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青い花

読書感想とか日々思う事、飼っている柴犬と猫について。

黒い美術館

2020-04-14 12:22:44 | 日記
マンディアルグ著『黒い美術館』には、「サビーヌ」「満潮」「仔羊の血」「ポムレー路地」「ピアズレーの墓」の五つの短編が収録されている。
『黒い美術館』は、マンディアルグの第一短編集だが、本書を翻訳・編纂するにあたって、同名短編集所収の作品三篇に、ほかの諸集から「サビーヌ」と「満潮」の二編を追加している。

同じ作者、同じ翻訳者の作品集だけど、追加の二編よりも、元々『黒い美術館』所収の「仔羊の血」「ポムレー路地」「ピアズレーの墓」の三編の方が私の好みだった。
〈美術館〉と冠するだけあって、読む力よりも見る力(文字から画を想像する力といった方がいいか)を使う読書体験だった。
三篇とも、煌びやかなのに陰影が強くて、場面をイメージしながら読んでいると眩暈がしそうになる。
生演奏の爆音が炸裂する中で着飾った人々が夜通し踊り狂うキャバレー、明るい紫やエメラルドの緑、トルコ石の青、サフランの黄、フェキニア風の薔薇色などに毛皮を染められた場の羊たち、深海を思わせる廻廊の暗示的な品々が犇くショーウインドー……あらゆる場面に色彩と固有名詞が溢れんばかりに詰め込まれている。
その反面、登場人物の思考や感情の記述は驚くほど少ない。彼らはしばしば突飛な行動をとるが、その行動を裏付ける動機が説明されることはほぼない。
基本的に、私は小説に明確な起承転結を必要としない読者であるが、そんな私でも意味が分からなさ過ぎて戸惑う箇所が多々あったので、小説に筋やオチを求める人には向かない作風ではあるだろう。
「ピアズレーの墓」で引用されている、ド・モンパンシェ内親王の“罪のない快楽はわたしの好みに合いません。”と、サルバドール・ダリの“けだし一つのことがらが確実だから。つまり、いかなるかたちにせよ、わたしは単純さが嫌いである。”という言葉そのものの作品群だ。


三篇の中で一番良かったのが、「ポムレー路地」だ。
私は子供のころから、謎の地下迷宮とか廻廊とかアーケードを舞台とした物語が大好きで、物語の住人になって永遠に迷子になっていたいと思うほどなのだ。
路地と言われると、野良猫が鳴き、生ゴミの腐敗臭が漂ううらぶれた情景を思い描いてしまうが、パッサージュ・ポムレーは、ナント市に実在する三階建ての人気観光施設だ。
パッサージュとは、19世紀初頭パリで最初に作られたアーケードのこと。中でもナントの港が貿易で築いた富を元に建造されたパッサージュ・ポムレーは、フランスで一番美しいパッサージュと評されている。
建物の中に居ながら、ガラス張りの天井から降り注ぐ陽光を感じることができ、雨に濡れる心配もない。三層の廻廊は白い壁に覆われ、ギリシャ風の彫像が等間隔に並んでいる。それぞれの層をつなぐ階段は、シックなデザインの木製だ。建物全体に19世紀末のナントの栄華を濃厚に残している。
高低差のある敷地を活かした階段状の建物の内部には、吹き抜けに面して多数の店舗が並んでいて、中間層からも外の坂道に繋がる通路が伸びている。もし誰もいない時間帯に訪れることが出来るなら、まるで迷宮を歩いているような気分になるだろう。
マンディアルグの手にかかると、この観光客で賑わうアーケードが、まったく違う不健全で禍々しい顔を見せる。入れ物は同じなのに完全な異世界だ。

“悪名高い路地のうちには、ご承知のごとく得体のしれぬ獣が悠然と眠り込んでいる場合が多い。          A・ブルトン/Ph・スーポー”

七月十四日の晴れた日の暮れ方、〈私〉は、ナント人のジュール・ヴェルヌの作品を思い返しながら、祭りでにぎわうクレビヨン通りの坂をゆっくりと登っていた。
普段であれば、行き交う人々で賑わう時刻なのに、なぜかほとんど人影がない。そのおかげか、今まで見過ごしていたものが目に入ってきた。
クレビヨン通りからやや奥まったあたりに、小さな広場がある。
そこにアーケード付きの抜け路地の入口が開いており、その框の部分には黒地に金文字で〈ポムレー路地へようこそ〉と記した標識が掲げられている。標識の上にはブリキの看板で、こんな補足的指示が加えられている。

〈観光客の皆さん、ナントご見物のおついでに、「巴里西班牙貴族(イタルゴ・ド・パリ)」展示場をお見落としなく。右手、階段上、彫刻廻廊わき。〉

〈私〉は指示に従って、水底を連想させる半暗闇の廻廊を渡ってゆく。

“やがて路地の上層階はルイ=フィリップ王朝末期好みに、ずいぶん美しい化粧漆喰で飾られているのが見分けられる。いくつもの胸像が、緑青のような黴をつけて、半円花飾を背景に浮き出ている。全体に荒廃し、ところどころ崩れ落ち、その廃墟に鋸歯状の海藻や、羊歯、苔類がはびこり、まるで細かな産毛に似た青色の埃を敷きつめているみたいだ。ぼやけた供廊の輪郭、この沼地のような植物、湿気、乳白色と海緑色の配合、そうしたもののせいでポムレー路地はまるで、海底に没したアトランチスの列柱が立ち並ぶあたりへ、潜水夫たちが、ネモ艦長に導かれて、海亀や鮫を狩りに出かける、あの『海底二万里』の深海風景に位置しているかのように見受けられる。”

