マラナ・タ  …  私たちの負い目を唯一人、背負われて父の元へ帰られたのは。神があなたを愛されているからです。   

ただ父なる神の愛とイエス・キリストの愛を多くの皆様にお知らせしたいのです。帰れやと、父はあなたを慕い待っておられます。

同じ人です

2018年11月30日 | キリスト教

「あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。」

                           ルカ 6章 41節

 

42節では「偽善者よ」とイエスが厳しい言葉で諭されます。自分のことは棚に上げて人の弱点を

とやかく言ってさばきがちな私たちに、大切なことを気づかせてくださるのです。

私たちはどうしても自分に甘く、他人に厳しくなりがちです。自分にも同じような弱さがあるのに、人を厳しく糾弾する。

それはその人のうちに自分自身を見つけたからかもしれませんが。

イエスが言いたかったことは「あなたの持っている弱さとか、限界とか、そのことをよく考えなさい。

他の人もあなたと同じように、限界とか、弱さを持っているのだよ。」ということではないでしょうか。

私たちは、イエスを見つめることなくして、他の人を見つめることがしばしばあります。
 
そして、他人の目のおが屑(ちり)を取りのけようとするのですが、イエスは、自分の目にある丸太(梁)を

まず取りのけなさいと呼びかけられております。
 
ですから、イエスを仰ぎ見た後に他人を見るのではなく、自分自身を見なければいけません。
 
私たちのクリスチャン生活は、あくまでも、神と自分との一対一の関係なのです。
 
あの人がどうなのか、この人はどうなのか、あのキリスト教団体はどうなのか、
 
という詮索をする前に、自分自身はどうなのかと問いなさい、とイエスは言われています。
 

 

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