どうか、わたしの口の言葉が御旨にかない/心の思いが御前に置かれますように。
主よ、わたしの岩、わたしの贖い主よ。
詩篇 19扁 15節
ユダヤの人々が贖い主と言う時は、自分が窮地に陥り、全財産を失い、
自分の身まで奴隷として売り渡さなければならないような時、
犠牲を払ってまで買い戻し、助けてくれる親戚のことです。
わたしたちにとっては、いのちを投げ出し、全身の血を流し切って、
滅びから、さばきから救って下さる主イエス・キリストこそ贖い主です。
そんな贖い主に、「私はこんなことをしました。認めてください」と
まるで商取引のようには祈りません。私たちには差し出すものが何もなく、
み前に祈る祈りの言葉をお受けくださいと祈るばかりです。
心の底から湧き上がる信頼、願い、感謝と礼拝の思いとことばだけしかありません、
しかし、神はどんな供え物にも勝って、へりくだった信頼と祈りを受けて下さるのではないでしょうか。
これを私たちの祈りにしたいと思います。自分が発する言葉において、
主に受け入れられるものであるように。また、心の思いが受け入れられたものでありますように。
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