもありましたが、気にするレベルの話ではないので、そのまま着ています。丈の長いコートと言うのは防寒性も優れていますが、着た時に動きが重くなります。私のようにせかせか歩いてしまう人間にとっては、動きを重くした方が見てくれも含めて良くなるかな、と思いました。ローマ時代のトーガと呼ばれる長衣も、動きを荘重にする効果があったと言われますが、このコートもなにかそんな気がしました。また、軍服由来だからか、背筋がピッと伸びるような、自ずと胸を張っているような仕立てになっているように感じられ、そこも気に入った一つです。紺色と言うのもちょっと珍しいですが、オリーブドラブとか選ぶよりはミリタリーっぽくなくて着やすいかなと思いました。多少ごわごわしていたり、重いところもこの服の個性、と思って着ています。

 と、ここまで書けばいいものが手に入って良かったですね、となりましょうが「ちょっと待った」が入りました。私の家人です。このコート「全体に四角く見えるんだよね、それから襟が大きくて威圧感半端ないし」と少々ご不満のようです。たしかに仕立て方として着用した時に四角っぽくしているようです。また、肩パットが入っていないのに、なで肩の私が着てもがっしりした感じに見えるようです。威圧感半端ないのは軍服由来だから仕方ないところです。そうは言っても私も変える気持ちはなく、このコートがしばらく間、冬の相棒となってくれることでしょう。

 コートのことが気になっていましたら、実際にミリタリーモデルではトレンチコート姿のフィギュアってあるかなあと探してみたのですが意外に少なく、「正統派の」ものはレジンキットで見かけた程度です。昨年の今頃、コート姿のドイツ兵をビネットにしましたが、今回も英・独のコート姿の軍人さんにご登場いただきました。

 なお、英独ともに士官の装備の中には個人が用意する場合があります。古代ギリシャなどで市民が装備を自分で賄っていたと聞きますし、ローマ時代でも騎士は自分で馬、馬具などを自分で揃えていました。このため、騎士階級と言うのは経済人という意味合いもあったと聞きます。中世においても騎士たちは自分で装備を調達し、それぞれ個性のある装飾などを施していましたね。第二次大戦までは士官たちの中には貴族階級出身者も一定数見られたでしょうから、装備の自己調達は昔の名残だったのかもしれませんね。

まずはこちら。タミヤの近年の製品「ドイツ野戦指揮官セット」の二人です。左側の将校はコート姿ですね。双眼鏡のひもをプラ材で追加したくらいで、あとはストレートに組んでいます。地面に刺さっている鉄骨のようなものは「バリケードセット」のレール部分です。一部あぶって変形させています。

横の士官に命令を出している感じですね。「ここは鉄十字章授与者のハンスちゃんなら20人くらいで攻め込めばなんとかなるでしょ」なんて軽薄な口調ではないはずです。

二人の後姿。倒木なのかこちらの木も「バリケードセット」から持ってきました。

キットはこちらです。昔ほぼ同じ内容のセットが出ていたのですが、こちらは現代の技術による「リメイク」版です。

ドイツからはもう一つ。タイトル画像にもありますが、将官と副官と言う感じですね。

望遠鏡を覗く将官は昔のキット「ドイツ指揮官セット」から。

副官はさきほどの「ドイツ野戦指揮官」のひとりです。

こちらの将官、現代のキットほど立体的な造形でないのと、ディティールも追加してあげる必要がありました。コートにつきもののボタンは、プラパーツで1mmリベットとして売られているものをつけたりしています。また、黒いコートですのでハイライトなどを適宜工夫して、立体的に見せるのに苦心しました。

ロンメル将軍の黒いコートは革だったようですが、こちらは別の素材と言う設定です。

テーブルとイスは「コバアニ模型工房」の製品を使っています。地図の上の瓶はアスカモデルのもの、文鎮は市販の丸モールドのプラパーツに色を塗ってあります。将官のヘルメット、ジャーマングレーの特別仕様のようです。

