工作台の休日

模型のこと、乗り物のこと、ときどきほかのことも。

鈴鹿サーキット 「ホンダレーシングギャラリー」へ

2025年02月26日 | 自動車、モータースポーツ

今回鈴鹿を訪れた際に行ってみたかった場所がもう一つ、昨春にオープンした「ホンダレーシングギャラリー」です。ホンダの「企業博物館」であるコレクションホールは栃木県のもてぎのサーキットに隣接する形でありますが、鈴鹿にもレーシングカーの小さな博物館ができました。昨春訪れた際は日本GPということで入場も時間予約制でしたので見ることが叶わず、今回初の訪問となりました。豚児と家人は豚児がアトラクションに興味を示していたので優先し、私だけで訪れています。

入り口で出迎えているのはレッドブル、フェルスタッペンのマシン。2021年、最終戦のまさに最終コーナーで勝って、タイトルを獲得しました。

 

中に入って出迎えてくれたのはマクラーレンMP4/7(1992年・手前)とMP4/5(1989年)です。いずれもアイルトン・セナが前年タイトルを獲得したことでカーナンバー1をつけています。MP4/7はウィリアムズ・ルノーFW14Bの前に敗れましたが、モナコ、ハンガリー、モンツァでセナが、カナダ、オーストラリアでベルガーが勝っています。奥のMP4/5もセナ・プロストが鈴鹿のシケインで接触、という後味の悪い結末のマシンではありますが、ターボ禁止、新自然吸気エンジン元年のサーキットを席巻しました。

 

マクラーレン・ホンダと言えばこちら。MP4/4(1988年)

セナとプロストで16戦15勝のマシンです。

低く抑えられた形が特徴的です。

 

こちらはMP4/6(1991年)

真横の写真が多いのは模型を作る際の参考にしているためです。ここにはアップしていませんが、塗り分け線がどこを通っているかを確認するためにカメラを向けています。

 

そしてこちらは懐かしいRA-300(1967年)。イタリア・モンツァでジョン・サーティースの手で劇的な優勝を遂げています。

メカニカルな車体後部。V12エンジンも見えています。

昔の地上波のオープニングCGではありません(笑)。全体に黒バックの中で展示されているので、こんな写真が撮れます。

 

時代がまた前後しますが、こちらは1987年チャンピオンマシン、ウィリアムズFW11B。ネルソン・ピケが三度目のタイトルを獲得しています。

 

第三期参戦からはこちら。ホンダRA106(2006年)

ジェンソン・バトンの手で第三期唯一の優勝を挙げました。

そのコクピット周辺

 

最近のマシンではこちら。アルファタウリAT-01。2020年、ガスリーの手でチームに勝利をもたらしました。

 

ホンダと組んで50レース目の節目で勝ち取ったレースでした。

 

各マシンのコクピット周りも見ることができます。

 

マクラーレンMP4/6の頃まで、シフトノブがついたマシンでした。

 

2000年代に入るとパドルシフトにスイッチ類というのが定番になりました。

 

エンジン(パワーユニット)も展示されています。

1980年代のターボエンジンです。

 

1989年以降の3.5リッター自然吸気規定に合わせて作られたV10エンジン

 

コンパクトになった第三期の8気筒エンジンもあります。エンジンのパワーをいかに抑えるかが規定の中心だった時代もありましたね。

 

そして現在のターボ・ハイブリッド パワーユニット

 

下階ではテーマ展示が行われており、このときは佐藤琢磨をフューチャーしていました。

インディ500優勝車です。フォーミュラカーとは言っても、インディとF1、違いが分かりますか?

