工作台の休日

模型のこと、乗り物のこと、ときどきほかのことも。

ちょっと昔のローマ、ミラノの路面電車

2024年12月20日 | 鉄道・鉄道模型

 前回、マエストラーレ通りの路面電車にインスパイアを与えた実車をご紹介しましたが、今日はもう少し実車の写真を多めにお届けします。

1. 1992年2月ローマにて

まだこんな古い車輛が現役でした。右手前が石畳になっています。

多車体連接で部分低床車が入っていました。電車の手前を若い女性が横切っていますが、信号や横断歩道が少ないエリアもあり、この光景はよく見かけました&自分もやりました。

街並み、道路の様子などもお分かりいただけるかと思います。大学4年の卒業旅行でローマを訪れました。オプションで申し込んでいたポンペイ行が成立せずキャンセルとなったため、バチカンを訪れ、そのあとはローマの街を歩きましたが、ツィンガロ(ジプシー)に囲まれたり、腕をつかまれたりと散々でした。脚を棒にして戻ったホテルではエレベーターが途中で止まって閉じ込められ・・・とトラブルてんこ盛りのはずのローマでしたが、それでもなぜか嫌な思いをしなかったのは、最後の最後で無事だったのと、バチカンをはじめ、いろいろな絵画・彫刻を見て、遺跡を訪れることができたからでしょうか。

 

2. 2002年ローマ

特徴あるオレンジ色の車輌。製造者の名を採って「STANGA」とも呼ばれています。市電の「顔」的存在でもあります。

このオレンジ色はイタリア語では「内閣(大臣)のオレンジ色」とも呼ばれているようです。

緑濃淡の塗り分け(後ろの低床車は車体全体をラッピングしています)。夏の昼下がりです。

 

低床車との並びです。

90年代以降日本でもおなじみとなった完全低床車です。

ローマ市の緋色の紋章。中には「S.P.Q.R(ローマ市民及び元老院諸君の略)」と入っています。

オレンジ塗装との並びです。

 

3. 2003年ローマ

部分低床車も健在でした。

コロッセオの近くを走る路線バスもオレンジ色です。この色、フィレンツェのバスでも同じでした。

 

4. 2002年ミラノ

ミラノもクラシカルなトラムが走っていました。バスと同じで扉は片側のみです。やはりオレンジ色です。

 

 

ローマとは異なる石畳などにも注目。建物もさまざまです。右の「M」のマークはメトロ(地下鉄)の入り口です。

ミラノもその後、低床車の導入が進んでいます。2013年に訪れたときは塗装もオレンジからやや黄色がかった色がベースになっていました。

イタリアの場合、思い出したように公共交通機関の塗装が変更されます。今はまた、違う色なのかもしれません。また、東京ではあまりみかけませんが、車体全体をラッピングした広告電車も見かけます。この20年くらいでフィレンツェやヴェネツィア(イタリア本土側が中心です)などでもトラムの導入が進んでいます。ご無沙汰となっているイタリア、なんとか訪れたいものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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東海道新幹線60周年企画もののプラレール

2024年12月15日 | 鉄道・鉄道模型

 前回「マエストラーレ通り」の番外編を書きます、と書きましたが、ちょっと写真が間に合わなかったので、先にこちらの記事をアップします。楽しみにしていた方(どれくらいいらっしゃるか分かりませんが)、ちょっとお待ちください。

 東海道新幹線開業60周年という話は先日もいたしましたが、それにちなんだこんなものがあります、というのが今日のお話です。

タカラトミーのプラレールでは、東海道新幹線60周年企画として「0系新幹線ひかり号」と「超特急ひかり号」のセットを発売しました。

0系のひかり号の方は分かりますが、左側の赤い新幹線がきになりますよね。こちらは「超特急ひかり号」として当時発売された「赤い新幹線」で、それを復刻したものです。兄はプラレールでよく遊んでいたようで、私も子供の頃、赤い新幹線は見た覚えがあります。幼少期の兄がプラレールで遊ぶ姿も写真が残っています。ちなみにわざわざ赤と白にしたのは子供に受ける色使いだったから、ということだそうで、おおらかな時代だったということでしょう。窓回りに帯が入っていないというのは、試作車のA編成みたいです。

