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青い花

読書感想とか日々思う事、飼っている柴犬と猫について。

マスクを作ってみました

2020-04-15 09:10:03 | 日記

手持ちの使い捨てマスクが少なくなってきたので、ハンカチでマスクを作ってみました。
自宅に置いている救急セットや防災セットに市販の布マスクも入っているのですが、使い捨てマスクのサイズに慣れている身としては、主に横幅が足りなくて使い難く感じます。

「出来るだけ簡単に、しかもハンカチを切らずに」の条件で作りました。
使い捨てマスクが普通に買えるようになったら、糸をほどいてハンカチに戻すつもりです。


ちょうどいい縦幅になるように上部を折ります。


更に、下の部分が袋状になるように二つ折りにします。


耳にかけるゴム紐を通すために、横幅のサイズ調整も兼ねて両端を折ります。
市販の布マスクと同じです。


袋状になっているので、中にガーゼなどを入れることが出来ます。
薄いガーゼハンカチマスクには市販の布製マスクを入れて、厚手のタオルハンカチのマスクには滅菌ガーゼや小さく切ったサラシを入れて使います。

ハンカチ以外もすべて家にある物を使いました。
ゴム紐は娘コメガネの小学校の校帽の替え紐や市販の布マスクから外したもの。
滅菌ガーゼとサラシは救急箱に眠っていたもの。
私はそんなに物を溜め込まない方なのですが、探せば不要な物も出てきますね。ゴミ箱行きになる前に活用できて良かったです。
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黒い美術館

2020-04-14 12:22:44 | 日記
マンディアルグ著『黒い美術館』には、「サビーヌ」「満潮」「仔羊の血」「ポムレー路地」「ピアズレーの墓」の五つの短編が収録されている。
『黒い美術館』は、マンディアルグの第一短編集だが、本書を翻訳・編纂するにあたって、同名短編集所収の作品三篇に、ほかの諸集から「サビーヌ」と「満潮」の二編を追加している。

同じ作者、同じ翻訳者の作品集だけど、追加の二編よりも、元々『黒い美術館』所収の「仔羊の血」「ポムレー路地」「ピアズレーの墓」の三編の方が私の好みだった。
〈美術館〉と冠するだけあって、読む力よりも見る力(文字から画を想像する力といった方がいいか)を使う読書体験だった。
三篇とも、煌びやかなのに陰影が強くて、場面をイメージしながら読んでいると眩暈がしそうになる。
生演奏の爆音が炸裂する中で着飾った人々が夜通し踊り狂うキャバレー、明るい紫やエメラルドの緑、トルコ石の青、サフランの黄、フェキニア風の薔薇色などに毛皮を染められた場の羊たち、深海を思わせる廻廊の暗示的な品々が犇くショーウインドー……あらゆる場面に色彩と固有名詞が溢れんばかりに詰め込まれている。
その反面、登場人物の思考や感情の記述は驚くほど少ない。彼らはしばしば突飛な行動をとるが、その行動を裏付ける動機が説明されることはほぼない。
基本的に、私は小説に明確な起承転結を必要としない読者であるが、そんな私でも意味が分からなさ過ぎて戸惑う箇所が多々あったので、小説に筋やオチを求める人には向かない作風ではあるだろう。
「ピアズレーの墓」で引用されている、ド・モンパンシェ内親王の“罪のない快楽はわたしの好みに合いません。”と、サルバドール・ダリの“けだし一つのことがらが確実だから。つまり、いかなるかたちにせよ、わたしは単純さが嫌いである。”という言葉そのものの作品群だ。