 

こちらは2002年、ジョーダンでのデビューマシン。鈴鹿で5位入賞を果たしました。

 

2004年、アメリカGP3位入賞のマシンと表彰台の光景などが入った写真

 

出口近くには昨年のオープニングに訪れた、中嶋悟ら関係者のサインもありました。

 

ギャラリーを出ました。こんな光景が広がっています。

前方の広い空間は日本GP開催中は「GPスクエア」として売店やイベント会場となり、たくさんの人が詰めかけます。この日は遠くに伊勢湾も見えました。

家人や豚児と合流、ご飯を食べた後も乗り物に乗ったりして楽しみました。帰りは白子までタクシーを使い、白子から近鉄特急に乗りました。2階建てのビスタカーの2階の切符が取れましたので、帰りはそれで名古屋へ。豚児は珍しい2階建て車輛に初めは喜んでいて、景色を眺めていましたが、疲れたのかそのうち寝入ってしまいました。

名古屋から「のぞみ」で帰京し、2日間の旅から無事帰ってきました。

ちょうど私たちが訪れた際は、少し冷え込みも緩んでいたのですが、その前の週や翌週には雪が降ったそうです。サーキットクルーズの案内役の方も「このあたりは年に1回雪が降る程度」とのことでしたが、今年はだいぶ寒いようです。前回ご紹介した野田樹潤選手も私たちが訪れた翌週に行われたスーパーフォーミュラの合同テストでは雪などのせいであまり走れなかったということでした。

さて、初めての経験が多かった豚児にはさまざまなものが新鮮に映ったようで「またホテル行きたい」と言っているようです。今度はたくさん乗り物乗りたいね。お父さんも頑張って稼がなくては。

この旅行記もここでチェッカーフラッグです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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鈴鹿サーキット サーキットクルーズ、バックヤードツアーへ

2025年02月24日 | 自動車、モータースポーツ

ホテルを出た私たちはそのまま隣接する鈴鹿サーキットパークへ。こちらは小さな子供から大人まで楽しめるテーマパークとなっています。豚児はこういった大きな遊園地がほぼ初めてですので、どんな反応を示すかなと思いましたが「あれ乗りたい、これ乗りたい」という感じで乗り物にチャレンジしていました。中には2人乗りの乗り物もありましたので、お父さんはカメラ係です(ってここまでは完全に子育てブログですね)。

この日はホテル宿泊者限定の「サーキットクルーズ」というツアーが予定されていて、そちらの集合時間に合わせてサーキットの方へ向かいます。既にコースからレーシングカーの轟音が響いています。

ガイドの方と合流、案内のバスが来るまで時間があるので、スタンドから走る車を見ますか、と言われ子供の手を引いてグランドスタンドへ・・・。この日はいわゆる「スポーツ走行」と呼ばれるもので、ライセンスを持ったドライバー達がさまざまなマシンを走らせていたのですが、フォーミュラカーのエンジンの爆音に豚児が大パニック。ものすごいスピードで元の方向へダッシュです(汗)。ごめんね、イヤーマフは必須だったね、というのと、そんなに早く走れたのね、君は、という思いです。

まだコースがこんな感じですから、先にバックヤードツアーに向かいます。バスに乗り込みましたが、当日のツアー参加者は私たちだけでしたので、完全にプライベートツアーになりました。運転手さん兼ガイドの方は鈴鹿サーキットで長年コースやレース運営などを支えてきた方ということで、いろいろな話が聞けそうです。まずはピット裏にバスが向かっていきます。ここで下車してコントロールルームへ。

ポストと呼ばれるコース係員が詰めている場所にカメラが設置され、異常があればすぐに分かる仕組みとなっています。スマホ程度の大きさのものが落ちていても分かるということでした。ちょうど私たちが見ていた時も、スポーツ走行のマシンのトラブル状況が入ってきました。デグナーカーブで砂が撒き散らかされたようでした。

映像を観ながらつい「デグナーで何かあったようですね」と案内役の方に言いましたが、それほど大きなトラブルでは無かったようです。時折案内役の方にも入ってくる無線のやりとりも生々しく、トラブル起こしてコース塞いじゃいました、みたいなものもありました。中にはリアバンパーを引きずって走る車もいました。トラブルへの対処も含めて、やはりプロのドライバーは凄いな、と改めて思いました。

