この週末がモナコGPということで、さきほどもプロ野球の交流戦の中継が終わったタイミングということもあり、フリー走行1回目をテレビ観戦しておりました。今年は過密日程もあってか、いつものように木曜日がフリー走行、金曜を休んで土曜日が予選、というフォーマットではないのも特徴的です。1929(昭和4)年に第一回が開催された由緒あるグランプリですが、歴史が長いだけにいろいろなドラマもございます。今回は末尾に2のつく年のグランプリのお話をしたいと思います。
1932年、この年を制したのは以前もご紹介したヌヴォラーリで、アルファロメオを駆っていました。アルファロメオとブガッティ、マセラーティがエントリーしており、コース上の路面電車の線路(!)もこの年から取り払われたと言われています。グリッドはくじ引き(!!)で決めており、ヌヴォラーリは3台が並ぶグリッドの4列目、11番手からスタートし、途中まで地元のルイ・シロンをぴったりとマーク、シロンのリタイア後はトップに立って100周、実に3時間半のハードなレースに勝ちました。2位には同じくアルファロメオのカラツィオラが入り、一周目に6台を抜くなど、こちらも見事なレース運びです。3位はマセラーティのファジオーリが入っています。
戦後、1952年は2年前からスタートしたF1世界選手権のカレンダーには入らず、スポーツカーでの開催となりました。この年と翌年はF2の規定でF1を開催するという変則的なもので、選手権の日程も決まらず、F1側のシーズン開幕が6月になってからということもあるのでしょう。フェラーリ225が上位を独占、V.マルゾット伯爵が優勝しています。フェラーリのスポーツカー乗りとして活躍した選手でした。他にもE.キャスティロッティ、ピーター・コリンズ、スターリング・モス、レジ・パーネル、ピエール・ルヴェーらの名前がエントリーにありますので、スポーツカーとは言ってもやはりモナコで、実力あるドライバーが集まっていました。
1962年に優勝したのはブルース・マクラーレンでした。後に自身の名を冠したコンストラクターを作るわけですが、この時はクーパーに乗っており、予選3位からやはり100周を走り切っています。終盤までグラハム・ヒルにリードを奪われたのですがヒルがエンジントラブルで後退、93周からトップに立っての優勝でした。
1972年、ちょうど50年前ですが、この時は大雨降りしきる中BRMのジャン・ピエール・ベルトワーズが初優勝にしてキャリア唯一の優勝を遂げました。BRMというのは1950年代から70年代まで活躍したイギリスのF1チームで、1960年代のモナコでは幾度も勝利を挙げ、1962年のヒルもBRMでタイトルを獲得していますが、70年代に入ると低落傾向にありました。車体だけでなくエンジンも内製が特徴で、優勝したP160Bは12気筒でした。レースですが、ベルトワーズは予選4位から勢いよくスタート、一気にトップに立つとそのままリードを築きます。大雨のおかげでマシンのスピードが遅くなったことで、かえってマシンへの負担が軽くなり、ブレーキも路面が乾いているときほど酷使されずに済み、これがBRMに有利に働きました。チャンピオンのジャッキー・スチュワートは十二指腸潰瘍で調子を崩していたほか、2位のイクス、3位のフィッティパルディも、ポジションをキープするのがやっとでした。80周の戦いを2時間半近くかけて戦ったベルトワーズの勝利は、BRMにとって最後の優勝となりました。ベルトワーズのこのシーズン唯一の入賞がモナコでの優勝、ということでこれもまた珍しい記録です。大雨のモナコで伏兵の初勝利というと、私などは1996年のパニスの初勝利を思い出しますが、昔を知るファンやジャーナリストは、きっとこの1972年を思い出したのではないでしょうか。
1982年はモナコ史上まれにみる混乱したレースで、終盤トップが目まぐるしく変わりました。プロストのリタイアから始まり、前回ご紹介したパトレーゼ(当時はブラバム)がスピンして再度復帰、ピローニとデ・チェザリスは最終ラップでガス欠、ということで最初にチェッカーを受けることができたのはパトレーゼで、F1参戦6年目にして初優勝をモナコで挙げました。本人も優勝したことに気づいておらず、周囲に促されて表彰式に向かったと伝えられています。モナコのグレース大公妃はこの年の秋に事故死しており、大公妃の生前最後に祝福されたのがパトレーゼとなりました。1982年シーズンはモナコの前のベルギーGPでフェラーリのエース、ヴィルヌーブが事故死、その後も事故が相次いだほか、勝者も目まぐるしく変わり、実に11人の勝者が誕生しています。惜しかったのはこのモナコで勝利を逃したデ・チェザリスで、目前で勝利を逃してしまい(1983年、1991年ベルギーGPでも惜しいところまで好走しました)、その後も走らないマシンを上位に押し上げる壊し屋だけでない一面もあったのですが、結局一度も表彰台の頂点に立てないまま引退しました。