前線を見つめる将官という感じですが、苦戦している場所に時にはサイドカーで乗りつけ、士気を鼓舞し、時には大胆な手法で勝利に導くタイプの将軍のようで、ロンメルほどではありのませんが、連合軍から「ハンニバル」、「カエサル」といった軍事の天才になぞらえたあだ名を持っていた、という設定です。副官の方が心配そうに見つめている感じですね。「よし、南側の河川伝いで苦戦しているところへ行くぞ。サイドカー用意しろ」と命令が下りそうです。このジオラマ、余白が多いので地面に土のうとか積む余地がありそうです。

迎え撃つイギリスの将校はこちら。

あっちがハンニバルなら、こっちはスキピオですか・・・。と言ってそうな英軍将校は、ミニアートのイギリス軍士官セットから。以前、タミヤのSASジープと絡んでいた方の仲間です。

先祖代々の陸軍士官の家系で、御先祖様はクリミヤで戦ったとか、父親は前の大戦で塹壕戦を経験したのかもしれません。コートはタミヤアクリルのカーキドラブをやや明るくしたもので塗っています。ドラム缶はタミヤ製、テーブルを乗せていますがこちらはコバアニ模型工房製、上のビスケット缶やボトル、足元の缶はアスカモデル製です。もちろんボトルの中身はお酒ではないでしょう。

先述しましたがタミヤの最近の製品は本当に立体的で、ちょっとハイライトをつければ陰影のある仕上がりが期待できます。私も多少ハイライトをつけたり、逆に影の部分は暗く描きこんだりしています。昨今のハイライトを強調する仕上げはあまり好きではないのですが、できあがった人形たちを見た家人からは「もうちょっとハイライトをつけるのもありだよね」とコメントをいただきました。美術を学んでいた人のコメントなので、たぶん、いやきっと正しいと思います。

 

コートの話を長々書いてきましたが、私が随分前にトレンチコートで通勤していたときのこと、電車の中で私より年かさの男性と高校生くらいのお嬢さんが乗っていました。お父さんは革のハーフコートというなかなかお洒落ないでたちでしたが、娘さんは気に入らない様子で「なんでそういうの着るの?ああいうの(私の方を指さして)にしてよ」と言っています。「ああいうの」を着ている私だって、コートの下のネクタイなんかはイタリア製の派手なものだったりするのですが・・・。

今年の模型の話はここまで、また食後にでも、年末のご挨拶といたしましょう。

(参考文献 ミリタリーユニフォーム大図鑑 文林堂)

 

 

 

 

 

 

 


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わたしの「つばさ51号」

2024年12月30日 | 鉄道・鉄道模型

 私が子供の頃のことですが、冬休みに家族で山形蔵王までスキーに行ったことが何度かありました。新幹線開業前ですので「やまばと」や「つばさ」といった奥羽本線の特急に乗って、山形を目指すわけです。上り列車が雪をたくさんつけて走る姿には旅情をかきたてられましたし、板谷峠を越えて山形に着いたときは、東京とは全く違う景色に、遠くまで来たなと思ったものです。

 そんなある年の冬、父が「今年は臨時列車のつばさ51号のチケットしか取れなかったよ」と言っていました。果たして上野駅まで行ってみると、そこに停まっていたのは485系ではなく、青い14系座席車でした。雑誌等でしか見たことが無い車輛でしたので、私とやはり汽車好きの兄にとっては嬉しいサプライズでした。車内は特に電車特急とはあまり変わらず、リクライニングシートが「簡易型」と呼ばれる、踏ん張っていないと背もたれが戻ってしまうタイプではありましたが、快適に過ごしました。

 小山あたりを過ぎた頃に「ちょっと列車内を探検してくるか」と父と私たちは他の車輌の様子を見に行きました。普通車を何輌か歩いた後に、やはり電車特急と同じグリーン車にたどりつきました。そしてさらにそこを抜けると、食堂車が・・・あれ、14系座席車って普通車だけでは?と思われた方もいらっしゃるでしょう。そう、このグリーン車と食堂車は、模型だけの架空のものです。

