F1ブームと呼ばれた1990年前後の日本とF1の関係については、これまでいくつもの雑誌等で取り上げられております。少し前に発売となりましたが「レーシングオン」誌でも「F1最熱狂期 バブリッシュ・ジャパンパワー」ということで日本からのお金がどのようにF1に流れ込んだか、何を産み、何を失ったかについて触れています。なお「最熱狂期」というのは1989年~1993年頃を指しています。
もう30年以上昔の話ではありますが、バブル景気に沸く日本では、企業などのお金がエンジン供給、スポンサーだけでなく、時にはチームそのものをお買い上げ、という形でF1に流れこみます。
レイトンハウスやブラバムのように、当事者のインタビューも含め、これまで他の書物で読んで知っている話もあるわけですが、中団の雄、アロウズを買い取った運送業でおなじみだったフットワークチームの話や、F1参戦を企図しエンジンの試作を行っていたというスズキの話などは興味深く読みました。当時は参戦していたホンダやヤマハ以外にもほとんどの自動車メーカーがF1エンジンの試作を行っていた、という噂もあるほどで、以前他誌で読んだことがありますが、いすゞのように提携先のロータスにエンジンを載せてテストまで行ったケースがあったほか、スバルのように当時誰も使っていなかった水平対向エンジンを用意するも、まともに走らないまま終わってしまった、ということもありました。
(レイトンハウスのマシンのミニカー。スズキはレイトンハウスと組むという話がありました。当時はレイトンハウスはあまり好きではなく、ミニカーを買ったのもだいぶ後になってから、中古品で出ていたものでした)
スポンサーというところでは、どんな弱小チームでも何らかの形で日本企業の支援を受けており、それをまとめた表も掲載されています。予備予選(当時は予選に進むための予選が金曜朝にあった)組のリアルやユーロプルンにも日本企業(しかもアパレルというところが時代を感じます)がついていました。家電、アパレル、食品、有線放送、メディアに結婚情報サービスと、そのお金、どこにあったの?と聞きたくなります。
テレビCMの話も懐かしいですね。キャノンのカラーコピー機とマンセル、パイオニアのカーナビを搭載したフェラーリで京都を走ったアレジ、シェルのCMにはセナが、ポポンSにはハッキネン、ハーバートのロータスの二人、もちろん日本人もエプソンと中嶋悟、東芝と鈴木亜久里だけではなく、1992年にF1デビューを果たした片山右京もJTの「CABIN」のCMに出演しているなど、賑やかな時代でした。
こうしたジャパンマネーの中には少々怪しいところもあって、それはジャパンマネーに限ったことではないのも事実ですが、今のヘンにラグジュアリー路線になってしまい、数百億の金が動くF1よりも敷居が低かったのではという分析もうなずけます。もちろん、超優良ブランド、企業も入っていたわけで、その最たるものは「週刊少年ジャンプ」とマクラーレンのコラボでした。1990年、1991年のマクラーレン・ホンダのマシンのノーズには小さく「ジャンプ」と書かれていましたし、マクラーレンの協力に基づく漫画(原作はジャーナリストの赤井邦彦氏)もあったほどです。このあたりの話もでてまいります。あの頃のジャンプといえぱ発売日に子供も大人も本屋さんに群がる様子が有名でしたね。今や活字メディアは本屋さんも含めて厳しくなっております。これもこの30年の大きな変化です。
名門チームがジャパンマネーで「延命措置」を施した話も出てまいります。ブラバム、ロータスと言ったタイトルを獲得したチームが、バブルの崩壊とともに消えていったというのは、何とも・・・というところです。
ブラバム最後のシーズンとなった1992年には聖飢魔Ⅱがスポンサーになりました。ノーズのピンクのところに「Seikima-Ⅱ」とあります。ドライバーのデーモン・ヒルに対し、デーモン小暮がデーモンつながりでスポンサーになったとか。ヒトだけでなく悪魔もスポンサーになりました。ちなみにデーモン・ヒルはレースの世界に足を踏み入れる前はバンドをやっていたそうです。
その頃の私と言えば貧乏な大学生で、バブルに沸く日本を「こんなこといつまでも、長くは続かない♪」とRCサクセションの歌ではありませんが、少々冷めた目で見ておりました。私の直前に就職活動をしていた学年と、私の時にはだいぶ様相も変わっており、バブルの余韻はまだありましたが、企業も「人を選んで」採用するようになっていたと思います。私のさらに数年後には本格的な氷河期になってしまいます。
さて、そんな「最熱狂期」のマシンが青山のホンダウェルカムプラザにあると聞いて行ってきました。と言っても雨の日に豚児をどこかに連れて行くのに退屈しない場所を、という目的もあったのですが。
マクラーレン・ホンダMP4/5Bです。まさにジャンプがスポンサーをしていた時のマシンですね。先日開催のブラジルGPに合わせての展示です(11/24まで)。館内ではネットフリックスのセナを描いたドラマの予告編も流れていました。もっとも、豚児は11/13まで開催の「ホットウィール体験展」というイベントに夢中になっており、マテル社のミニカー「ホットウィール」を使って遊んでいました。トミカとは違う極彩色の架空の車を大きなコースで走らせておりました。
青山のホンダにはこれも
郵便バイクではなくて、ハローキティバージョンのスーパーカブです。スペシャル動画も流れていました。キティちゃん、動画ではホンダの白い作業服まで着ています。キティちゃんの後ろに描かれたリンゴ3個はキティちゃんの体重でしたっけ。そのスーパーカブも50ccは生産終了と出てましたね。
11/10追記。あの時代にはホンダだけでなく、ヤマハ、無限、スバルもエンジンを供給してました。また、本誌ではバブルが弾けてから独力でF1のグリッドにたどり着いたタキ井上氏の語り下ろしも載っています。こちらも面白かったです。