1992年は幾度も紹介していますが劣勢のアイルトン・セナが終盤の大逆転でナイジェル・マンセルを抑えきってマンセルの開幕6連勝を阻みました。50回目を記念するような印象に残る決勝レースとなりました。
2002年を制したのはマクラーレン・メルセデスのD.クルサードでした。予選2位からトップを奪うとそのままトップを守って勝ちました。このシーズン、シューマッハ、バリチェロを擁したフェラーリが圧倒的に強く、勝てなかったのはモナコとマレーシアだけでした。モナコで優勝経験のあるシューマッハが「落とした」という意味では番狂わせだったのかもしれません。
2012年はレッドブル・ルノーのマーク・ウェバーがポールトゥウィンを飾ります。もともと予選のタイムではメルセデスのシューマッハが上回っていましたが、前戦に受けたペナルティでグリッド降格となっていました。2012年も勝者が8人生まれるという珍しいシーズンでした。
さて、2022年はどうなるのか。順当な勝利になるのか、それとも伏兵が天候の綾で、なんていう展開があるのか楽しみです。日曜は夜にモナコGP、明け方はインディ500ということで、大きなレースイベントが重なります。激しくもフェアで、そして安全なレースになるよう祈っています。
1972年、ベルトワーズの優勝車 BRM P160B(スパーク1/43) モデルはちゃんとレインタイヤを履いています。マルボロをスポンサーにしていますが、当時は蛍光色ではなく鮮やかな赤色で、紋章も含めてタバコの箱の色やデザインに忠実でした。
参考文献 Grand Prix de MONACO (Reiner W. Schlegelmilch, Hartmut Lehbrink著 KONEMANN) 、世界の有名な50のレース(A.ヘンリー著、高齋 正訳 グランプリ出版)、 F1全史(ニューズ出版、三栄書房)
1932年、この年を制したのは以前もご紹介したヌヴォラーリで、アルファロメオを駆っていました。アルファロメオとブガッティ、マセラーティがエントリーしており、コース上の路面電車の線路(!)もこの年から取り払われたと言われています。グリッドはくじ引き(!!)で決めており、ヌヴォラーリは3台が並ぶグリッドの4列目、11番手からスタートし、途中まで地元のルイ・シロンをぴったりとマーク、シロンのリタイア後はトップに立って100周、実に3時間半のハードなレースに勝ちました。2位には同じくアルファロメオのカラツィオラが入り、一周目に6台を抜くなど、こちらも見事なレース運びです。3位はマセラーティのファジオーリが入っています。
戦後、1952年は2年前からスタートしたF1世界選手権のカレンダーには入らず、スポーツカーでの開催となりました。この年と翌年はF2の規定でF1を開催するという変則的なもので、選手権の日程も決まらず、F1側のシーズン開幕が6月になってからということもあるのでしょう。フェラーリ225が上位を独占、V.マルゾット伯爵が優勝しています。フェラーリのスポーツカー乗りとして活躍した選手でした。他にもE.キャスティロッティ、ピーター・コリンズ、スターリング・モス、レジ・パーネル、ピエール・ルヴェーらの名前がエントリーにありますので、スポーツカーとは言ってもやはりモナコで、実力あるドライバーが集まっていました。
1962年に優勝したのはブルース・マクラーレンでした。後に自身の名を冠したコンストラクターを作るわけですが、この時はクーパーに乗っており、予選3位からやはり100周を走り切っています。終盤までグラハム・ヒルにリードを奪われたのですがヒルがエンジントラブルで後退、93周からトップに立っての優勝でした。