三篇の中で一番良かったのが、「ポムレー路地」だ。
私は子供のころから、謎の地下迷宮とか廻廊とかアーケードを舞台とした物語が大好きで、物語の住人になって永遠に迷子になっていたいと思うほどなのだ。
路地と言われると、野良猫が鳴き、生ゴミの腐敗臭が漂ううらぶれた情景を思い描いてしまうが、パッサージュ・ポムレーは、ナント市に実在する三階建ての人気観光施設だ。
パッサージュとは、19世紀初頭パリで最初に作られたアーケードのこと。中でもナントの港が貿易で築いた富を元に建造されたパッサージュ・ポムレーは、フランスで一番美しいパッサージュと評されている。
建物の中に居ながら、ガラス張りの天井から降り注ぐ陽光を感じることができ、雨に濡れる心配もない。三層の廻廊は白い壁に覆われ、ギリシャ風の彫像が等間隔に並んでいる。それぞれの層をつなぐ階段は、シックなデザインの木製だ。建物全体に19世紀末のナントの栄華を濃厚に残している。
高低差のある敷地を活かした階段状の建物の内部には、吹き抜けに面して多数の店舗が並んでいて、中間層からも外の坂道に繋がる通路が伸びている。もし誰もいない時間帯に訪れることが出来るなら、まるで迷宮を歩いているような気分になるだろう。
マンディアルグの手にかかると、この観光客で賑わうアーケードが、まったく違う不健全で禍々しい顔を見せる。入れ物は同じなのに完全な異世界だ。

“悪名高い路地のうちには、ご承知のごとく得体のしれぬ獣が悠然と眠り込んでいる場合が多い。          A・ブルトン/Ph・スーポー”

七月十四日の晴れた日の暮れ方、〈私〉は、ナント人のジュール・ヴェルヌの作品を思い返しながら、祭りでにぎわうクレビヨン通りの坂をゆっくりと登っていた。
普段であれば、行き交う人々で賑わう時刻なのに、なぜかほとんど人影がない。そのおかげか、今まで見過ごしていたものが目に入ってきた。
クレビヨン通りからやや奥まったあたりに、小さな広場がある。
そこにアーケード付きの抜け路地の入口が開いており、その框の部分には黒地に金文字で〈ポムレー路地へようこそ〉と記した標識が掲げられている。標識の上にはブリキの看板で、こんな補足的指示が加えられている。

〈観光客の皆さん、ナントご見物のおついでに、「巴里西班牙貴族(イタルゴ・ド・パリ)」展示場をお見落としなく。右手、階段上、彫刻廻廊わき。〉

〈私〉は指示に従って、水底を連想させる半暗闇の廻廊を渡ってゆく。

“やがて路地の上層階はルイ=フィリップ王朝末期好みに、ずいぶん美しい化粧漆喰で飾られているのが見分けられる。いくつもの胸像が、緑青のような黴をつけて、半円花飾を背景に浮き出ている。全体に荒廃し、ところどころ崩れ落ち、その廃墟に鋸歯状の海藻や、羊歯、苔類がはびこり、まるで細かな産毛に似た青色の埃を敷きつめているみたいだ。ぼやけた供廊の輪郭、この沼地のような植物、湿気、乳白色と海緑色の配合、そうしたもののせいでポムレー路地はまるで、海底に没したアトランチスの列柱が立ち並ぶあたりへ、潜水夫たちが、ネモ艦長に導かれて、海亀や鮫を狩りに出かける、あの『海底二万里』の深海風景に位置しているかのように見受けられる。”

〈巴里西班牙貴族の最新設備歯科診療所〉と向かい合っている廻廊には、謎解き遊びのような彫像の群れと、強烈な色彩のポスターをごてごてと貼った突飛なデザインの店舗が並んでいる。
店の陳列窓には、用途のよく分からない、どことなく猥雑なイメージの、冗談と悪戯の領域で考え出せる限りのありとあらゆる品々が、気まぐれな市場のようにごちゃごちゃと陳列されている。くさめ爆弾、悪魔の皿浮かし、愛の巻き尺、殺し屋の石鹸、平和の星、愛人温度計、電気指輪、仰天バター、その他諸々。

珍妙な品々を眺めながら歩いているうちに、〈巴里西班牙貴族の歯科診療所〉が眼前に現れた。ポムレー路地に踏み込んでから、いったいどのくらいの時間が経過したのか見当もつかない。

