マラナ・タ  …  私たちの負い目を唯一人、背負われて父の元へ帰られたのは。神があなたを愛されているからです。   

ただ父なる神の愛とイエス・キリストの愛を多くの皆様にお知らせしたいのです。帰れやと、父はあなたを慕い待っておられます。

すべてを見ておられる神

2018年10月12日 | キリスト教

「 わたしの舌がまだひと言も語らぬさきに/主よ、あなたはすべてを知っておられる。」

                               詩編 139編 4節


この詩編の言葉は、紀元前九百年ごろの信仰者の叫びです。人がどこへ逃れようとしても、

神からは逃げられないことが書かれています。

人は孤独であり、また社会的なものと言われています。家族、友達、仲間と共に生きていく中で、

自分の失敗、あるいは全くの誤解で回りの人々から排斥され、孤独になってしまう場合があります。

そんなときに一番の助け手となり、ゆっくりと悩みを聞いてくれるのは、忍耐と愛に満ちた親、

兄弟、夫婦、仲間や友人でしょう。しかしその交わりにおいても、孤独のどん底で悩む者にとっては、

本当の意味での支え手とはなり切れないのかもしれません。

しかし、神が共に居てくださる以上に心強いことはないでしょう。

口から言葉が出る前に私の考えを神は知っておられるのです。この世に生まれる前から、

神はこの私一人を見守ってくださるのです。

人の生涯に起る様々な出来事、それらは、なぜそうなったのか、そうなるのか、人の知性や理性だけでは解き明かせません。

合理的な解釈も難しく、さらに人智を越えることもしばしばです。それらを自覚すればするほど、

詩人は神の臨在を感じ、敬虔になるのです。また、私たちが、何か言葉を口に出す時に、

その前に思いが先行しています。その思いがどのように自分の中で形成されているのか、

その過程は不思議なものです。これまで無かった思考がある時に与えられ、それを言葉として言い表すまで、

その不思議な成り立ちを主は、ことごとく既に知っておられるのです。この神の委ねていく者の幸せよ。

 

 

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