『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。
マタイ 22章 39節
私たちクリスチャンは、聖書の言葉について間違いを犯してしまいます。
聖書の文字を守ることがクリスチャン生活だと勘違いします。そうではありません。
クリスチャンが生きる目的は、ことばになって現われている神のご人格に触れることです。
つまり、聖書を文字としてではなく、生きた神のみことばが自分に語りかけていると受け止めることです。
イエスは、神を愛し、人を自分のように愛することがたいせつな戒めであると言われました。
人を愛することができない背景には、必ず、人に対する何らかの不信経験が存在しています。
心が傷つけられた経験を持っているために人を信頼することができないのです。
その傷ついた心が癒されるという経験なしに、私たちは人を愛することはできないのです。
なぜなら、人はこの世にあるものによっては傷ついた心が癒されるということがないからです。
心の傷は「愛」によってのみ癒されるのですが、その癒しのプロセスは決して容易なことではありません。
「愛する」とは、主体的・自覚的・自発的です。神の確かな愛に支えられているので、人によって傷つくことを恐れないからです。
Ⅰヨハネ4:18
「愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出」すからです。
ローマ13:8-10
「互いに愛し合うことのほかは、だれに対しても借りがあってはなりません。
人を愛する者は、律法を全うしているのです。『姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな』、
そのほかどんな掟があっても、『隣人を自分のように愛しなさい』という言葉に要約されます。
愛は隣人に悪を行いません。だから、愛は律法を全うするものです」。
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