いつの間にか、一人の女が〈私〉のわきに立っていた。
確かに一度も会ったことのない、それでいて始終お馴染みだったような気がする奇妙な女だ。
その些か東洋的な顔貌は、理想的な作りの異様な美しさを見せつけつつ、その上に何かを思い出させようとする。別な時間から。別な環境から。今では忘れられてしまったが、〈私〉がこれからもう一度見つけ出そうとしている領域と状況から。その深淵から、何かが齎されるような気がする。〈私〉と女は、互いを凝視した。

長い沈黙ののち、女はただ一言「Echidna」という言葉を漏らした。
この女の言う「Echidna」を訳者は針土竜と訳しているが、マンディアルグはギリシャ神話の怪物の母エキドナの意味で使っているのだろう。上半身は美女、下半身は大蛇の姿をしたエキドナは、夫のテューポーンや息子のオルトロスとの間に、ケルベロス、ヒュドラ、キマイラ、スキュラ、スフィンクスなど、数多の怪物を産んだ。

女は〈私〉に背を向けて歩き出す。〈私〉はどうしても女を手に入れたいと思う。
二人は階段を降り、ポムレー路地の階下廻廊を通り抜ける。その間も〈私〉は、もの狂おしい貪欲さで、すべての店舗の陳列窓の中の、すべての品物、すべてのポスター、すべての文句を記憶に留める。これらのすべてが、今後大きな意味を帯びずにすまないだろう。

路地を外れ、スープ=デ=カピュサン通りの下手の小路に入りこむと、袋小路の奥の荒れ果てた一軒家に辿り着く。
入り口に二基のハルピュイア像の座すその家は、建物の高さのわりに間口が狭い。屋内に入ると螺旋階段が最上階まで続いている。登り切ったところで、建物の床面積に対して不自然なほど広い部屋に出た。

女は部屋の片隅で蹲ると、肩を震わせて泣き出した。
〈私〉は急にこの女がどうでもよくなってきた。女は〈私〉に対する役割を終え、二人を結びつけるものは何も無くなったのだ。

両端の窓と窓との間を埋め尽くす長い角テーブルの上に、汚れた布切れ、錐、針、鋏、一揃えのナイフ類などが、見たこともない形をした鋼鉄製器具類と共に雑然と置かれている。
テーブルの下には大きな赤いクッションが置いてあって、その上には、奇怪な生き物がいる。
その生き物は、豚の胴体に猫の毛皮を被せ、尻尾を切り取り、猫の頭と、豚の足を取り付けたキメラのような姿をしていた。その金色の目は、まるでこの世のあらゆる時代の絶望を一身に担ったみたいな悲しみを湛えているのだった。

この時、寝台の間のカーテンを押し広げて、滑らかな鱗で覆われた黒い女が姿を現した。
落日の金色の焔を背に浴びた黒い女は、尊大な態度で手術台と寸断用器具を指し示す。
「自分の番が来たのだ。」と悟った〈私〉は、黒い女の方に向かって従順に歩みだすのだった……。

最後にこの物語が、見世物小屋にいた鰐人間の手稿であることが明かされる。

手稿の持ち主は、鰐人間の死後、これを見世物小屋の興行師から譲り受けた。
興行師は国祭日の翌日の明け方に、鰐人間をナント市の売春地域に通じる階段の上で拾ったという。汚物と一緒に溝に捨てられ、痛手を負った鰐人間は、介抱され、程なく癒え、その後の人生を見世物小屋の出し物として生き延びた。


