「わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。
それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。
そのとき、あなたたちがわたしを呼び、来てわたしに祈り求めるなら、わたしは聞く。」
エレミヤ書 29章11~12節
試練の日は恵みの日でもあるのです。危機は転機でもあるのです。失敗は新しい段階へのスタートなのです。
これは、自分の目で見れば、幸いどころか災いしか感じることができないような状況の中で与えられた約束です。
私たちの人生がこれからバラ色になるという約束ではありません。むしろ、困難な中にあっても得ることができる幸いをここでは約束しているのです。
問題が無くなった、嬉しい、これでさっぱりした、と喜んでも、また問題が次から次へ起きてきます。切がないですね。
でもキリスト教の言う、問題が無くなると言うとは、神の平安あると言う事です。
もし、問題の中で揺り動かされない平安があれば、どんなに大きな問題が起きてきても、安心ですね。
ただ、自分が強くなると言う事ではなく、問題を解決してくれる方に全幅信頼を置くということです。
まあ、他力本願と言えばそれまででけれども、このお方がまた力強いお方なのです。
イエス・キリストの平安は、どんな苦しみ、また悩み中にあっも、変わらない平安 ( これをシャロームといいます。) を与えてくれます。
この方を信じませんか。いや、この方のところへ来ませんか。主イエス・キリストはあなたを心待ちにしております。
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