仕事だ模型だと忙しい日々を過ごす中(特に仕事が・・・)、時間ができましたので映画「フェラーリ」(マイケル・マン監督)を観てきました。フェラーリの創業者・エンツォ・フェラーリを主人公にした映画が撮られているという話は噂に聞いておりまして、あまりに偉大な人物ゆえに果たしてどんな仕上がりなのかということで気になっておりました。
(本作のパンフ)
物語は1957年、前年に愛息を難病で亡くし、さらに会社の経営も傾いて他社への売却の噂が立ち、おまけに愛人と隠し子がいることを夫人に知られて、ということでさまざまな苦境に立たされていたエンツォ・フェラーリが、ミッレ・ミリアと呼ばれる長距離公道ラリーで挽回を目指そうとして・・・ということで展開していきます。
1957年のミッレ・ミリアについては私も知っていますので「ははあ、あの話が出てくるのね」というところですが、そこに向かうまでのチーム内、ライバル、マスコミそして本妻と愛人という「二つの家族」の物語が盛り上げていきます。ハリウッド映画で当然英語圏の役者さんばかりですので、登場人物がみな英語を話しています。背景などで話されている言語はイタリア語であったりしますので、イタリア語学習者の私にとっては少々違和感があります(ほとんどの方はそれも感じないかもしれないですが)が、やがてそれも気にならなくなりました。ちなみにミッレ・ミリアというのはイタリア北部ブレッシアを発ち、アドリア海側に沿ってイタリア半島を南下、山を越えてローマに出て、ローマからはブレッシアに向けて北上してゴール、というもので、コースの全長が1000マイルを意味するイタリア語から取られた、現代では考えられないレースです。昔は「春の風物詩」的イベントだったようで、クラシックカーのイベントとなった現代でも、私の最初のイタリア語の先生がブレッシアの近くで生まれた方でしたが、ブレッシアの人たちには「ミッレ・ミリア」の街、という誇りがあるようです。
アダム・ドライバー扮するエンツォ・フェラーリは、同時代に活躍したJ.M.ファンジオを演じても似合いそうな風貌ですが、この人なりの「エンツォ・フェラーリ像」を構築している感がありました。エンツォのシンボルマークのようなサングラスとジャケット姿がさまになっています。
また、いくつかの映画評にもありましたが、妻・ラウラを演じたペネロペ・クルスの存在感が半端なく、鬼気迫る演技が時に主役を喰うほどで、男として背筋がぞくっとなるような場面もあります。ラウラは妻でもあり「共同経営者」という立場でもありますので、エンツォも弱点と言うか、急所を握られているわけで、妻に対して強く出られないところも含め、よく描いています。映画の中では触れられていませんが、あの頃のイタリアはローマ・カトリックのおひざ元ということでカトリックの影響がとても強く、簡単に離婚ができない制度となっていました。いわゆる「離婚法」ができるのは、もうちょっと後の時代になってからです。
もちろんレースのシーンは本物(!)も撮影のためのレプリカもふんだんに使われ、迫力のあるシーンが展開します。F1マシンはまだエンジンがドライバーの前方にあった葉巻型の時代で、スポーツカーはどれも流麗なスタイルをしています。マイケル・マン監督も製作に関わっていた「フォードvsフェラーリ」(2020年2月に拙ブログでもご紹介していますが)については、本作より10年くらい後の物語で、あちらはフォード側を主役に据え、ル・マン24時間をめぐるどちらかというと「男の子の映画」という感じですが、こちらはエンツォ、妻のラウラ、愛人のリナ、その子供のピエロ、さらにはフェラーリのドライバー達も含めた重層的な人間ドラマという感じがいたしました。エンツォ・フェラーリというと「謎めいたオールドマン」というイメージでこれまで描かれがちでしたが、血が通い、体温を感じる人間・エンツォに迫った感がいたします。それにしても車を売るのは二の次で、レースの為に会社がある、ということでは、あの時代のフェラーリが多額の負債を抱えてしまうのはむべなるかな、というところで、ネタバレにならない程度に書きますが、紆余曲折があって後にフェラーリはフィアットの傘下に入ることになります。そこが創業者の影響が強いとは言いながらも、レースを「走る実験室」と位置付けたホンダとの違いでしょう。
この映画で描かれている1957年時点のフェラーリのワークスチームのドライバー達ですが、天寿を全うできたのはピエロ・タルッフィ(日本のモータースポーツにも影響を与えた人物で、本作ではパトリック・デンプシーが好演)とオリビエ・ジャンドビアンら少数で、本作でも重要な役どころのポルターゴ侯爵、キャスティロッティ、コリンズ、ホーソーン、フォン・トリップスといった面々はこのシーズンやそのあとの数年のうちに何らかの事故で世を去っています。フェラーリのみならず、ライバルのマセラーティに乗るジャン・ベーラもですが・・・。それだけ危険と隣り合わせのスポーツだったわけで、それは「フォードvsフェラーリ」の60年代も、さらにそこから10年後の70年代を描いた「ラッシュ プライドと友情」においてもそうでした。本作でも痛ましい事故の場面が出てきます。
やや小ネタ的な話になりますが、イタリアを舞台にしていますので、イタリアの美しい街並み、そして鉄道のシーンもあります。独特のオリーブ色に塗られたE626形電気機関車が客車を牽いて駅に到着するシーンですが、イギリスや明治期の日本でおなじみの客扉がコンパートメントごとにずらりと並んだ客車が出てきます。1920年代くらいの車輌と思われますが、あのスタイルの客車はイタリアのローカル線ではその後も健在で、大正期の客車が戦後しばらくして淘汰された日本とはだいぶ事情が違います。
また、本作では1957年の数か月にフォーカスしていますので周辺の話も書きますと、F1はマセラーティのファンジオが5度目のタイトルを獲って引退しています。特にドイツGPの大逆転劇は今でも語り草です。映画では描かれていませんが、フェラーリはF1撤退を決めた同じイタリアのランチアから譲渡されたマシンを元に戦った2年目でもありました。
レースシーンだけでない、男と女とレーシングカーの愛憎劇、いろいろ重い部分もありますが、興味のある方はぜひ劇場へ。
5月にご紹介したこちらも劇場公開中です。実物大の潜水艦セットを作ったプロダクトノートなどが興味深く、パンフ買いました。