計時室にはこんなものが。

車載用の計測器が保管され、出番を待っていました。路面に設置されたセンサーと車載の計測器で正確なタイムを計っているそうです。

さらに進みます。

この大きな部屋はメディアセンター。F1階催時は各国のプレス関係者で埋め尽くされます。

電源タップも各国のプレスの事情に合わせ、110V、220V対応となっています。

こちらは表彰台です。ちょうどスポーツ走行中の車のトラブルで赤旗中断、静かになったところで豚児を連れて表彰台の上で記念写真も撮りました。

 

この殺風景な小部屋。実はここが表彰式の前にレース後のドライバー達が一休みする控室です。実際にレースとなりすといろいろな飾りつけが施され、まったく違った顔になります。

 

こちらはブリーフィングルーム。レース前に注意事項が伝えられたりします。前半分しか撮っていませんが、実際はかなり広いお部屋です。

建物の外に出てみましょう。

横浜ゴムのトランスポーター。手前の一台は車体長が殊のほか長く、狭いピット裏の道をどうやって駐車させたのでしょうか。

ガソリンのにおいのするピット裏を歩いて行きます。

ガイド兼運転手の方から「有名なドライバーが来てますよ。一緒に写真が撮れそうなので行きましょう」と言われましてピットの中に入っていきますと、スーパーフォーミュラに出場している唯一の女性ドライバー、野田樹潤選手がいました。私たちと一緒に写真を撮ることができました(写真の方は諸々の事情で出せませんのでご容赦)。思っていたより長身で、家人は小顔(!)と驚いていました。スーパーフォーミュラの合同テストを控えており、マシンを持ち込んだばかりだったようです。お父様(英樹さん。90年代に欧州などで活躍しており1994年にはF1にもスポット参戦)もピットで見かけました。テスト前のお忙しいところに時間を作っていただき、ありがとうございました。

ここからコースを1周していきます。

シグナルがオールレッド、そしてブラックアウト、というのも再現していただきました。ストレートは下り坂です。

 

1コーナーのあたりです。F1階催時は多くの観客で一杯になります。2コーナー、S字と上り坂になっています。

逆パンクあたりは見通しが悪く、ガイドさんの言葉ではありませんが、あそこに高速で飛び込む感じですので、ドライバーの度胸が試されます、スタンドで観ていてもあのあたりは狭い感じはするのですが・・・。

デグナーカーブを抜けてヘアピンへ。デグナーカーブというのはドイツの名手、エルンスト・デグナーが二輪のレースで転倒したからついた名前だそうですが、ガイド氏曰く、あれは風にあおられたから、という説もあるそうです。

ヘアピンも以前スタンドから見たことがありましたが、思いのほか高低差があるカーブです。

そしてスプーンカーブに着き、ここで一旦下車しました。ホームストレートは歩いたことが幾度もありますし、東コースは一般客でもEVカートで走ることが可能ですが、このあたりはホームストレートから最も遠くに位置し、なかなか来ることもありませんし、ましてやコースを歩くということもできません。F1決勝後に西コースを歩くことができるようですが、遅い時間となりますので、なかなかできません。今回サーキットクルーズに応募したのは、そういった理由からなのです。

車載映像などでも難しそうなコーナリングが要求されるのは知っていましたが、カーブの立ち上がりが下りになっているうえにブラインドとなっており、ここも難所です。セナはここで「神を見た」と言っていましたが、一筆書きのようにカーブをトレースし、その上「神を見た」とは、まったくもって凄いドライバーです。

再びバスに乗り込み、バックストレート、130Rをあっと言う間に抜けます。バスでもあっという間でした。そしてシケインで下車です。最終コーナーの手前で速度をあえて落とすためにシケインが作られましたが、現在のマシンのスピード、タイムはシケイン設置前よりも速くなっているという説明がありました。

観覧車が見えて、鈴鹿らしい風景です。

 

自分が立っている方が4輪のシケイン。セナとプロストが1989年に絡んだところは今とコースレイアウトが異なり、奥の2輪の方なのね、と豚児ではなくお父さんがつぶやいています。セナは1989年の日本GPでプロストと絡んだ後にコースに復帰し、トップでチェッカーを受けるも、失格の裁定が下ります。ガイド氏曰く「失格の裁定がショックだったのか、いつまでもコントロールタワーから出てこなかった」ということでした。