〈巴里西班牙貴族の最新設備歯科診療所〉と向かい合っている廻廊には、謎解き遊びのような彫像の群れと、強烈な色彩のポスターをごてごてと貼った突飛なデザインの店舗が並んでいる。
店の陳列窓には、用途のよく分からない、どことなく猥雑なイメージの、冗談と悪戯の領域で考え出せる限りのありとあらゆる品々が、気まぐれな市場のようにごちゃごちゃと陳列されている。くさめ爆弾、悪魔の皿浮かし、愛の巻き尺、殺し屋の石鹸、平和の星、愛人温度計、電気指輪、仰天バター、その他諸々。

珍妙な品々を眺めながら歩いているうちに、〈巴里西班牙貴族の歯科診療所〉が眼前に現れた。ポムレー路地に踏み込んでから、いったいどのくらいの時間が経過したのか見当もつかない。

いつの間にか、一人の女が〈私〉のわきに立っていた。
確かに一度も会ったことのない、それでいて始終お馴染みだったような気がする奇妙な女だ。
その些か東洋的な顔貌は、理想的な作りの異様な美しさを見せつけつつ、その上に何かを思い出させようとする。別な時間から。別な環境から。今では忘れられてしまったが、〈私〉がこれからもう一度見つけ出そうとしている領域と状況から。その深淵から、何かが齎されるような気がする。〈私〉と女は、互いを凝視した。

長い沈黙ののち、女はただ一言「Echidna」という言葉を漏らした。
この女の言う「Echidna」を訳者は針土竜と訳しているが、マンディアルグはギリシャ神話の怪物の母エキドナの意味で使っているのだろう。上半身は美女、下半身は大蛇の姿をしたエキドナは、夫のテューポーンや息子のオルトロスとの間に、ケルベロス、ヒュドラ、キマイラ、スキュラ、スフィンクスなど、数多の怪物を産んだ。

女は〈私〉に背を向けて歩き出す。〈私〉はどうしても女を手に入れたいと思う。
二人は階段を降り、ポムレー路地の階下廻廊を通り抜ける。その間も〈私〉は、もの狂おしい貪欲さで、すべての店舗の陳列窓の中の、すべての品物、すべてのポスター、すべての文句を記憶に留める。これらのすべてが、今後大きな意味を帯びずにすまないだろう。

路地を外れ、スープ=デ=カピュサン通りの下手の小路に入りこむと、袋小路の奥の荒れ果てた一軒家に辿り着く。
入り口に二基のハルピュイア像の座すその家は、建物の高さのわりに間口が狭い。屋内に入ると螺旋階段が最上階まで続いている。登り切ったところで、建物の床面積に対して不自然なほど広い部屋に出た。

女は部屋の片隅で蹲ると、肩を震わせて泣き出した。
〈私〉は急にこの女がどうでもよくなってきた。女は〈私〉に対する役割を終え、二人を結びつけるものは何も無くなったのだ。

両端の窓と窓との間を埋め尽くす長い角テーブルの上に、汚れた布切れ、錐、針、鋏、一揃えのナイフ類などが、見たこともない形をした鋼鉄製器具類と共に雑然と置かれている。
テーブルの下には大きな赤いクッションが置いてあって、その上には、奇怪な生き物がいる。
その生き物は、豚の胴体に猫の毛皮を被せ、尻尾を切り取り、猫の頭と、豚の足を取り付けたキメラのような姿をしていた。その金色の目は、まるでこの世のあらゆる時代の絶望を一身に担ったみたいな悲しみを湛えているのだった。

この時、寝台の間のカーテンを押し広げて、滑らかな鱗で覆われた黒い女が姿を現した。
落日の金色の焔を背に浴びた黒い女は、尊大な態度で手術台と寸断用器具を指し示す。
「自分の番が来たのだ。」と悟った〈私〉は、黒い女の方に向かって従順に歩みだすのだった……。

最後にこの物語が、見世物小屋にいた鰐人間の手稿であることが明かされる。

手稿の持ち主は、鰐人間の死後、これを見世物小屋の興行師から譲り受けた。
興行師は国祭日の翌日の明け方に、鰐人間をナント市の売春地域に通じる階段の上で拾ったという。汚物と一緒に溝に捨てられ、痛手を負った鰐人間は、介抱され、程なく癒え、その後の人生を見世物小屋の出し物として生き延びた。


生理的なレベルで受け入れがたい気色悪さを纏った物語である。
空に浮かぶ気球の描写から始まり、海底を思わせるパッサージュを上り下りして、迷路のような小路を通り抜け、螺旋階段を最上階まで登る。想像しながら読むと、映像酔いしそうになるほど縦横無尽に変わる視点は、無限の空間を思わせる。
作中には、異常なほど多数の事物の名が溢れているのに対して、登場人物は、主人公の鰐人間、彼を螺旋階段の家に導いた女、彼を手術したと思われる黒い女の僅か三人。
しかも、心理描写は殆どなく、台詞に至っては、「Echidna」ただ一言だ。

怪物の胎内のような迷路を辿って、主人公が行き着いたのは、螺旋階段の家の手術台だった。
台の上にはこれから彼の手術に使う器具が並べられ、台の下にはかつてここで手術受けたのであろう豚と猫の合体生物がいる。豚猫生物は瞳に悲しみを湛えながらも、己の運命を受け入れているようだ。
主人公もまた、黒い女に手術台に上がるよう促された時に、その胸の内には、期待も、恐怖も、迷いすらもなく、ただ夥しい無気力と果てし無い安らぎの感覚に浸されていたのだった。そこで生まれ変わることが、太古からの逃れられない決定事項だったのだろう。
物語は、鰐人間が住処にしていた箱の中で、水かきのある小さな手に万年筆を握りしめ、何枚もの包装紙の裏に文字を書き記しているところを見たとの目撃証言で、ぷっつりと終わる。
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