生理的なレベルで受け入れがたい気色悪さを纏った物語である。
空に浮かぶ気球の描写から始まり、海底を思わせるパッサージュを上り下りして、迷路のような小路を通り抜け、螺旋階段を最上階まで登る。想像しながら読むと、映像酔いしそうになるほど縦横無尽に変わる視点は、無限の空間を思わせる。
作中には、異常なほど多数の事物の名が溢れているのに対して、登場人物は、主人公の鰐人間、彼を螺旋階段の家に導いた女、彼を手術したと思われる黒い女の僅か三人。
しかも、心理描写は殆どなく、台詞に至っては、「Echidna」ただ一言だ。

怪物の胎内のような迷路を辿って、主人公が行き着いたのは、螺旋階段の家の手術台だった。
台の上にはこれから彼の手術に使う器具が並べられ、台の下にはかつてここで手術受けたのであろう豚と猫の合体生物がいる。豚猫生物は瞳に悲しみを湛えながらも、己の運命を受け入れているようだ。
主人公もまた、黒い女に手術台に上がるよう促された時に、その胸の内には、期待も、恐怖も、迷いすらもなく、ただ夥しい無気力と果てし無い安らぎの感覚に浸されていたのだった。そこで生まれ変わることが、太古からの逃れられない決定事項だったのだろう。
物語は、鰐人間が住処にしていた箱の中で、水かきのある小さな手に万年筆を握りしめ、何枚もの包装紙の裏に文字を書き記しているところを見たとの目撃証言で、ぷっつりと終わる。
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緊急事態宣言と桜散歩

2020-04-09 19:28:19 | 日記
新型コロナウイルス感染症対策として、7日に、東京・神奈川・千葉・埼玉・大阪・兵庫・福岡を対象地域とした緊急事態宣言が発令されました。先週末からそうなるとは思っていましたが……。

私の住む神奈川では、感染者の増加により医療崩壊が懸念されるとの報道がありました。
こんな異常事態は初めてのことで、錯綜する情報に振り回されっぱなしで些か疲弊しています。うちは夫が持病で月一通院していますし。

あと、私の実家は対象地域外なのですが、母が抗がん剤の治療で定期的に通院しているので、通院途中や病院内でウイルスに感染しないか、とても心配しています。
春休みに、娘コメガネと一緒に母の見舞いと実家の片づけに行くつもりだったのですが、万が一、私かコメガネがウイルスに感染していたら、母を死なせてしまいかねないので止めておきました。既に自分がキャリアかもしれないと思って行動しないと、身内だけでなく、大勢の人に迷惑をかけてしまいますよね。

娘コメガネの中学校も対応が二転三転しています。
始業式のあった6日の時点では、新型コロナウイルス感染症への対応として、4月7日から19日までの間、県内市町村立の学校は臨時休校するとの通達がありました。教科書や休校中の学習課題の配布は4月9日の登校日に配布とのこと。

ところが、7日の夜の緊急事態宣言発出を受けて、臨時休校の期間が5月6日まで延長され、4月9日、20日に予定されていた登校日も無くなってしまいました。
配布物の新たな受取り期間と場所は、今日の連絡メールで改めて指定されましたが、ちょっと間が開いているのですよね。これも事態の変遷によっては、再度指定し直されると思うので、普段はろくにチェックしていないスマホも(メールやラインの返信が遅い上に素っ気無いとよく言われます……)、まめに見るようにしています。

このままGW明けまで自宅学習になるのですが、通常通り授業開始している地域との学力差が広がりそうで心配です。
コメガネさんは学習意欲も計画性もないので、益々学力がいただけないことになりそうですが、私自身が出来なかったことを子供にあれこれ言うのもどうかと。

一人でする散歩やジョギングは感染リスクが低いとのことなので、柴犬凜ちゃんの散歩は通常通り行っています。今は凜と一緒にプラプラ歩くのが一番の気晴らしです。






凜の散歩コースには桜の木がたくさん植えられているので、ずいぶんと心が慰められます。そろそろ散り始めていますが、葉っぱ混じりもまた綺麗なものです。

例のクルーズ船が横浜港に停泊していたこともあって、我が家では2月の半ばから自主的に人混みを避けるようにしていました。
桜の名所にも行かず、昨秋から封切りを楽しみにしていた映画と企画展も諦めました。
普段あまり出歩かない分、ここに行くぞという計画が潰れるとガッカリ感が大きいです。