2輪のシケインです。

こうしてコースを1周してきました。東コースではスポーツ走行の後で一般客向けのEVカートの走行が行われており、私たちはしばらく西コースをぐるっと走っていました。なかなか見ることの少ない南コースの近くを通り、一旦公道に出てから、出発点に戻ってきて、そこで解散となりました。おおよそ2時間のツアー、一番喜んでいたのはお父さんでした。

このサーキットクルーズ、開催日も限られますし、サーキットホテル宿泊者限定ではありますが、レースが好き、サーキットの表も裏も見てみたいという方には、是非お勧めしたいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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わたしたちがやってきたこの場所は・・・

2025年02月21日 | 旅のあれこれ

名古屋からアーバンライナーに乗って、桑名、四日市と列車は南下していきます。白子で降りた私たちは、タクシーで今宵の宿へ・・・。

鈴鹿サーキットホテルにやってきました。あれっ、モータースポーツはオフシーズンでは、と思われる方もいらっしゃるでしょう。後述するいろいろな理由でこちらに泊まることになりました。ここのホテル、個人的には1996年以来です。ちなみにここのホテルは館ごとにいろいろなコンセプト、デザインに分かれていて、私たちが泊ったのは「ノースレーシングルーム」という部屋で、文字どおりモータースポーツを意識した内装が特徴です。

時計、温度計、湿度計はメーター類を、スイッチ類も自動車のそれを思わせますし、ベッドの灯りは自動車のヘッドライト風です。

レカロのシートもあります。

 

チェストはツールボックス風です。引き出しの中に分厚い漫画の本田宗一郎伝が入っていました。

こうしたお部屋のほかにも、小さなお子さん連れを意識したような作りのお部屋もあって、ベッドの高さをあえて低くしていたりといった配慮がなされているようです。こちらの部屋は大人向けではありますが、小さな子供向けのアメニティや洗面所用の踏み台も用意されていました。

部屋に荷物を置いたら夕食の時間です。ホテルの食堂のバイキングを利用しました。大人二人ならセナも訪れたという焼肉の「みさき屋」さんあたりに行くでしょうが、ちいさな子供もおりますし、まだ食べられるものも限られますので、バイキングなら食べられるものもあるかなということで宿泊の際に予約してありました。食堂はとても広いですがお客さんで一杯でした。まだ平日ではありますが、ほとんど家族連れで、就学前の子供や赤ちゃん連れも随分見かけました。赤ちゃんも含めてここまでたくさん子供たちを見ると、少子化なんてどこか別の世界の話に見えます。若いお父さんが抱っこひもで赤ちゃんを抱っこして、バイキングの列に並んで料理を取っている姿を見かけました。昔とは違いますね。

食事の方は子供だけでなく大人の方の口と胃袋も満足させる内容でした。和洋中なんでもあって、地元の食材を使った料理が多く、そういった新鮮さも含めて美味しかったです。家人は旅先で食欲旺盛になるタイプですので、今回も食欲を如何なく発揮していました。

食堂を出るとすつかり暗くなって星が瞬いていました。冬の空気に星空が美しかったです。

食事の後は大浴場に行きました。温泉が出ているということで豚児と入ってきました。たくさん歩きましたし、食べて疲れて、ということでいいお湯になりました。タオル類は大浴場に用意してありましたので部屋から持参する必要もなく、そのあたりも楽です。

豚児の生活時間に合わせて私たちも早めに布団に入ります。豚児はお父さん譲りの寝相の悪さですので、ベッドから落ちないか心配で、ときおり様子を見なければならず、途中まで熟睡できませんでした。

