「 乗鞍の無料露天風呂 」
森川 雅昭さん 撮影
こんな温泉に、久しぶりでのんびり入ってみたいなぁ!
もう今になっては山へ行くのは無理だろうけれど。
今日こそ冷たい雨で冬のようだが、このところの天気は外に出ると何処からか
金木犀の香りが、そして暑からず寒からず空は青く澄んで、山からは紅葉の便りが
届き始めて、今が一年でもっとも爽やかで良い季節だ。
これでコロナ禍などもなく、自分の体調さえ良ければこの世もまんざら捨てたもの
じゃないなぁと思える。
それにしても自然の摂理であり、生きるものの宿命とはいいながら、年をとる,
老いると言うことは悲しいことだと最近つくづく思う。この自粛の期間に
断捨離をしようと、途中で挫折してしまったのだが、写真や昔のものがいろいろ出て
きたのでしばし古い世界に浸ったりしたから、そんな思いがより刺激されたのかも
知れない。
出来たことが出来なくなり、心のふるえる様な感動や感激が、そして繊細でデリケート
な感情とか琴線と言ったものが萎えているのを自覚する。
怒る事も少なくなったが、喜びも薄くなった気がする。(感激や喜び感動はなくなったが、
怒りだけは現役或いはより強くなったと言う人もいるようだが…)
風呂に入れば、我が肉体の著しい衰え、しなびてたるんだ腕や足、お腹だけポッコリ、
そして鏡を見るとそこには、瞼は垂れてかぶさり、口の周りにはホウレイ線が深い谷の
ごとし、顔は醜く浮腫んでいる。思わず外に出るのが躊躇される程だ。
日頃は自分では自分が見えないから結構平気で、人に会ったり話したりしていて居るから、
まあ構わないけれど…。
足腰は痛み、体はふらつき(片目の勢もあるかも知れぬが)、夜は3~4回の小用に起き、
心肺腎糖などの四つの持病は徐々に進んで、何時何があってもとさえ言われているが、
朝、目を覚ますと彫り物のように深い寝皺がくっきりと付いててなかなか消えない。
今日1日大丈夫かと思う位だるくて起きられない。やっと何かに掴まりながら着替えると、
この間の10万円の給付金で作って貰った階段の手摺りに支えられて階下へ降りていく。
午後にはもう堪らず昼寝をするのが日課になってしまったというのが最近の正直な実態である。
これで週に1回のピンポンに、人に代わって貰ったり、休み休みではあるけれど、何とか
参加出来ているのが自分でも不思議なのである。
きっとよほど青鳩の面々がいい人ばかりだからだろうか、そしてせめて何かをやっていなければと
言う強い気持ちがそうさせているのだろうか。
この不思議な奇跡の様なことが何時までも続きますように……。