こんにちは。
このところブログの更新も滞りがちでした。
あるコンペに作品を出品するために9月に入ってから「追い込み」状態だったのですが、昔に比べて眼も悪くなったし、集中力も途切れがちで、なかなか進みませんでした。先日、無事に搬入を済ませましたが、その後に風邪をひいてしまうという体たらくで、我ながら困ったものです。なかなかパソコンの前に座れなかったというのはラグビーの中継を観ていたというのもあるんですけどね。日本戦に限らず世界レベルの試合を時差がなく観られるというのは、ありがたいものです。
さて、このブログも昨年の今頃スタートしまして、2年目に入っております。飽きっぽい私にしては続いているなあと自分でも少々驚いております。また、このようにゆるいブログですがお読みいただいている方がいらっしゃるというのは、誠にありがたいわけです。
今後ともどうかよろしくお願いします。
今日は、私を趣味人にした書籍の話を少ししようと思います。1970年代後半に雑誌「モデルアート」でデビューされた黒須吉人さんというライターがいました。この方は70年代後半に飛行機のキット評を書かれたり、連載記事を持ったりされていたのですが、連載記事と書きおろしの記事をまとめたのが「プラモロジーAtoZ」と「プラモロジー8G」という増刊号でした。お読みになった方はお分かりかと思いますが、この時代のモデルアートのライター諸氏はかなり個性的で、時にはギャグを散りばめたり、かと思えばとても真面目な記事を書かれていたりと、今のように新製品があふれていたわけではない時代だからこそ、一つ一つの記事が「読ませる」ものばかりでした。
黒須さんの著作もまさにそんな感じだったのですが、本屋さんで手に取って一気に魅かれ、買って帰ってからも読みふけったことを覚えています。
一人のライターをフィーチャーして増刊が刊行されるというのも珍しかったわけですが、記事の内容も当時としては他に例を見ないものばかりです。これらの書籍が刊行された1980年代初頭ではまだ高価で珍しかったエアブラシについて準備から塗装、後片付けに至るまで解説をされているほか、シリコン、レジンを使った部品の複製の方法、ウェザリングの技法についても章を割かれています。私自身、今でもウェザリングの記事を参考にしているくらいです。また「プラモロジーAtoZ」の巻末にはプラモデル用語の英和辞典も載っており、これはプラモデルに限らず、実物の航空機趣味にも役立つ内容です。
エアブラシについては高校生になってから私も購入しました。ピースコン・ヤング88というエントリーモデルで、コンプレッサーを買うお金は当然ありませんでしたので、エア缶に接続していつもガスの残りを気にしながら使っていたものです。
黒須さんの著作や、モデルアート誌を通じて「飛行機の模型も丁寧に作って美しく彩色をして、ウェザリングを施せば本物を縮尺した素晴らしいものが出来上がるんだ」ということを知ることになり、鉄道趣味と並行して飛行機とその模型への愛情が深まっていくことになります。ただし、飛行機の模型については自分の中である程度メソッドが確立するのは20歳近くになってのことなので、随分と遠回りしていたようにも思えます。
黒須さんは1980年代には増刊号などでお名前を拝見することが多かったのですが、90年代初頭に連載が復活し、それらの記事を中心にまとめたものが「空モデルテクニック」でした。ここではタミヤのエアブラシ「スプレーワークHG」に着目され、私も二代目のエアブラシとして購入することになります。タミヤのスプレーワークは細かい作業の多い飛行機のプラモデル向きではない、というのが私の周囲での評価でした(ただし、Nゲージのモデラーで美しい塗装をしている方もいました)が、スプレーワークHGについては精密な作業に向いたエアブラシとして、改良を続けながら多くのユーザーに愛されていることは今更説明の必要もないでしょう。
黒須さんはモデルアートだけでなく、大日本絵画などでも活躍されましたが、残念なことに何年か前に亡くなられています。生前、プラモテルの展示会の場でだったと思いますが、何度がお目にかかったことがありました。少年時代の憧れの方に会えてとても嬉しかったのと、緊張したことを覚えています。お話の中で一つ一つのキットを時間をかけて丁寧に作っている様子をうかがうことができましたし、ファンからいただいた手紙についてはすべて取ってあるというお話に、読者と対話するということを大切にされていたことをを思い出しました。
本ブログの一回目に私の工作台の周辺のものや、お気に入りのものを配置して撮った写真があるかと思いますが、あれはまさしく「プラモロジーAtoZ」の表紙に影響を受けたものでございます。黒須さんの足元には及ばないわたくしではありますが、モデラーとして、ブログという場所ではありますが文章を書く者として敬意を表したものと思っていただければ幸いです。
