ナタナエルは彼に言った。「ナザレから何の良いものが出るだろう。」
ピリポは言った。「来て、そして、見なさい。」
ヨハネ 1章 46節
のちに使徒として知られるようになったヨハネとアンデレは直接イエスに招かれました。
アンデレは兄弟のペテロを導き、ピリポはナタナエルにあってイエスのことを伝えました。
そのときナタナエルの反応は「ナザレから何の良いものが出るだろう。」という事でした。
このナタナエルの反応は現代人の自分の納得できる以外のものには価値観を置かないという点で共通したものです。
キリスト教徒か信仰に何かよいものがあるのかという疑問です。
これに対してピリポの答えは「来て、そして、見なさい。」とそっけない程簡単明明瞭なものでした。
人は神に愛され、神を愛する経験をして変わっていきます。神は、犠牲を払ってこのような自分を
愛してくださたという経験をした者は、同じように他者を愛し実践することを喜びとします。
そのためには、その人に会い、その人の話を聞き、自分で確認することにより、出会いが起こる。
私たちがキリストと出会うことが伝道の第一歩です。
詩篇34:8の記者はこう言いました。「主のすばらしさを味わい、これを見つめよ。幸いなことよ。」
砂糖のことをいくら一生懸命話しても、その味を知らない人にとっては説明するのがとても大変です。
でも、なめて見れば、一発で、砂糖の味がわかります。
同じように、イエスについて、神についていろいろな意見を持っている人がいます。
そうしたら、「ただ、信じてごらんよ。そうしたら、わかるから。」と言うことができるのです。
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