14系座席車は多客時や団体輸送などのために作られた形式で、食堂車はもちろんのこと、グリーン車すらありませんでした。編成としてのまとまりも含めて個人的には嫌いではなかったのですが、やはり特急用の形式であるならば、食堂車とグリーン車があったら面白いだろうなと思っていました。そこで我が家の14系(カトー製品)に増備してみようとなったのです。実は以前にも14系座席車にグリーン車、食堂車を入れたことがあり、その時は白帯も塗装で再現しましたが、上下で違う微妙な帯の太さが再現できませんでした。そこで今回、もう一度別の手法でやってみようとなったのです。

まずグリーン車の方ですが、カトーのサロ481を種車にしました。車体と床板、屋根もばらして車体に1000番のサーフェーサーを軽く吹いた後で青20号を塗りました。青20号はグリーンマックスのカラーでもありますが、カトーの14系の車体色からはやや離れています。そこで今回はインレタ等でおなじみのトレジャータウンから発売の塗料を調達しまして、こちらをエアブラシで吹きました。大容量の瓶に入っているので使い切るまでが大変そうです。だいぷ色が近づいた感じです。

そして食堂車の方ですが、こちらはサシ481を使っています。

ただこちらの場合はグリーン車ほど簡単ではありません。サシ481は車体の妻面に簡易運転台を取り付けていますのでアクセントではありますが、こちらは窓部をプラ板でふさぎ、灯火のモールドを削り、屋根上の前照灯も削り取りました。

内装も色差ししました。グリーン車は背もたれ、ひじ掛けの白いカバーを塗装で再現しました。食堂車はテーブルを白で、椅子は黄色くしました。

また、屋根の色は銀色で製品化されていましたが、ねずみ色1号に塗っています。

さて、車体の帯ですが、最近ではいくつかのメーカーから「ブルートレイン用白帯」というのが出ていると聞き、買ってみました。ところがあるデカールは私の貼り方が悪いのか、まっすぐ貼ることが難しく感じました。もう一社のデカールの方は水に浸したとたんにバラバラに割れはじめてしまい、おそらくお店に長い期間あって劣化したのかなと感じさせました。ちなみに「ブルートレインの白い帯」については上の帯幅が1/150では0.54mm、下の幅が0.4mmとなっています。

そこでこれに近い帯幅でデカールは無いかと探してみたところ、カーモデル用のデカールなどで0.5mm、0.4mmとして売られているものがあり、それを使ってみることにしました。シルクスクリーン印刷で軟化剤などとの相性も良く、なんとか貼ることができました。0.54mmと0.5mmは確かに若干の違いがあるのですが、自分としては納得できる仕上がりになりました。

車番についてはグリーン車の方はオロ14となりました。食堂車はオシ14-100番台を名乗っています。寝台車の方の14系に食堂車としてオシ14という形式がありますのが、座席車と組む方はグループも違うため、別の車輌ということで100番台を名乗っています。

車体を組立て、台車をはめ、クーラーのパーツもわざわざ用意した14系座席車用の別売りパーツを使用しました。最後に妻面に電車には無かったホロ枠を接着しました。

これで完成です。どうにか冬の多客時に間に合いました。グリーン車、食堂車の車高が若干低いのですが、仕方ないところです。編成も6両から8両に増えました。スハフ14の発電機では6輌分しか賄えないのではというご指摘もありますが、そこは模型と言うことでご勘弁ください。こうして我が家にも架空の車輌を含めたかつての奥羽本線が再現できそうです。

 

 

 

 

 

 

 