 早速赤い方から見てまいりましょう。現代の新幹線の金型を使い、赤白に塗り分けたものですが、雰囲気は出ています。

そして、0系です。

よく見ると「ひかり号」のサボが印刷されていて、開業当初のイメージが再現されています。

真ん中の車輌は1等車(グリーン車)でしょうか。扉の枠の部分が金色になっています。芸が細かいですね。

後尾側です。

 

二つの編成を並べてみました。

また、乗車券を模したカードも入っています。

赤い方はともかく、0系ひかり号の方は印刷も繊細で、手荒な扱いには向かず、大人のコレクション向きに見えます。そういうわけでこのプラレールの車輌たちは子供の目に入らない場所にしまわれており、いつか走り出すときを待っています。

 

 

 

 

 

 


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東海道新幹線 開業60周年

2024年10月02日 | 鉄道・鉄道模型

 東海道新幹線が東京⇔新大阪間で開業して、ちょうど60年にあたります。その後、新幹線網は山陽、九州、東北、北海道など全国に整備されましたが、新幹線というと、私の中ではやはり東海道新幹線という印象が強いです。個人的な話ばかりになりますが、新幹線、とりわけ東海道新幹線の話を今日は書きましょう。

 幼い時に乗って以来、数え切れないくらいの回数を乗っています。旅行だったり、仕事だったりとさまざまです。しばらくの間は0系が新幹線の主役で、形態的には細かな違いはあれど、デザイン的にはあまり面白みがなかったと昔は思っていて、新幹線は鉄道趣味の対象としてはあまり興味が向かなかった感があります。お金に余裕があれば、0系は大窓、小窓と一通り揃えたいところではありますが・・・。

(後述する1999年の夏に博多駅で偶然撮影した0系。最後の活躍をしていた頃です)

 

 中学は東北地方ということで(東京の学校では珍しいですね)、開業して日の浅いの東北新幹線の200系に乗りましたが、高校の修学旅行は関西で、まだ0系だったと思います。100系が登場して二階建て車輛なども編成に組み込まれて話題になりました。私も100系は好きな形式の一つで、模型も持っています。食堂車のお世話になることは残念ながらありませんでしたが、2階席を含めて100系のグリーン車に乗ったことがあります。前後してヨーロッパの特急の1等車を経験していますが、それらと比べても遜色ないどころか、新幹線のグリーン車の方が一段上の印象を受けました。

 20代から30代にかけて一番お世話になったのは300系かもしれません。シートピッチも昔に比べたら広くなり、何より「のぞみ」の登場で速くなりましたので、実家の家族にも好評の車輌で、亡母は数度の利用だったと思いますが、お気に入りでした。東海道に関しては一時期は今のN700系のようにほとんどが300系で占められましたので、のぞみに限らず、ひかり、こだまでもお世話になりました。

 そして以前も書きましたが、500系の登場で「あえて500系を選んで乗る」ようになりました。新幹線の形式で、初めて「大のお気に入り」ができたことになります。1999年のこと、この500系のぞみで、東京から博多まで通して乗ったことがありました。トンネルの多い山陽新幹線ではさすがに退屈しましたが、東京を朝6時に出発して、お昼前に博多に着き、さらに在来線の特急に乗り継げばちょっと遅い昼ごはんを長崎で食べられる、ということで九州が本当に近くなったなあと思ったものです。

(500系の写真はあまり撮っていません。博多まで通しで乗った1999年の夏に撮影)

 0系、300系といった高速・大量輸送の後継者として700系が、さらにその進化版としてN700系が登場して随分経ちます。昔のように京都、新大阪まで行くこともなくなり、このところはせいぜい名古屋までの移動に使うことが多くなりました。もちろん便利なことには変わりなく、それはただスピードと言うだけでなく、毎日多くの本数が運行されていることも特筆すべきと思います。停車駅も終点も違う列車があれだけ共存できるということも含め、新幹線というシステムの巧みさと、それを生み出して運用している多くの関係者の努力には感服するばかりですし、見えるところで、また見えないところでの関係者のたくさんの仕事に感謝しています。