翌朝、私だけ一度部屋を出まして、一人でゆっくりお風呂へ。

太陽が昇り始めたばかりのホテルから名物の観覧車が見えました。鈴鹿の朝は早いぜ、というわけではなく、年を取って自分が早起きになっただけなのですが。

お風呂が目的で外に出ただけではなく、朝食を部屋でも取ることができる「ガーデンブレックファースト」というプランでしたので、朝食をレストランまで引き取りに行きました。

食事はこの大きなバスケットに入っています。両手でバスケットを持ってとことこ歩くおっさん(私)の姿は微妙ですけどね(苦笑)。

丸いバスケットにはパン、コーヒーのポット、ジュースの瓶、スープの入ったポット、ヨーグルトが入っていました。

家人の手が写っていますが奥の紙袋が大人向けパン(2人分)、手前が子供向けのパンです。

大人向けのおかず。写真にはありませんが子供向けもボリュームたっぷりで、小食の豚児には余ってしまうほど。親がだいぶ手伝いました。3月以降はメニューも変わるようです。

いつもとは違うたっぷりの朝食を食べて、チェックアウトです。昔も家族連れをある程度意識した作りでしたが、それをさらに売りにしている感じがしました。売店にはおむつ、離乳食といったものもありましたし、小さなお客様ウェルカムな姿勢を感じます。ホテル、サーキットに隣接してサーキットパークという遊園地があり、こちらも0歳から乗れる乗り物があります。近鉄沿線は長島スパーランド、志摩スペイン村、さらに近鉄特急で大阪まで足を延ばしてUSJとテーマパークも数多くあります。その中で小さなお子さん連れに優しい施設として鈴鹿も頑張っているなあという印象を持ちました。

今回こちらに泊まった理由はもう一つ。宿泊者限定でサーキットをバスで一周できるというプランがあったからなのです。それについては次回でまた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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家族で「リニア・鉄道館」へ

2025年02月17日 | 鉄道・鉄道模型

本業が昨年から忙しく、自分もなかなか休みを取れなかったのと、このままでは家族にも「家庭を顧みないお父さん」になってしまいますので、家族3人で旅行をしよう、となりまして、新幹線と「あおなみ線」を乗り継いで、久々にこちらへ。

リニア・鉄道館、私も久々の訪問です。

出迎えてくれたのはこちら。129kmの速度記録を打ち立てたC62-17号機。記録を作ったのも木曽川橋梁ですから、地元ゆかりの機関車です。

そしてこちらは300Xこと955形。

こちらは443kmの速度記録を持っております。隣はリニアモーターカーなのですが、この暗い空間ではぶれてしまって掲載できません。別に中央・リニアに対して他意があるわけではありませんので、念のため。いつも思うのですが、この「シンボル展示」のゾーンは暗くしてあるため、写真が撮りづらいのと、豚児のように暗いところが苦手、という子供にはちょっと厳しい空間です。

メインの車輌展示エリアへ。やはり新幹線は大人気。

0系と100系です。100系の食堂車、一度利用してみたかったです。

100系の食堂車入り口には明治からこの車輛が登場した昭和60年頃までの東海道を彩った車輌たちのエッチング装飾があります。国鉄でグリーン車のマークやヘッドマークの数々を手がけた黒岩保美氏の手によるものです。

最近の新幹線も、700系、切れてしまっています。失礼。

そんな700系の車内にはこのステッカーが。

将来、オリンピックをやりたいとか、オリンピックで一花咲かせたいとか、景気浮揚させたいとか不埒な考えを持つ人がいたら、このステッカーを見て、TOKYO2020のことを思い出すように。

 

初代ドクターイエローもいます。先日引退したドクターイエローも、既に展示が決まっているようです。

 

0系のカット。昭和50年代の東京駅をイメージしました。

 

東海道新幹線60年を記念したこんな展示も。

各都市の名産、ランドマークなどをかたどったオブジェ。名古屋は金のしゃちほこ、エビフライ、そしてぴよりんも。

在来線の車輌も見てみましょう。

C57は大宮の鉄道博物館にもありますが、こちらはお召機仕様。ランボード上の手すりなどが特徴。

給水を行っている様子を模しています。SLは水と石炭が無ければ走れません。

 

