「このころ、イエスは祈るために山に行き、神に祈りながら夜を明かされた。
夜明けになって、弟子たちを呼び寄せ、その中から十二人を選び、彼らに使徒という名をつけられた。」
ルカ 6章 12~13節
ルカのいう「使徒」はパウロのいう「使徒」とは少し意味合いが異なります。
パウロの言う「使徒」は個別的意味合いが強いのですが、
ルカの言う「使徒」とはあくまでも12弟子による共同体的・教会的「使徒」を意味しています。
私たちはとかく、「自分」がいて、そして「聖書」があって、そしてそこに書かれてある教えを
自分に当てはめようとする自己修養を目的とします。そして、ここに書いてあることができていないといって
自分を責めたり、また自分が何か活動をしているから自分は立派なクリスチャンだと思いこみます。
そういった自己修練でも、自己実現の場でもないのです。
この新しい権威、十二使徒による神の統治と教会による御国の拡大の中に自分が入っているかどうかが、
大事なのです。自分が修練するのではなく、自分をその権威と御霊の流れの中に置いているかどうか、なのです。
イエスが十二人の弟子たちを選ばれたのはなぜでしょう。
それは、イエス自身が行くことのできない場合代わりに遣わしたり、先に遣わしていろいろと準備を
してもらうためです。そう、イエスの代わりに何かをやってもらうためです。
でも、私たちには競争心や嫉妬心、狭い心があって自分のやり方が一番と思ってしまいがちです。
一番ふさわしいのは主イエスなのですが、その主イエスが十二人の弟子を持ち、
さらに七十二人の弟子たちがいたとも言われています、大切な協力という精神をこの弟子たちと併せて考えたいと思います。
エペソ 2:20
「あなたがたは使徒と預言者という土台の上に建てられており、キリスト・イエスご自身がその礎石です。」