それはそうと、夫の職場が、来週から在宅ワークになることが決まって少しホッとしました。夫の勤務地が横浜なので、ずっと気を揉んでいたのです。
ただいま、夫は在宅ワーク前の最後の地方出張に行っています。
「この時期にまだ出張?」と耳を疑いましたけど、夫の仕事はインフラ関係なので要請があったら行くしかないそうです。でも、感染者数の少ない地方との温度差は感じてしまいますね。


凜ちゃんはいつでものほほん。
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庭の野良猫

2020-04-08 08:47:34 | 日記

うちの庭にたまに来る大きなオスの黒猫。
がっしりとした体躯と小さくて鋭い瞳が特徴、歴戦の古兵のような風貌です。今回初めて撮影に成功しました。
この猫、私は大将と呼んでいますが、夫はクマの旦那と呼んでいます。この日は、物置の上に座っていました。

大将が庭に来ると、うちの猫たちが落ち着きを失って、ガラス窓の付近で右往左往し始めます。その間、大将の方は落ち着いたもの。気が済むまでご休憩すると、サッと何処かに去って行きます。

庭にはこのほかにも、大将よりだいぶ小柄な黒猫と、桜と同じキジトラ猫も時々姿を見せます。


この犬小屋は凜の庭遊び用に置いたものですが、凜が全然入ってくれず、野良猫の休憩所と化しています。

キジトラは桜を飼う前からうちの庭に来ていてました。
朝、雨戸を開けると犬小屋から慌てて飛び出していく姿を見ることも。野良猫の寿命は短いので、十年くらい前に来ていた猫と今来ている猫は別の猫でしょうが、もしかしたら血縁者かもしれません。
うちの桜も元々は野良猫で、庭の柏葉紫陽花の根元に座っていたところを夫に声をかけられて、うちに上がり込んで来たのでした。

先月の終わり頃、季節外れの雪が降った日のことです。
キジトラがガラス窓から室内を覗いているのと目が合いました。
寒いから中に入れて欲しいのかと思って腰を上げたら、桜が斜め後ろからすっ飛んできて窓ガラスにアタック!!お野良さんは逃げてしまいました。もしかしたら桜の遠い親戚かもしれないのに……。


凜の背中を見つめる桜。
桜はおとなしそうな顔をしていますが、うちの猫たちの中で一番気が強く喧嘩っ早いです。


そのくせ凜には甘えていて、いつもくっつき虫なのがちょっと微笑ましい。


庭遊びをする凜を網戸越しに見守るうちの猫たち。
凜が庭に出ている時には、野良猫は来ません。
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春の花散歩

2020-04-03 09:01:35 | 日記

3月31日に「桜を求めて」というタイトルで、柴犬凜ちゃんとの散歩中に見た桜の記事を投稿しました。
今回は、桜以外の花を集めたご近所花散歩の記事です。

上の画像は、ハナモモ。
以下、晴れ晴れとした空模様の写真があまりありませんが、「花曇り」という季語があるあるくらい曇天の多い時期ですから仕方ありませんね。

名前の分かる花もあれば、不明な花もあります。
母に聞けば教えてもらえるのでしょうが(大抵の鳥や花の名前を知っている)、現在、母は抗がん剤治療中でとてもしんどそうなので、些事で連絡を取るのは気が引けます……。


これも、ハナモモ。




白木蓮。


紫木蓮。


ハナニラ。


ハナニラ。


ハナニラ。


レンギョウ。


レンギョウ。


馬酔木。


水仙。


椿。


スノードロップ。


ジャーマンアイリス。


木瓜。


小米花。


アネモネ。




この紫の花は、ツルニチニチソウかな?ちょっと自信ないですね。


これの名前はわかりません。結構背の高い樹木です。


カタバミ。
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