F-104Jの話、続きです。もう一機は銀色の機体と打って変わって黒い機体です。
1980年前後からF-104Jについては迷彩塗装を各部隊で試みるようになります。戦技競技会と呼ばれる各部隊対抗の大規模な訓練に合わせて、当初は識別帯を入れていたのが、やがて本格的な迷彩塗装に移行します。グレー系の迷彩色が多い中で、第204飛行隊の機体のうち2機が、1980年にこの黒いいでたちで現れました。
この黒いF-104Jについては書籍などで採り上げられていたので私も以前作ったことがあったのですが、機番などのデカールがシルバリングを起こしてしまい、気に入らない結果となりました。艶消しの塗装面にデカールを貼るとシルバリングといってデカールが密着せずに「白浮き」してしまうことがあり、「ここにデカール貼りましたよ」な感じになってしまい、ちょっとみっともないわけです。これを防ぐには一旦艶あり塗装で仕上げてデカールを貼り、その上から艶消しのクリアを吹き付けることになります。
というわけでこちらもストレートに組み、サーフェーサー吹き、1000番の耐水ペーパーで水研ぎの後、この独特な色を塗っていきます。機番部分はMr.カラー374番で、こちらはF-2戦闘機の洋上迷彩の明るい方です。72番のミディアムブルーでもよいかもしれません。ノーズ部分はセミグロスブラックです。F-104Jのうち一定数の機体が後にノーズコーン部分が黒くなっています。インテーク周りのつや消し黒の部分は銀色の機体と同じです。これらをマスキングののち、Mr.カラー2番の黒色を基調に328番のダークブルー(ブルーエンゼルスのブルーです)、301番のダークグレー(FS36081)を少量入れました。
胴体、主翼、燃料タンクなどを塗装し、デカールを貼った状態です。この時点では艶があります。注意書きなどは最低限残して塗りつぶされています。第204飛行隊のF-104Jについては、今回の作例の637号機の他にも565号機が黒塗装となっており、こちらはノーズコーンは通常の上半分ダークグリーン、下がエアクラフトグレーですが、機体後部のタービンラインをエアブレーキの部分以外塗りつぶすという徹底ぶりでした。
この後艶消しのクリアーを吹き付けてデカールの保護と艶消しの仕上げとしていきます。残念ながらそれでも少しシルバリングが出てしまったところがありました。
実機も写真で見た限りこんなパサパサな艶消しでした。
後方から見た姿です。
さて、飛行機の工作というのは、どうしても部品を切り離してから塗装して、少し先の工程までしまっておいて、といったこともよくあります。脚柱や脚のカバーなどは左右で形も違いますので、分かりやすく保管できるようにと、私は無〇良品で購入したポリプロピレン製の小物入れ(5色セット)を使っています。翌端灯と同じく、左は赤、右は緑ということで、左側の脚カバーはこちら、とか右側の主脚はこっちの緑のケース、といった使い方で紛失も防いでいます。
今回、こちらのキットにもパイロットを乗せました。紙でコロコロというメーカーからそのものずばりのF-104J用のパイロットフィギュアがレジンで出ています。
足が計器盤の基部につかえてしまうので切断していますが、それ以外は特にいじっていません。オレンジスーツの上に青いジャンパーを着た姿にしました。
搭乗した姿です。
改めて完成写真です。こちらも当時のパッチ(ワッペン)の復刻版と一緒です。
新田原基地所属の部隊らしく、パッチには九州のシルエットがあります。
第204飛行隊は乗員の養成と戦闘機部隊としての顔の両方があり、長く西方の守りについていました。後にこの部隊の名前はF-15Jに引き継がれ、百里基地に所属していましたので、関東のファンにはなじみ深いものとなりました。現在は西方、南方重視ということもあり、沖縄県那覇基地に移っています。
航空自衛隊のF-104Jについては1980年代に入って勢力を減らし、これらの迷彩塗装も「最後の輝き」となりました。演習のための塗装とは言っても、退役までその色のままだったという機体もあったようです。イタリア空軍のようにロービジ塗装で2000年代初頭までF-104Sを運用したのとは異なり、日本の方が転換は早かったと言えるでしょう。
あらためて今回と前回の2機です。特に今回の機体については1984年刊行の旧版「世界の傑作機」に掲載された小さな写真や、モデルアートの増刊に掲載された作例写真などから考えたり、推理したりしながら作っていく感じでした。リベンジ、とまではいきませんが、何とか自分の腕で自分に納得させられたかな、というところです。