 何度も何度も乗ると東海道新幹線のルートは「通いなれた道」になってしまうわけですが、それでもカラフルな住宅群だったり、トンネルの合間から見える海岸線だったり、富士山だったり、「727化粧品」の看板だったりを見ながらの旅は楽しいものです。便利な移動手段であり、それ以上でもそれ以下でもないからこそ、大切な路線なわけですが、これからも私をあちこちに連れて行ってくれる大切な路線であることに変わりはないでしょう。

新幹線は開業当初、方向幕ではなく、側面にこういったサボを挿して走っていました。こちらは原寸大のレプリカで、だいぶ前に買ったものです。開業当初は東京⇔大阪間は4時間かかりました。

Nゲージの模型と比較すると大きさが分かりますか?ちなみに電車は試験用に使われた1000形B編成の先頭車です。

 

リニア鉄道館にて、0系の運転台に座る筆者(顔はご容赦)。

 

新幹線関連のネクタイピンも随分持っています。これ以外にE2系、H5系もあります。

 

そうそう、新幹線の普通車の車内販売も近年なくなってしまい寂しい限りですが、沿線在住ベテランモデラー氏は新大阪ないし京都で新幹線に乗り込むと、車内販売でウィスキーの小さなボトルと氷を買い求め、コップに注いでそれをちびちびやりながら読書するのが楽しみだったと言っています。以前子役出身の女優さんが書いていましたが、撮影のため京都に向かう新幹線の車内は昔ならビールやお酒の匂い、さらにタバコのにおいもしたものだけど、今はそんなこともなく(もちろんタバコのにおいもしないし)、パソコンのキーボードの音だけが響いている、と時代の変化を記しています。車内の過ごし方もまた、時代の流れと共に変わって行くようです。

 

 

  

 


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地下鉄博物館へ 丸ノ内線開通70周年記念展 車両編

2024年08月31日 | 鉄道・鉄道模型

 模型の鉄道で8月はだいぶ楽しんだのですが、豚児を連れて先日は地下鉄博物館に行ってきました。ちょうど「丸ノ内線開通70周年記念展 車両編」も開催されておりまして(9/1まで)、そちらの特別展示も観てまいりました。

 

(展示会のパンフ。上に載っている模型はカトーの営団300形。以前RM MODELS/グリーンマックスの付録キットを組んだものもアップしましたが、完成品も後年買いました)

丸ノ内線と言うと子供時代のイメージでは銀座線の比較的落ち着いたオレンジイエローの車体色や他の路線のステンレス、アルミの銀色の車体にラインカラーという大人しい塗装の中で、真紅の車体に白い帯、白帯の上には銀色の「サインカーブ」と、地下鉄車輛だけでなく、日本の鉄道車輛の中でも目立つ存在でした。子供心に「なんでこんなに派手にしたのかな」と思ったほどでした。

 この特別展は昨冬に開催された「建設編」に次いで開催されたもので、文字通り車輌関連の展示が実物の部品、大型模型、写真などで構成されています。もっとも、こちらの車輌はいつでも見ることができますね。

初期の行先案内表示。車体側面についており、どちらかが光る仕組みになっていました。

 

前面方向幕の左右についていた方向標識灯

「サインカーブ」の実物もあります。

 

ドア上にあった路線図でしょうか。「西新宿」駅誕生以前です。

 

大型模型も充実です。

02系は20代~30代にかけて仕事で良く乗りました。

現在の主力、2000系です。「伝統の」サインカーブが復活しています。

豚児はこうした展示より模型のパノラマや、シミュレーターに興味津々で、豚児を膝の上に乗せて比較的簡単なシミュレーターを操作させていただたきました。線区、区間は選べませんが、私は東西線でした。久々に2ハンドルのコントローラーを握りました。

 

丸ノ内線の「赤い色」については、イギリスのタバコ「ベンソンアンドヘッジス」の缶の色を参考にした、というエピソードは有名ですが、以前もこのブログで書いたとおり、同タバコのブランドカラーは金色で、赤は王室の紋章などが描かれたトップ部分に使われた色です。仕事では何度となくお世話になっておりますし、これからは2000系にたくさんお世話になるんだろうなと思い、展示を見ておりました。

 さて、丸ノ内線は模型でもいろいろ持っています。02系もクロスポイント製キットを組みました。

アルミっぽさを出すために、銀色に15%程度の白を混ぜて吹き付けました。

 

