番人は答えて言った。『ご主人。どうか、ことし一年そのままにしてやってください。木の回りを掘って、肥やしをやってみますから。
ルカ 13章 8節
これが今、私たちが生きている時代なのだということを知る必要があるでしょう。
主が戻ってこられるいろいろな徴があります。すでに、主に従う者とそうでない者の選り分けが行われています。
主に属する者は聖霊によって清めを体験しますが、属さない者は火で焼かれます。患難によって滅び、また死後に永遠の滅びに遭います。
しかし、神は一人でも滅びることを望まず、悔い改めることを望まれています。神は忍耐深い方です。
クリスチャンも、信仰告白をして洗礼を受けたから救われていると思っていたら、それは思い違いです。
イエスと個人的な関係を持っている人は、必ず実が結ばれます。もし実が結ばれていないのなら、イエスとの関係が何かおかしいのです。
さて、信仰生活は悔い改めから始まり、悔い改めの連続です。神の審判はこの世でもあり、また永遠の裁きとしてあります。
この審判にパスする者は悔い改めて信仰の実を結ぶ者です。イエス・キリストは、私たちがこの実を結ぶことができるよう、この世に来てくださいました。
実を結ばない木について、神は「その木を切り倒してしまえ」と命じられますが、イエスは「今年もそのままにしておいてください」と、
私たちのために執り成してくださいます。この「もう一年待ってください」というイエスの愛を受け入れて悔い改めるのは、今です。
ヨハネ15:2
「わたしの枝で実を結ばないものはみな、父がそれを取り除き、実を結ぶものはみな、もっと多く実を結ぶために、刈り込みをなさいます。」
ロ−マ8:34
「だれが私たちを罪に定めることができましょう。死んだ方、否、むしろ復活された方であるキリスト・イエスが、神の右に座っていて、私たちのために執り成してくださるのです。」
Ⅰヨハネ1:9
「もし、自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」