こんなに早く、お悔やみの記事を書くことになるとは思いもよりませんでした。今日は長くなると思いますし、読んでつらくなる方もいらっしゃるかと思いますので、あらかじめ申し上げる次第です。
ザ・スクエア(現T-SQUARE)のキーボード奏者として1982(昭和57)-1997(平成9)年まで在籍し、その後も活躍を続けていた和泉宏隆さんが62歳で急逝されました。先日のブログで元気な姿を拝見し・・・と書きましたし、連休中も配信によるライブなどを予定されていたそうです。急な訃報を聞いたのが昨日のお昼のことで、そのときはただただ言葉も出ず、ショックというのと、残念でならない気持ちでいっぱいでした。
和泉さんは高校時代に既に「人前で演奏をしてお金をいただいていた」ことがあったそうで、高校時代に出会った音楽仲間には、のちにカシオペアのドラマーとして活躍することになる神保彰さんや、ギタリスト、作曲家として活躍することになる鳥山雄司さんがいます。この三人で、後に「ピラミッド」というトリオも結成されます。
スクエアに加入されたのは24歳の時ですが、和泉さんの加入でそれまでフュージョンやクロスオーバーというジャンルのとおりジャズからテクノ、さらにはコミカルな要素まで「なんでもあり」だったスクエアが「歌の無いポップス」のグループとして完成されていきました。新聞等でも紹介されていましたが「OMENS OF LOVE」、「宝島」といった吹奏楽でおなじみになった曲を作曲されています。上記の二曲はイントロがかかっただけで大盛り上がりですが「EL MIRAGE」、「TRIUMPH」といったアップテンポの名曲に「WHITE MANE」のようなアコースティックに振った美しいメロディの曲、さらには「FROM03 to 06」のようなお洒落な曲、そして伊東たけしさんのCM出演曲で有名な「TRAVELLERS」も和泉さんの手によるものです。
また、バラードでも「CAPE LIGHT」、「遠雷」、「FORGOTTEN SAGA」、「TWILIGHT IN UPPER WEST」、「SWEET SORROW」といった名曲を遺され、一時は「B面のラストは和泉さんのバラード」でアルバムをしめくくる、ということが続きました。
安藤正容さんが「メインコンポーザー」という言い方を先日もしましたが、安藤さん、和泉さんの二人でバンドの作曲面を支えていたところがあります。私は何か楽器が弾けるわけではありませんし、譜面も読めませんので偉そうなことは言えないのですが、和泉さんの楽曲、とりわけバラードについては特に日本人の感性に響くメロディが多かったように思います。ご本人も「CAPE LIGHT」については「アメリカの風景をイメージしたけど日本の海岸になった」と言われていましたし「TRAVELLERS」についてはご本人からすると「演歌」ということだそうですが、住む国や地域によって人の心をつかむ音楽というのはそれぞれあって、どちらもリスナーの心をぐっとつかんだ曲ではないでしょうか。かくいう私もアップテンポの曲に勇気づけられ、バラードで癒され、とCDやウォークマンで、部屋にいるときや移動中、もちろんライブの会場で和泉さんの曲とご本人の演奏にどれだけ感動したか数え切れません。
スクエアではピアノだけでなくシンセサイザーも含めて担当されていましたが、退団された後はピアノ奏者として活躍をされ、スクエアの「Reunion」などでシンセサイザーは河野啓三さんや白井アキトさんに任せ、ご自身はピアノを演奏するというのが多かったように思います。2003年に「THE SQUARE」名義で再結成があったときもアルバム「SPIRITS」ではご自身の曲の「GRORIOUS ROAD」で、またご自身の曲ではありませんが「風の少年」や「EUROSTAR」で非常に印象的なソロを弾いています。
私個人の話になりますが、スクエアの現メンバー、元メンバーのソロ活動の中で、一番ライブを観た回数が多いのが和泉さんだったのではないかと思います。2000年代には目黒のブルースアレイ、六本木のスイートベイジルとよく聴きに行ったものです。特にソロになられてからは白髪を後ろで束ねて、ちょっと近寄りがたい表情で、スタインウェイのピアノからとても美しい音色を響かせていたことを思い出します。MCでは駄洒落を交えて軽妙なおしゃべりをされ、そのギャップも含めて私は大ファンでした。特に最近はふっくらされていましたが、それを自虐ネタにもされていました。