こちらは蒸気動車ホジ6014。明治生まれです。

小さな蒸気機関車のついた客車、という感じです。日本の気動車の始祖にあたります。

客室の先には機関室があります。

 

時代はぐっと下ってこちらは381系。振り子式電車ですね。

名古屋ゆかりの形式でもあり、特急「しなの」に使われました。中学生の頃「くろしお」で乗ったことがありますが、振り子式電車特有の揺れで、珍しく乗り物酔いになりました。

 

流線形のスマートな車体はモハ52。飯田線ゆかりの形式ですが、関西で活躍した戦前の姿です。家人が「内装も含めてアール・デコだね」と気に入っておりました。昭和12年製造ですので、アール・デコの時代に相当します。

 

昔は交通博物館にあった国鉄(鉄道省)第一号のバスもあります。地元愛知県ゆかりの車輌です。こちらも昭和初期の優美なデザインです。

 

鉄道ジオラマもあります。名古屋を中心に東はスカイツリーから西は甲子園球場と、昔の鳥観図のようなサービス精神旺盛な内容です。名古屋駅も将来のリニアの駅が地下に作られています。JR東海の車輌たちが縦横無尽に走っています。

鉄道博物館のそれと違って近寄ってみることができるのが売りで、ジオラマ内の人形たちの中に昔話の登場人物がいたり、見ていて愉しくなります。

夕景がとてもきれいですね。

夜のシーンでは火災発生、救急車と消防車が駆けつけています。

 

豚児はATCの仕組みやCTCの仕組みを模型で表したものに興味津々でした。こういう自動運転とか、仕組みものが好きなようです。

もっとも、帰京してからプラレールやおもちゃの電車たちを横に並べ、自分版「リニア・鉄道館」をやっていました。

 

今回のラストはこの一枚で。モハ52をモノクロで撮りました。後ろの腕木信号機、木造電車など、戦前の駅の風景に見えてきませんか?

 

旅は続きます。名古屋に戻って、今度は近鉄に乗り換えました。アーバンライナーでどこに向かうのでしょうか。続きはまた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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震電改を作ったので、オリジナルも

2025年02月12日 | 飛行機・飛行機の模型

1/72で震電改、閃電改、火龍といった完成に至らなかった翼たちをご紹介しましたが、オリジナルの「震電」については1/144で同時に作っておりました。

プラッツの食玩由来のキットですが、2機入っており、実戦配備の想定マーキングも入っていました。丁寧に塗装すれば小さくとも存在感抜群の模型ができあがります。

まずは試作機の方です。デカールがシルバリングを起こしています(泣)。

 

そしてこちらは架空の機体。レーサー機とか速度記録に挑む機体だったらこんな感じでしょうか。アンテナを取り付けていなかったり(機体内部に内蔵という設定です)、実機とはいくつか違うところもあります。レース機で震電が前にいたら、プロペラからの後流をまともに受けて怖いことになりそうですから、レコードブレーカーといった役割の方が合いそうです。機体の金色ですが、Mr.カラーGX 210 ブルーゴールドという色です。さすがに筆塗りというわけにはいかず、エアブラシで吹き付けています。

機首に日の丸のデカールを貼り、銃口をふさぐのと同時に日本機らしさ、日本らしさを出しました。

「VENI VIDI VICI(来た、見た、勝った)」の文字はグリーンスタッフワールドの古代ローマもののデカールから採りました。ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)の有名な文句ですが、タバコのマルボロの箱のフィリップモリス社の紋章にも書いてあります。

桜の花はハイキューパーツの「桜のデカール ピンク」を使っています。機番の「20」には特段の意味はありませんが、イギリス機のデカールから余ったものを貼りました。

完全に「お遊び」ではありますが、遊びも真剣にやってこそです。

こういった「異形の翼」ばかり手を出していたものですから、普通の(失礼)飛行機が作りたくなって、ストックしてあった零戦とBf109Gの箱を開けました。あ~、零戦作りてえ!と心の声が叫んでおります。

 

 

 


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