このところブログの更新も滞りがちでした。
あるコンペに作品を出品するために9月に入ってから「追い込み」状態だったのですが、昔に比べて眼も悪くなったし、集中力も途切れがちで、なかなか進みませんでした。先日、無事に搬入を済ませましたが、その後に風邪をひいてしまうという体たらくで、我ながら困ったものです。なかなかパソコンの前に座れなかったというのはラグビーの中継を観ていたというのもあるんですけどね。日本戦に限らず世界レベルの試合を時差がなく観られるというのは、ありがたいものです。
さて、このブログも昨年の今頃スタートしまして、2年目に入っております。飽きっぽい私にしては続いているなあと自分でも少々驚いております。また、このようにゆるいブログですがお読みいただいている方がいらっしゃるというのは、誠にありがたいわけです。
今後ともどうかよろしくお願いします。
今日は、私を趣味人にした書籍の話を少ししようと思います。1970年代後半に雑誌「モデルアート」でデビューされた黒須吉人さんというライターがいました。この方は70年代後半に飛行機のキット評を書かれたり、連載記事を持ったりされていたのですが、連載記事と書きおろしの記事をまとめたのが「プラモロジーAtoZ」と「プラモロジー8G」という増刊号でした。お読みになった方はお分かりかと思いますが、この時代のモデルアートのライター諸氏はかなり個性的で、時にはギャグを散りばめたり、かと思えばとても真面目な記事を書かれていたりと、今のように新製品があふれていたわけではない時代だからこそ、一つ一つの記事が「読ませる」ものばかりでした。
黒須さんの著作もまさにそんな感じだったのですが、本屋さんで手に取って一気に魅かれ、買って帰ってからも読みふけったことを覚えています。
一人のライターをフィーチャーして増刊が刊行されるというのも珍しかったわけですが、記事の内容も当時としては他に例を見ないものばかりです。これらの書籍が刊行された1980年代初頭ではまだ高価で珍しかったエアブラシについて準備から塗装、後片付けに至るまで解説をされているほか、シリコン、レジンを使った部品の複製の方法、ウェザリングの技法についても章を割かれています。私自身、今でもウェザリングの記事を参考にしているくらいです。また「プラモロジーAtoZ」の巻末にはプラモデル用語の英和辞典も載っており、これはプラモデルに限らず、実物の航空機趣味にも役立つ内容です。
エアブラシについては高校生になってから私も購入しました。ピースコン・ヤング88というエントリーモデルで、コンプレッサーを買うお金は当然ありませんでしたので、エア缶に接続していつもガスの残りを気にしながら使っていたものです。
黒須さんの著作や、モデルアート誌を通じて「飛行機の模型も丁寧に作って美しく彩色をして、ウェザリングを施せば本物を縮尺した素晴らしいものが出来上がるんだ」ということを知ることになり、鉄道趣味と並行して飛行機とその模型への愛情が深まっていくことになります。ただし、飛行機の模型については自分の中である程度メソッドが確立するのは20歳近くになってのことなので、随分と遠回りしていたようにも思えます。
黒須さんは1980年代には増刊号などでお名前を拝見することが多かったのですが、90年代初頭に連載が復活し、それらの記事を中心にまとめたものが「空モデルテクニック」でした。ここではタミヤのエアブラシ「スプレーワークHG」に着目され、私も二代目のエアブラシとして購入することになります。タミヤのスプレーワークは細かい作業の多い飛行機のプラモデル向きではない、というのが私の周囲での評価でした(ただし、Nゲージのモデラーで美しい塗装をしている方もいました)が、スプレーワークHGについては精密な作業に向いたエアブラシとして、改良を続けながら多くのユーザーに愛されていることは今更説明の必要もないでしょう。
黒須さんはモデルアートだけでなく、大日本絵画などでも活躍されましたが、残念なことに何年か前に亡くなられています。生前、プラモテルの展示会の場でだったと思いますが、何度がお目にかかったことがありました。少年時代の憧れの方に会えてとても嬉しかったのと、緊張したことを覚えています。お話の中で一つ一つのキットを時間をかけて丁寧に作っている様子をうかがうことができましたし、ファンからいただいた手紙についてはすべて取ってあるというお話に、読者と対話するということを大切にされていたことをを思い出しました。
本ブログの一回目に私の工作台の周辺のものや、お気に入りのものを配置して撮った写真があるかと思いますが、あれはまさしく「プラモロジーAtoZ」の表紙に影響を受けたものでございます。黒須さんの足元には及ばないわたくしではありますが、モデラーとして、ブログという場所ではありますが文章を書く者として敬意を表したものと思っていただければ幸いです。