大きなスケールでもこういう模型があります。

こちらは2003年に「営団地下鉄メモリアル」として当時の「帝都高速度交通営団」から発売された1/80、16.5mmの300形です。製造はイモンが担当していました。かなり珍しい製品としてご紹介した次第。

行先の「お茶の水」に注目

 

 

 

 

 

 

 


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国際鉄道模型コンベンション2024 モデラーの展示から

2024年08月21日 | 鉄道・鉄道模型

 JAMの話、続きます。今回は印象に残った展示などをご紹介。

 初日に訪問して古典機談義となったのは「オカ・ジョーキーズ」。

こちらは日本鉄道の貨物機、後の9700形。実物はアメリカ、ボールドウィン製で、初の1D1軸配置の機関車でした。これ以降、1D1配置の機関車は発注元の日本を象徴するものとして「ミカド」の愛称がつきました。常磐線で石炭輸送にあたっていました。

江戸と東京が混在する明治の光景を、模型で観ることができるようになったとは・・・。いい時代になったものです。

台の右側に明治の万能タンク機、B6こと後の2120形が並んでいます。B6は500輌以上の大所帯で、製造国も様々でしたから、細かな違いがあります。かつての河合商会の製品をここまで改造されるとは、ということで、しばしB6談義に花が咲きました。といっても私も作られた方も、実物の現役時代は知らないのですが・・・。私の亡き父でさえ、物心ついたときには蒸気機関車は空制化されていたはずです。こうして原型に近いB6をNゲージで再現されるというのは頭が下がります。

数々の古典機が並びますが、昭和の初めの編成もありますね。私などは明治生まれの祖父母がいましたし、両親は昭和一桁世代ですので、明治、大正、戦前というのは体験した大人から直接聞いた歴史ですが、平成生まれ以降、特に今世紀に入ってから生まれた方にとっては、歴史のひとこまなんですよね。

豚児の大のお気に入りがこちら

RFC(Railway fan Club)さんのりんかい線をモデルにした自動運転。信号が灯り、発車メロディが流れ、ということで実物のような運転に豚児だけでなく、多くのお子さんたちが夢中になっていました。豚児がかなり長居しておりまして、ご迷惑だったのでは、と思います。

 家人はその近くの「激団サンぽーる」の風景がとりわけ印象に残ったようでした。

水の表現などはかなり手間をかけている様子でした。

工場と船溜まりの風景が何とも言えない雰囲気を持っています。

先日、高校生たちのモジュールをたくさん見てきましたが、その中にも水を表現したものが多くありました。それらと比べますとやはり大人は自分の目で見てきた風景も、そして工作に関しても経験値も違いますので、各段に素晴らしい作品となっています。家人が「森の中に引き込まれそう」と言っていました。

 

架空鉄道組合(仮)は、さまざまな自由型、心象鉄道の車輌たちを展示していました。バスの塗装まで「らしく」まとめてありますね。

私も架空の地方私鉄のオーナーですので、車輌やバスに至るまで作る気持ち、よく分かります。

 

地方私鉄ということではこういった展示も(クラブ名等を確認していませんでした、失礼)

建物は市販品がほとんどのようですが、うまくできています。駅舎もトミーの教会でしょうか。

 

弘南鉄道、中央弘前駅。桜の季節でしょうか。

渋谷のスクランブル交差点、新宿南口のジオラマでおなじみ「Cityscape」さんには昨年開業した宇都宮のこの風景も。

三日間、我々の隣のブースにいらっしゃったmatsuri modelさんが手がけたそうで、この路面の表現を教えていただきました。ありがとうございます。

こちらは3carsさん。名前のとおり、2輌でも4輌でもない、3輌編成で走るレイアウトの魅力を表現。こちらの池上線、いいですね。私も10数年前に池上線沿線が外回りの担当エリアだったので、こういう風景だったなあ、と感心することしきり。

 

物欲の方もそれなりに発動しておりましたが、変わったところではGM50周年のキーホルダーを買っています。

エコノミーキットシリーズの箱を模したものと、お店でおなじみ、あのシールを模したものです。値段の表記なども「分かる人には分かる」ものですね。

裏も丁寧に購入場所の「JAM会場」に赤丸がプリントされていました。

 

 

 

 

 

 

 

 


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