1972年、ちょうど50年前ですが、この時は大雨降りしきる中BRMのジャン・ピエール・ベルトワーズが初優勝にしてキャリア唯一の優勝を遂げました。BRMというのは1950年代から70年代まで活躍したイギリスのF1チームで、1960年代のモナコでは幾度も勝利を挙げ、1962年のヒルもBRMでタイトルを獲得していますが、70年代に入ると低落傾向にありました。車体だけでなくエンジンも内製が特徴で、優勝したP160Bは12気筒でした。レースですが、ベルトワーズは予選4位から勢いよくスタート、一気にトップに立つとそのままリードを築きます。大雨のおかげでマシンのスピードが遅くなったことで、かえってマシンへの負担が軽くなり、ブレーキも路面が乾いているときほど酷使されずに済み、これがBRMに有利に働きました。チャンピオンのジャッキー・スチュワートは十二指腸潰瘍で調子を崩していたほか、2位のイクス、3位のフィッティパルディも、ポジションをキープするのがやっとでした。80周の戦いを2時間半近くかけて戦ったベルトワーズの勝利は、BRMにとって最後の優勝となりました。ベルトワーズのこのシーズン唯一の入賞がモナコでの優勝、ということでこれもまた珍しい記録です。大雨のモナコで伏兵の初勝利というと、私などは1996年のパニスの初勝利を思い出しますが、昔を知るファンやジャーナリストは、きっとこの1972年を思い出したのではないでしょうか。
1982年はモナコ史上まれにみる混乱したレースで、終盤トップが目まぐるしく変わりました。プロストのリタイアから始まり、前回ご紹介したパトレーゼ(当時はブラバム)がスピンして再度復帰、ピローニとデ・チェザリスは最終ラップでガス欠、ということで最初にチェッカーを受けることができたのはパトレーゼで、F1参戦6年目にして初優勝をモナコで挙げました。本人も優勝したことに気づいておらず、周囲に促されて表彰式に向かったと伝えられています。モナコのグレース大公妃はこの年の秋に事故死しており、大公妃の生前最後に祝福されたのがパトレーゼとなりました。1982年シーズンはモナコの前のベルギーGPでフェラーリのエース、ヴィルヌーブが事故死、その後も事故が相次いだほか、勝者も目まぐるしく変わり、実に11人の勝者が誕生しています。惜しかったのはこのモナコで勝利を逃したデ・チェザリスで、目前で勝利を逃してしまい(1983年、1991年ベルギーGPでも惜しいところまで好走しました)、その後も走らないマシンを上位に押し上げる壊し屋だけでない一面もあったのですが、結局一度も表彰台の頂点に立てないまま引退しました。
1992年は幾度も紹介していますが劣勢のアイルトン・セナが終盤の大逆転でナイジェル・マンセルを抑えきってマンセルの開幕6連勝を阻みました。50回目を記念するような印象に残る決勝レースとなりました。
2002年を制したのはマクラーレン・メルセデスのD.クルサードでした。予選2位からトップを奪うとそのままトップを守って勝ちました。このシーズン、シューマッハ、バリチェロを擁したフェラーリが圧倒的に強く、勝てなかったのはモナコとマレーシアだけでした。モナコで優勝経験のあるシューマッハが「落とした」という意味では番狂わせだったのかもしれません。
2012年はレッドブル・ルノーのマーク・ウェバーがポールトゥウィンを飾ります。もともと予選のタイムではメルセデスのシューマッハが上回っていましたが、前戦に受けたペナルティでグリッド降格となっていました。2012年も勝者が8人生まれるという珍しいシーズンでした。
さて、2022年はどうなるのか。順当な勝利になるのか、それとも伏兵が天候の綾で、なんていう展開があるのか楽しみです。日曜は夜にモナコGP、明け方はインディ500ということで、大きなレースイベントが重なります。激しくもフェアで、そして安全なレースになるよう祈っています。
1972年、ベルトワーズの優勝車 BRM P160B(スパーク1/43) モデルはちゃんとレインタイヤを履いています。マルボロをスポンサーにしていますが、当時は蛍光色ではなく鮮やかな赤色で、紋章も含めてタバコの箱の色やデザインに忠実でした。
参考文献 Grand Prix de MONACO (Reiner W. Schlegelmilch, Hartmut Lehbrink著 KONEMANN) 、世界の有名な50のレース(A.ヘンリー著、高齋 正訳 グランプリ出版)、 F1全史(ニューズ出版、三栄書房)