今シーズン限りで、2007年のF1チャンピオン、キミ・ライコネンが引退しました。最多出走記録を誇り、ルックスもさることながらストレートな言動や昔のレーサーを思わせる自由人ぶりなど、日本に限らず世界中にファンがいました。
ライコネンがデビューしたのは2001年シーズンでした。彼の出身地フィンランドは90年代からハッキネンを始めとして優秀なドライバーが続々とデビューしており、彼のデビューについても、また金髪碧眼の若手が出てきた、という印象でした。F1までにレース経験が浅く、異例の昇格だったことから、当初は「仮免」状態でのデビューでしたが、デビュー戦で6位に入賞、ほどなくライセンスも認められました。実力がすべての世界ですから、うまくいかなければシートを失ってしまいますし、その前年に20歳のジェンソン・バトンがデビューするなど、若い選手が登場していましたので、きっとある程度の実力があってF1の舞台に来たのだろう、という思いましたし、その実力が本物であることはすぐに分かりました。
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(デビュー年の日本GPプログラムより。この頃はまだ笑顔を見せることが多かったようです)
デビューのザウバーからマクラーレンに抜擢され、フェラーリファンの私としてはしばらくは「ライバル側」の人物でありました。初優勝は2003年でした。このころはフェラーリ優勢の中でもしっかり表彰台に上がり、顔つきは若いながらもマシンを上手に扱い、しぶとい印象は変わらなかったのですが、2005(平成17)年の日本GPで、場内に流れるメルセデスのCMを見たときに「顔つきがグランプリドライバーらしくなったな」と思いました。果たしてこの時のグランプリでは、予選で下位に沈みながらも、決勝ではぐんぐん順位を上げ、最終ラップでジャンカルロ・フィジケラをパス、見事な逆転優勝を挙げました。このレースは日本のファンだけでなく、世界中のファンにも名レースとして語り継がれており、イタリアびいきの私としてはイタリア人のフィジケラの優勝を奪われたのは残念ではありましたが、それでもライコネンの快挙に一人のレースファンとして拍手しました。
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(2005年日本GPプログラムより。左ページがライコネン。右ページはチームメイトのモントーヤ)
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(マクラーレン時代。熱田護氏の写真展より、主催者の了解を得て撮影したもの)
2007年にはフェラーリ入りを果たし、同年には最終戦で逆転してチャンピオンを獲得しています。マクラーレンの二人(アロンソとルーキーイヤーのハミルトン)のチーム内対立を横目に、タイトルを獲ったあたりはさすがでした。翌年もランキング3位につけ、コンストラクターズタイトルに貢献しています。一度はF1を離れ、ラリーに出場するなどの日々でしたが2012年に復帰、中堅チームのロータス・ルノーで優勝も果たします。昔のJPSカラーにインスパイアされた黒と金のマシンは日本でも人気で、この色のグッズもよく見かけました(ティフォシの私もポロシャツを持っている)。ロータス時代にはチームとの無線で「ほっといてくれ、自分がしていることは分かってるよ」とか、「何度も繰り返すな」といった発言がオンエアされて、彼を象徴する発言となりました。
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(2007年チャンピオン。フェラーリ、あれ以降タイトルから遠いなあ)
フェラーリに再び在籍、メルセデス一強となったグランプリにあっても表彰台に立つレースは多く、2018年シーズンには総合3位となっています。また、2018年アメリカGPでの優勝(キャリア最後の勝利でしたが)では、一つの優勝から次の優勝まで113戦もブランクが開いており、これもF1の記録となっています(それまでは「鉄人」パトレーゼの99戦)。この3年間はアルファロメオに在籍しました。デビューを果たしたザウバーチームが前身で、アルファロメオと言っても実質的にフェラーリの影響が強いチームでキャリアの最後を過ごしました。入賞圏内に入ることも厳しかったのですが、それでもサーキットでの声援は大きかったことを覚えています。復活した名門アルファロメオの名を冠したチームがこの人には似合っており、レースを見ながら「いまライコネン何位につけてるかなあ」とトップ争いの合間に順位をチェックしておりました。
最近では40代のドライバーは少ないですし、本人もF1でやりきったようなので、今年で引退となりました。メディア嫌いなところもありますし、もともと口数も少ないので本人の思いなどが出てこないタイプなのですが、フィンランドの作家・カリ・ホタカイネン著「知られざるキミ・ライコネン」では本人・周囲への取材で「アイスマン」の実像に迫っています。もともとモータースポーツとは縁遠い著者による本のため、かえって人間としてのライコネンを知ることができたように思います。決して裕福とは言えない家庭で育ち、ただ車を運転するのが好きだった若者が、大きなチャンスをつかんでF1の世界に入ったことで、本人の予期しないこともたくさんあったのではと思います。口数が少ないのも、誰かに媚びを売ることなどできない性分で、車を運転することに集中したいからかな、と思いました。そんな彼もF1デビュー前には兵役についていたことがあります。想像はつきますが集団生活が苦手だったようで、興味深いエピソードも書かれています。本書ではサーキットを離れ、ラリーを楽しむ姿についても触れられていますが、フィンランドの人たちはラリー選手のことを親しみを込めて「ラリー野郎」と呼ぶそうです。スターではなく、誰でも気軽に近づける近所のお兄さんで、雑草魂を持った庶民の代表者といった意味が込められているとか。ライコネン本人もどこかでそういう気持ちを持ち続けていて、サーキットでスター扱いされるのが苦手だったのかもしれません。プライベートで仲間や家族と過ごしているときの写真も本書には紹介されていますが、これが本来の彼の姿なのかなと思いました。ライコネンと言えばお酒のエピソードも豊富ですが、昔はともかく、今ではだいぶおとなしくなったようです。二人の子供の父ですし、これだけ長い期間にわたって第一線にいる人物ですから、節制はどこかでしているということでしょう。彼のあこがれはかつてのチャンピオン、ジェームス・ハントであり、ヘルメットもそれにインスパイアされたものを被っていたことがありますが、ハントのように酒、たばこ、クスリ・・・とはいかないのが現代のF1ドライバーであり、ドーピング検査を受ける様子も記されています。
日本GPでラストイヤーを見られなかったのは本当に残念ですが、これからは自分自身や家族のために時間を費やすことも、以前より多くなるでしょう。サーキットに現れたりすることはあまり想像できませんが、どこかでラリーに出場したり「昔に比べてお金がかかりすぎる」とぼやきながら息子さんのカートレースを見守っているかもしれませんね。今まで、本当にお疲れさまでした。
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(アルファロメオのマシンをドライブするライコネン。2019年鈴鹿にて)
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(ヘルメット、レーシングスーツ姿ですが、もちろん本人ではありません。こうした熱烈なファンも見かけました)
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(アルファの名前にF1ファンは弱いのです。帽子やらミニカーやら買っています)