「神は神聖な会議の中に立ち/神々の間で裁きを行われる。」
詩篇 82扁 1節
古代オリエントでは、神々がそれぞれの地を統治し、主なる神がその神々の上に立つという神話があった。
その神話の形式に則り、神々を裁かれる主を描いています。
メソポタミヤ神話ではしばしば「神々の集い」が登場する。旧約聖書もその影響を受け
(旧約聖書が最終的に編集されたのはメソポタミヤのバビロンの地です。)、
申命記やヨブ記等にその痕跡を残している。
ただし、聖書には何度も何度も、「わたしだけが神である。」という宣言に満ちています。
この神のみがまことの神です。しかし異教では、人が神になることを教えています。
神はもしかしたら、そうしたことも皮肉を込めて、彼らのことを神々と呼ばれているのかもしれません。
このみ言葉は二つの解釈ができます。第一は、地上の姿とするものです。この地上にはたくさんの王や裁判官がいて、
私たちを裁きます。しかし結局神が、地上のすべての王、すべての指導者、すべての裁判官の上におられて、
最後の正しい裁きをしてくださるということです。
第二の解釈は、天上の姿とするものです。地上では正直者が馬鹿を見たり、
権力者が理不尽な暴虐を行なっりしているように見えます。
しかし、その背後に、天上ではもう一つのドラマが展開しているのです。
天上では神の周りで悪い天使(悪魔)もうごめいていて、何とか人を神の愛ら引き離そうとしています。
神はやはり最後の、そして正しい裁き主なのです。神を信頼する者には、神の正しい愛の裁きがあるのです。
神の天上の御計画とは災いではなくて、平安を与える計画であり、わたしたちに将来と希望を与えるためのものです。
エレミヤ 29:11
「わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。
それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。」
箴言 19:21
「人の心には多くの計画がある、しかしただ主の、み旨だけが堅く立つ。」
ローマ 13:1
「神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられたものです。」