スクエア退団後のライブで印象深かったものもあります。前述の神保、鳥山両氏と結成したバンドのピラミッドの前身である「OKBoys」(出身校の慶応ボーイをもじっています)の旗揚げライブが六本木ピットインで開催されると聞き、冬の日曜の昼間でしたが見に行きました。この日時しかスケジュールが取れなかったとのことでしたが、学生時代に戻ったかのようにとても楽しそうに演奏されていたことを思い出します。やがてピラミッドとなってからは毎回ソールドアウトの人気バンドとなりました。また、六本木スイートベイジルに出演予定だった海外アーティストが来日できなくなり、急遽和泉さんがベースの方と組まれてステージに立ったこともありました。私も予定が空いていたのと、急なことでだいぶお安くなっていたこともあり、見に行ったことがあります。海外アーティストの出演を見越して日本在住らしい外国の方も来ていましたので「枯葉」などのスタンダード曲も演奏されていましたが、ご自身の曲にもエモーショナルな演奏には拍手が送られていたことを思い出します。
スクエアを卒業されてからの活動では、アレンジを変えて何度も演奏されていたので、とても大切にされていたのではないかと思いますが「SKY SO BLUE」というソロ時代の名曲もありました。ピアノトリオでは村上聖さん(ベース)、板垣正美さん(ドラム)の組み合わせを良く観に行きましたし、アルバム1枚で終わってしまったのが本当に悔やまれますが、カシオペアのリーダー・野呂一生さん、パーカッションの仙道さおりさんと組まれた「VOYAGE」というトリオもとても素晴らしく、今でも愛聴盤です。近年ではスクエア時代に一緒にプレイした須藤満さんと組んだ「ひろみつ」というデュオもあり、何度かライブに足を運びました。また、オリジナル、カバーを問わずソロピアノのCDも多くリリースされており、ご自身で作曲された曲を演奏された「コンプリート ソロピアノワークス」の三枚目が遺作となってしまいました。あと2枚リリースされる予定と伺っていましたので、それがかなわなかったことは大変残念であります。
急なことでしたのでご遺族や一緒に仕事をされてきた方々のお気持ちは察するに余りありますし、私もこのブログを書きながらまだ信じられない気持ちでおります。ライブの終演後、CDジャケットにサインをいただく際に「名前は何と書きましょうか?」と聞かれることも、大きな手で力強い握手をされることも、もう無いのかと思うと、本当に悲しく、残念でなりません。
たくさんの美しい曲と演奏を、本当にありがとうございました。
ご冥福をお祈りいたします。

(和泉宏隆さんと右は遺作となったコンプリート ソロピアノワークス3のジャケット)

左上のジャケットはスクエア時代にリリースした「AMOSHE(アムシー)」。神保さん、鳥山さんらも参加されているお気に入りの一枚です。
ザ・スクエア(現T-SQUARE)のキーボード奏者として1982(昭和57)-1997(平成9)年まで在籍し、その後も活躍を続けていた和泉宏隆さんが62歳で急逝されました。先日のブログで元気な姿を拝見し・・・と書きましたし、連休中も配信によるライブなどを予定されていたそうです。急な訃報を聞いたのが昨日のお昼のことで、そのときはただただ言葉も出ず、ショックというのと、残念でならない気持ちでいっぱいでした。
和泉さんは高校時代に既に「人前で演奏をしてお金をいただいていた」ことがあったそうで、高校時代に出会った音楽仲間には、のちにカシオペアのドラマーとして活躍することになる神保彰さんや、ギタリスト、作曲家として活躍することになる鳥山雄司さんがいます。この三人で、後に「ピラミッド」というトリオも結成されます。
スクエアに加入されたのは24歳の時ですが、和泉さんの加入でそれまでフュージョンやクロスオーバーというジャンルのとおりジャズからテクノ、さらにはコミカルな要素まで「なんでもあり」だったスクエアが「歌の無いポップス」のグループとして完成されていきました。新聞等でも紹介されていましたが「OMENS OF LOVE」、「宝島」といった吹奏楽でおなじみになった曲を作曲されています。上記の二曲はイントロがかかっただけで大盛り上がりですが「EL MIRAGE」、「TRIUMPH」といったアップテンポの名曲に「WHITE MANE」のようなアコースティックに振った美しいメロディの曲、さらには「FROM03 to 06」のようなお洒落な曲、そして伊東たけしさんのCM出演曲で有名な「TRAVELLERS」も和泉さんの手によるものです。
また、バラードでも「CAPE LIGHT」、「遠雷」、「FORGOTTEN SAGA」、「TWILIGHT IN UPPER WEST」、「SWEET SORROW」といった名曲を遺され、一時は「B面のラストは和泉さんのバラード」でアルバムをしめくくる、ということが続きました。