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クリスマスの玩具道楽・プレイモービルの聖ニコラウス

2024年12月24日 | 玩具道楽

 東京では冬らしい北風が吹く中でのクリスマスイブとなりました。昨年も玩具道楽でクリスマスの話を書きましたが、今年もそんな話題をお届けします。

 プレイモービルはドイツ生まれの玩具ですので、ドイツのクリスマスに因んだようなセットなども出ています。

聖ニコラウスと子供たちの行列といった感じのセットです。もともとサンタクロースの起源が、現在のトルコのあたりにいた聖職者ニコラウス(ニコラオス)と言われており、赤い衣装にお髭が特徴ですが、衣装などは後のサンタクロースとは異なりますね。

トナカイの牽くそりではなくて馬に乗っています。ちなみに命日の12月6日にドイツなどの国ではプレゼントやお菓子が配られたりするそうです。

子供たちはランタンを持っているようです。冬の装いになっています。

 

プレイモービルの聖ニコラウスにはこういったものも。聖ニコラウスと天使のセットです。ブリスタパッケージの2体入りセットでした。ドイツでは実際に若い女性が大きな羽のついた天使に扮しているのをテレビで観たことがあります。

プレイモービルではヨーロッパの他の国・地域の風習にのっとって作られたセットもあるそうで、例えば・・・おっとそろそろサンタさんがやってくる時間となりました。また来年のクリスマスシーズンに続きはとっておきましょうか。

みなさまも、素敵なクリスマスをお過ごしください。

 


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50周年のスマイル プレイモービル50周年にちなんだあれこれ

2024年12月23日 | 玩具道楽

 ドイツ生まれの人形の玩具「プレイモービル」が今年50周年を迎えた話は以前拙ブログで書きました。50周年にちなんだ製品もやってまいりましたので、ご紹介します。

見出し画像にもありますが、まずは「お約束」の騎士です。

デザインも昔に戻った感があり、私は好きです。

馬のパーツも昔のスタイルですね。ここに鞍をはじめパーツをはめていきます。

騎士も金メッキのパーツがふんだんに使われています。

 

そしてこちらは単体で、ちょっと珍しい透明なプレイモービルです。

「HAPPY BIRTHDAY」の風船を手にしています。

目と口は白でプリントされています。透明だと構造も分かりますね。

 

こちらも「50」のマークがありますので50周年絡みということで

女性の飼育員とアザラシなどの海獣です。飼育員さんは魚の着ぐるみを着ています。この着ぐるみ、ブラインドパッケージの「Fi?ures」に金魚のバージョンもありました。

餌の魚や氷など、小物もたくさん入っています。

アザラシたちも可愛いですね。

「HAPPY BIRTHDAY」の飾りつけやケーキもありますので、動物園の動物の誕生会といった感じでしょうか。

 

そしてこちらは50周年とは別ですが、ちょっと珍しいものなので、ここでご紹介します。

何の変哲もない白いプレイモービルですが、背中にはこんなプリントがあります。

拡大すると

こんな文字が書かれています。

これはプレイモービルの工場があるマルタの工場見学ツアーの参加記念品です。私が2008年に同地の工場を訪れたときに、自分でパーツを組み立てて、お土産としていただいたものです。今では「Fi?ures」シリーズがバラバラな状態で入っていますが、当時は自分で組み立てるという行為はなかなか無く、工場見学ならではの体験だったと思います。残念ながら工場内の撮影はできませんでしたし、2024年現在、当地のホームページには工場見学のことは掲載がありませんので、今は定期的には受付ていない可能性があります。ということでとても珍しい一体をご紹介しました。マルタは二度訪れましたが、特に2008年のそれはとても印象に残っています。マルタ島では空港から街中に至るまでたくさんのプレイモービルを(人間の等身大から玩具として売られているものも含め)見かけることができました。

プレイモービルの50年の歴史の中で、私が買うようになったのは1/3程度の期間に過ぎません。豚児が遊んでいるものもありますし、親子三代で遊べるというのは、あながち誇張ではないような頑丈さもあります。これからも、私たちの友達になってくれたらと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 


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