1980年前後からF-104Jについては迷彩塗装を各部隊で試みるようになります。戦技競技会と呼ばれる各部隊対抗の大規模な訓練に合わせて、当初は識別帯を入れていたのが、やがて本格的な迷彩塗装に移行します。グレー系の迷彩色が多い中で、第204飛行隊の機体のうち2機が、1980年にこの黒いいでたちで現れました。
この黒いF-104Jについては書籍などで採り上げられていたので私も以前作ったことがあったのですが、機番などのデカールがシルバリングを起こしてしまい、気に入らない結果となりました。艶消しの塗装面にデカールを貼るとシルバリングといってデカールが密着せずに「白浮き」してしまうことがあり、「ここにデカール貼りましたよ」な感じになってしまい、ちょっとみっともないわけです。これを防ぐには一旦艶あり塗装で仕上げてデカールを貼り、その上から艶消しのクリアを吹き付けることになります。
というわけでこちらもストレートに組み、サーフェーサー吹き、1000番の耐水ペーパーで水研ぎの後、この独特な色を塗っていきます。機番部分はMr.カラー374番で、こちらはF-2戦闘機の洋上迷彩の明るい方です。72番のミディアムブルーでもよいかもしれません。ノーズ部分はセミグロスブラックです。F-104Jのうち一定数の機体が後にノーズコーン部分が黒くなっています。インテーク周りのつや消し黒の部分は銀色の機体と同じです。これらをマスキングののち、Mr.カラー2番の黒色を基調に328番のダークブルー(ブルーエンゼルスのブルーです)、301番のダークグレー(FS36081)を少量入れました。
胴体、主翼、燃料タンクなどを塗装し、デカールを貼った状態です。この時点では艶があります。注意書きなどは最低限残して塗りつぶされています。第204飛行隊のF-104Jについては、今回の作例の637号機の他にも565号機が黒塗装となっており、こちらはノーズコーンは通常の上半分ダークグリーン、下がエアクラフトグレーですが、機体後部のタービンラインをエアブレーキの部分以外塗りつぶすという徹底ぶりでした。
この後艶消しのクリアーを吹き付けてデカールの保護と艶消しの仕上げとしていきます。残念ながらそれでも少しシルバリングが出てしまったところがありました。
実機も写真で見た限りこんなパサパサな艶消しでした。
後方から見た姿です。
さて、飛行機の工作というのは、どうしても部品を切り離してから塗装して、少し先の工程までしまっておいて、といったこともよくあります。脚柱や脚のカバーなどは左右で形も違いますので、分かりやすく保管できるようにと、私は無〇良品で購入したポリプロピレン製の小物入れ(5色セット)を使っています。翌端灯と同じく、左は赤、右は緑ということで、左側の脚カバーはこちら、とか右側の主脚はこっちの緑のケース、といった使い方で紛失も防いでいます。
今回、こちらのキットにもパイロットを乗せました。紙でコロコロというメーカーからそのものずばりのF-104J用のパイロットフィギュアがレジンで出ています。
足が計器盤の基部につかえてしまうので切断していますが、それ以外は特にいじっていません。オレンジスーツの上に青いジャンパーを着た姿にしました。
搭乗した姿です。
改めて完成写真です。こちらも当時のパッチ(ワッペン)の復刻版と一緒です。
新田原基地所属の部隊らしく、パッチには九州のシルエットがあります。
第204飛行隊は乗員の養成と戦闘機部隊としての顔の両方があり、長く西方の守りについていました。後にこの部隊の名前はF-15Jに引き継がれ、百里基地に所属していましたので、関東のファンにはなじみ深いものとなりました。現在は西方、南方重視ということもあり、沖縄県那覇基地に移っています。
航空自衛隊のF-104Jについては1980年代に入って勢力を減らし、これらの迷彩塗装も「最後の輝き」となりました。演習のための塗装とは言っても、退役までその色のままだったという機体もあったようです。イタリア空軍のようにロービジ塗装で2000年代初頭までF-104Sを運用したのとは異なり、日本の方が転換は早かったと言えるでしょう。
あらためて今回と前回の2機です。特に今回の機体については1984年刊行の旧版「世界の傑作機」に掲載された小さな写真や、モデルアートの増刊に掲載された作例写真などから考えたり、推理したりしながら作っていく感じでした。リベンジ、とまではいきませんが、何とか自分の腕で自分に納得させられたかな、というところです。