安藤正容さんが「メインコンポーザー」という言い方を先日もしましたが、安藤さん、和泉さんの二人でバンドの作曲面を支えていたところがあります。私は何か楽器が弾けるわけではありませんし、譜面も読めませんので偉そうなことは言えないのですが、和泉さんの楽曲、とりわけバラードについては特に日本人の感性に響くメロディが多かったように思います。ご本人も「CAPE LIGHT」については「アメリカの風景をイメージしたけど日本の海岸になった」と言われていましたし「TRAVELLERS」についてはご本人からすると「演歌」ということだそうですが、住む国や地域によって人の心をつかむ音楽というのはそれぞれあって、どちらもリスナーの心をぐっとつかんだ曲ではないでしょうか。かくいう私もアップテンポの曲に勇気づけられ、バラードで癒され、とCDやウォークマンで、部屋にいるときや移動中、もちろんライブの会場で和泉さんの曲とご本人の演奏にどれだけ感動したか数え切れません。
スクエアではピアノだけでなくシンセサイザーも含めて担当されていましたが、退団された後はピアノ奏者として活躍をされ、スクエアの「Reunion」などでシンセサイザーは河野啓三さんや白井アキトさんに任せ、ご自身はピアノを演奏するというのが多かったように思います。2003年に「THE SQUARE」名義で再結成があったときもアルバム「SPIRITS」ではご自身の曲の「GRORIOUS ROAD」で、またご自身の曲ではありませんが「風の少年」や「EUROSTAR」で非常に印象的なソロを弾いています。
私個人の話になりますが、スクエアの現メンバー、元メンバーのソロ活動の中で、一番ライブを観た回数が多いのが和泉さんだったのではないかと思います。2000年代には目黒のブルースアレイ、六本木のスイートベイジルとよく聴きに行ったものです。特にソロになられてからは白髪を後ろで束ねて、ちょっと近寄りがたい表情で、スタインウェイのピアノからとても美しい音色を響かせていたことを思い出します。MCでは駄洒落を交えて軽妙なおしゃべりをされ、そのギャップも含めて私は大ファンでした。特に最近はふっくらされていましたが、それを自虐ネタにもされていました。
スクエア退団後のライブで印象深かったものもあります。前述の神保、鳥山両氏と結成したバンドのピラミッドの前身である「OKBoys」(出身校の慶応ボーイをもじっています)の旗揚げライブが六本木ピットインで開催されると聞き、冬の日曜の昼間でしたが見に行きました。この日時しかスケジュールが取れなかったとのことでしたが、学生時代に戻ったかのようにとても楽しそうに演奏されていたことを思い出します。やがてピラミッドとなってからは毎回ソールドアウトの人気バンドとなりました。また、六本木スイートベイジルに出演予定だった海外アーティストが来日できなくなり、急遽和泉さんがベースの方と組まれてステージに立ったこともありました。私も予定が空いていたのと、急なことでだいぶお安くなっていたこともあり、見に行ったことがあります。海外アーティストの出演を見越して日本在住らしい外国の方も来ていましたので「枯葉」などのスタンダード曲も演奏されていましたが、ご自身の曲にもエモーショナルな演奏には拍手が送られていたことを思い出します。
スクエアを卒業されてからの活動では、アレンジを変えて何度も演奏されていたので、とても大切にされていたのではないかと思いますが「SKY SO BLUE」というソロ時代の名曲もありました。ピアノトリオでは村上聖さん(ベース)、板垣正美さん(ドラム)の組み合わせを良く観に行きましたし、アルバム1枚で終わってしまったのが本当に悔やまれますが、カシオペアのリーダー・野呂一生さん、パーカッションの仙道さおりさんと組まれた「VOYAGE」というトリオもとても素晴らしく、今でも愛聴盤です。近年ではスクエア時代に一緒にプレイした須藤満さんと組んだ「ひろみつ」というデュオもあり、何度かライブに足を運びました。また、オリジナル、カバーを問わずソロピアノのCDも多くリリースされており、ご自身で作曲された曲を演奏された「コンプリート ソロピアノワークス」の三枚目が遺作となってしまいました。あと2枚リリースされる予定と伺っていましたので、それがかなわなかったことは大変残念であります。
急なことでしたのでご遺族や一緒に仕事をされてきた方々のお気持ちは察するに余りありますし、私もこのブログを書きながらまだ信じられない気持ちでおります。ライブの終演後、CDジャケットにサインをいただく際に「名前は何と書きましょうか?」と聞かれることも、大きな手で力強い握手をされることも、もう無いのかと思うと、本当に悲しく、残念でなりません。
たくさんの美しい曲と演奏を、本当にありがとうございました。
ご冥福をお祈りいたします。

(和泉宏隆さんと右は遺作となったコンプリート ソロピアノワークス3のジャケット)

左上のジャケットはスクエア時代にリリースした「AMOSHE(アムシー)」。神保さん、鳥山さんらも参加されているお気に入りの一枚です。